張伯端

 984~1082年。北宋の著名な道士。天台(今の浙江省)の人。年少の頃から学ば ないところはなく、三教の経典・書籍から刑法・書算・医卜・戦陣・天文・地理・吉凶死生の術まで精通していた。府吏をしていたが、火焼文書律 に触れたことにより、戍岑南に遣わされた。治平年間(1064~1067)に、龍図閣学士の陸詵に随行して桂林から成都へ転任した。煕寧二年 (1069)に成都で、劉海蟾に出会い金液還丹火候の訣を授かった(一説では、「青城大人に出会い、金液還丹の妙道を得た」)。そこで名を用 成、字を平叔と改め、紫陽山人と号した。修練が成就すると、《悟真篇》を著し世に伝え、内丹修練をアピールした。伝説によると彼の功は非常に 高く、「陽神」を出すことができ、座して出神し、千里も離れた揚州の珍しい花を取って来たことがあった。死後火葬されると、弟子たちは「千百 の舎利を得、その大きさはオニバスの実ぐらいで、色はどれも紺碧だった」。《道蔵》に収められているその著作には、《悟真篇》のほか、《金丹 四百字》・《玉清金笥青華秘文金宝内煉丹訣》がある。その説は宋・元の道教の内丹派に大きな影響を与えた。南宋以後、南宗の祖師として奉じら れ、全真派の南五祖の第一に列せられ、紫陽真人と称された。