玉子

(《神仙伝》より)

 玉子は、姓は韋、名は震。南郡の人であった。若きより熱心に多くの経書を学んだ。周の幽王がこれを召したが出仕せず、こ ういって嘆じた、「人は世に生きていても、日に一日を失ってゆき、生を去ることいよいよ遠く、死を距ることいよいよ近くな る。しかるに、ただ冨貴のみを貧って性命を嚢うことを知らずにいるが、寿命が尽き息が絶えれば死んでしまうのだ。王侯の地位 を得、山のごとき金玉を持とうとも、塵ほどの役にも立とうか。ただ神仙となって世を超越することによってのみ、無窮なること ができるのである」と。それより長桑子に師事して、くわしく各種の術を授かった。やがてまた独自の法を編みだして、道書百余 篇を著わした。
 その術は務魁と称する法を主として、五行に精通し、その微妙なる働きを敷衍して、性を養い病を治し、災禍を消すというもの であった。突風を起こして屋根をめくり樹木を折り、雷雨雲霧をおこすこともできれば、樹木瓦石をもって、たちどころに獣畜竜 虎に変えることもできた。分身の法で百人千人にもなれば、河や海を歩いて渡り、水を口に含んで噴けぱ、これがみなみな珠玉に なって、しかも変化しない。時には息を詰めて呼吸をせず、起こしても超きず、押せども動かず、屈めても曲がらず、伸ばしても 真っ直ぐにならない。それが時としては数十日も百日もたって起きだす、ということもあった。弟子たちとともに旅をすると、い つも泥をまるめて馬として与えた。みなに目を閉じさせていると、まもなくして大きな馬になっている。それに乗って一日に千里 も歩くのであった。
 また五色の息を吐いて、よく数丈の高さにも立ち昇らせた。飛ぶ鳥を見つけて、指さすとすぐ落ちてくる、淵に立って護符を投 げこみ、魚鼈の類を呼ぶと、悉く集まって岸に上がる。弟子たちに眼をあげて千里も遠方の物を見させることもできたが、長くは 見ておれなかった。その務魁をおこなう際は、容器に水を入れ、両肘のあいだにつけて、これに息を吹きかけると、水の上にはす ぐ赤い光が立ち、きらきらと一丈も立ち昇る。この水でもって病気治療をするので、病気が体内にあるものには飲ませ、体外のも のはそれで洗うと、みなたちどころに平癒した。
 のち崆峒山に入って丹薬をつくり、白日に昇天し去った。