尹喜について

 

出典: 『道教事典』
      野口鐵郎・坂出祥伸・福井文雅・山田利明 編
      (平河出版社)

尹喜

 文始先生・無上真人などとも称され、関令(関所の長官)であったとされる伝説上の人物。『史記』老子伝によれ ば、周の哀退を予知した老子は、その国を去るべく函谷関に至り、尹喜に『老子道徳経』を書き与えた、という。『史記』は、この老子がその後ど うなったのか不明である、と桔ぷが、仏教伝来の後漠以後、老子は函谷関を去ってのち、仏となって西域諸国を教化したという老子化胡説があらわ れるに至って、尹喜の性格も大きく変化してくる。老子化胡説は、それを説いた『老子化胡経』と称される一連の経典を生んだ。『三洞珠嚢』巻 9(太平部782)には、『老子化胡経』と『文始先生無上真人関令内伝』の2つの「化胡経」が収められる。ところが、このうちの後者は、老子 とともに西域を教化した尹喜が、最後に仏となるという一種の尹喜伝で、尹喜の存在が化胡説と密按に関わったことを示している。また、このよう に老子化胡説には、老子が仏となったとする説と、尹喜が仏となったとする2つの説があり、老子と尹喜は不即不離の結びつきによって物語が展開 される。『列仙伝』の尹喜伝も、こうした化胡説の影響をうけて、老子とともに西域を旅し、その最後を知るものはいないと記す。このような化胡 説とは別に、尹喜の著とされる『関尹子』が『漢書』芸文志に録される。現在の『関尹子』と称される書は一巻。『文始真経』ともいわれ、宋の陳 顕微の注があるが、これらはいずれも尹喜の名に付会した偽書である。また、『抱朴子』巻19に、『文始先生経』の名が記されるが、これも『関 尹子』を指すものと考えられる。いずれにしても、漢末から六朝初期にかけて、尹喜が道を得た仙人として理解されるようになっていたことは、こ うした化胡説や『関尹子』の出現からも明らかにされる。その伝記が『文始内伝』である。

執筆者:山田利明