1、内丹概説

 

 

(1) 内丹の丹

 

 内丹は中国道教に特有の生命煉養理論であり実践体系である。内丹を理解するためには、まず「丹」とは何かを理解する必要がある。

 中国の古典化学や伝統医学では、一般的に「丹」とは、ある処方に沿って精製した薬のことである。多くは粉末か顆粒である。一般的に言う と、いわゆる「丹」は水銀・硫黄などの化合物を含む鉱物を特殊な技術によって加工・昇華あるいは融解・分離して精製された薬剤である場合が多 い。これは外用と内服の2つに分けられる。

 おそらく最も早くに「丹」と言われだしたのは、天然の硫化水銀の「丹砂」である。最も有名な古代中国の煉丹家である西晋の葛洪は《抱朴 子・内篇》の中で「丹砂は加熱すると水銀になり、また再び丹砂に戻る」と指摘している。これは、天然の硫化水銀を加熱分解すると水銀が生成 し、水銀に硫黄が反応すると再び硫化水銀が生成するプロセスのことを言っているのである。この時の硫化水銀は黒色なので、黒砂と呼ばれる。そ の後にさらに加熱するとこれは赤色に変化する。この赤色の丹砂は丹とか辰砂・朱砂とも呼ばれ、中国の古代の煉丹術において最も重要な材料であ る。早くは西漢の時代に、方士の李少君が長生を願う漢の武帝に献上した「長生不死方」は、「祠竈法」と呼ばれる。その内容は、「竈を祭れば物 を致すことができ、物を致して丹砂を黄金に変化させることができる。黄金を作り食器にすれば寿命を延ばし、寿命を延ばすことができれば海中の 蓬莱山の仙人に会うことができる……」。漢の武帝は李少君の意見を受け入れ、「そこで天子は始めて親しく竈を祭り、方士を海上に派遣して安期 生の所属する蓬莱を探し求め、そして丹砂などの薬剤を黄金に変えようとした」(《史記・封禅書》)。

 だいたい李少君以降、丹砂の化学的な性質が方士や煉丹家たちに広く知られるようになり、薬の性質も次第に神聖化されていった。葛洪は丹砂 について、「これを長く加熱すればするほど、巧妙に変化し」、これを服用すれば「人の身体を煉るので、人を不老不死にすることができる」と考 えていた(《抱朴子・金丹》)。また唐代の道教煉丹家の陳少微は、「だから丹砂は金火の精が結合して形を成したのであり、玄元澄正の真気を含 んでいるのである。これは還丹の基本、大薬の根源である」(《大洞煉真宝経修伏霊砂妙訣》)と述べている。

 道教煉丹術の「丹」という語は、後には丹砂だけを意味するものではなくなった。煉丹の士たちは、酸化水銀・鉛丹などを含め、加熱・精製し て生成した赤色の物質を丹と総称した。葛洪は「鉛の性は白色だが赤ければ丹と見なす。丹の性は赤色だが白ければ鉛と見なす」(《抱朴子・金 丹》)と記述している。これは白色の鉛を加熱・精製すれば赤色の四酸化三鉛に化学的に変化し、逆に赤色の四酸化三鉛をもとの白色の鉛に戻すこ とができることを指しているのである。

 鉛も古代の煉丹術の中で重要な物質である。鉛丹は煉丹家たちが最も重視した化合物である。早くは戦国時代の《計倪子》という書に、「黒鉛 の錯(蝋[ろう])は黄丹に変化し、丹はさらに水粉に変化する」という記載がある。これは、鉛が酸化して鉛丹になり、さらに蝋が作用して鉛粉 が得られることを言っているのである。鉛丹は、黄丹とも呼ばれ、常温では黄色がかったオレンジ色か赤色を呈するが、加熱すると紫色になる。こ れは前に述べた四酸化三鉛である。

 汞[水銀]と鉛は化学的に活性なために、道教の煉丹術の中で特殊な位置を占め、次第に神聖化されていった。丹家の聖典である《周易参同 契》は鉛と水銀だけが煉丹の至高の大薬であると提唱した。煉丹家の間では、鉛や汞[水銀]は外丹の主要な原材料であるだけでなく、内丹の術語 の中でも最もよく見られる符号である。古代の丹家は煉丹術をずばり「鉛汞術」とさえ呼んだ。唐代の丹経の《大丹鉛汞論》は次のように述べてい る。

 「その大いなる丹の道は、鉛と汞から出、鉛や汞の薬は大丹の基である」。

 陰長生の名を借りて注釈した《周易参同契注》の序文は次のように書いている。

 「この二つの宝は、天地の至霊、七十二石の尊で、鉛汞に勝るものはないのである。二十四の気に感じ、二十四の名に通じ、丹に変化し、服用 した者は長生する」。

 《諸家神品丹法》は、
 「一切万物の内、ただ鉛汞だけが還丹を造ることができ、それ以外は法ではない」と言っている。

 以上は古代の「丹」のありさまである。我々が知っているのは、鉛や汞[水銀]といった鉱物を加熱・精製してできたという本来の「丹」で、 これはもともと「外丹」を指している。後の内丹の「丹」は、外丹の言葉や術語を借用したものである。

 道教の煉養体系の中では、外丹は服食術の一つである。古代の方士や道士はこのように考えていた。「そもそも金丹という物は、長く焼けば焼 くほど、霊妙な変化をする。黄金は火にかけて何度煉っても消えることはなく、地中に埋めても、永遠に朽ちることはない。この二つの物を服用 し、人の身体を煉るからこそ、人を不老不死にできるのである。これはだいたいが外にある物を借りて自分を堅固にすことで、たとえば油で火を養 えば火は消えず、緑青を脚に塗れば、水に入っても腐らず、これは銅の強さを借りて肉を守るのである。金丹が身体の中に入れば、体中に行き渡り 栄養や抵抗力になるが、緑青を外に塗った程度ではない」(《抱朴子・内篇・金丹》)。

 このような認識の仕方は、明らかに古代の巫術の交感の考え方が源になっている。つまり、黄金や鉱物を錬成した金丹は朽ちないという性質を 備え、人がこれらの薬物や物質を服用することによって、この朽ちないという性質を人体の中に移し変えることができるので、それによって人を長 生不死にすることができると考えたのである。

 道教の煉丹家や服食者のこのような考え方は古代の医学や薬物学の中では普遍的なものだった。問題は、このような丹炉の中で錬成・精製して 生成した物質の大部分がヒ素・水銀・鉛・銅・錫・ニッケル・亜鉛・アンチモンなどの有毒な金属化合物を含有していたことである。これらの薬物 を服用することは寿命を延ばすどころか、逆に人間の身体に致命的な損害を与えた。歴史上、道士および帝王とその親族が有毒な金丹を服用して死 ぬことが絶えなかった。だから、医療の分野である程度の医学的価値があることと古典化学の研究に大きな意義があったことを除けば、外丹は人間 の健康や長寿には何の価値もない。

 人間の生命の開発と発展に対して、本当に実用的な価値があるのは内丹である。

 内丹とは何か。簡単に言うと、外丹精製の経験・理論・術語などを借用して自身の生命を煉養することである。彼らは人体を丹房と見なし、心 と腎を炉と鼎、人体の精・気・神を薬物、意念と呼吸を火候[火加減]として、その「ありさまに仮の名前を付け」、人体の内部で「丹を煉り」、 それによって長生不死や仙人になることを追求した。従って、内丹術は実際には「人体生命煉丹学」である。

 外丹と内丹の関係と違いについて、明代の伍冲虚は《天仙正理直論増注》の中に次のように書いている。

 「外丹を煉ることは、黒鉛の中から取り出す真鉛の白金で金丹を錬成することである。内は腎水の中から取り出す金に等しい真炁で、内丹を錬 成するので、またの名を金丹とも言う。外は白金を薬とし、丹砂を主とする。内は金に等しい真炁を薬とし、元神本性を主とする。だからどちらも 金丹という同じ名で、どちらも薬物に同じように例えられる」。

 外丹学では、古代の煉士が、丹砂が汞[水銀]を生じることから、鉛が銀を生じると類推した。そのために、銀は鉛のエッセンスで、「真 鉛」・「白金」として、丹を煉る「大薬」とされた。だから彼らは、「黒鉛は、北方の水で、内に銀を含むのである。銀は鉛の中のエッセンスであ る」と説明した。また、「汞は砂の中から出て、南方の母胎から東方の甲乙の木、震卦に帰し、龍である。銀は鉛の中から出て、北方の母胎から西 方の庚辛の金、兌卦に帰し、白虎と言うのである」(《大丹記》)とも説明した。内丹家は外丹のこのような概念を借用し、人体の腎臓の中に貯え られている精気(性エネルギー)を「黒鉛」に例え、精気の中に含まれる先天的な精気(真炁)を「真鉛」あるいは「白金」に例えた。同じよう に、人の「元神」も外丹の中の丹砂に例え、鉛と汞[水銀]が丹鼎の中で化学反応を起こし新しい化合物が生成することを人体の内部の腎の中の精 気が「元神」(修練を経た意識あるいは意念)の作用の下で神と気が結合し、新しい生命元素やエネルギーを生み出すことに例えた。これが「内 丹」と言われるものである。明代の道士の趙宜真は《原陽子法語》巻上の《還丹金液歌并序》の中で内・外丹の特徴を比較している。

 「道は虚が集まっただけであり、本来は違いはない。しかし修練が内丹と外丹に分けられるのは、きっかけが異なるからで、効用は少し異なる が、造る道は一つである。いわゆる内は、自性の法身が本来十分備わっているので、外から自然の真を借りない。その修行方法は、情を摂取して性 に帰し、性を摂取し元に戻し、有為を為して無為に出る。証明できないことを証明しようとするので、胎を整え不思議に変化させ、体を抜け出し真 に登ることで実証する。秘訣に言うには:一霊の真性は金丹と言い、四假は炉で丸薬を煉る。これが真一であり玄一であり、またの名を内丹という のである。いわゆる外は、空虚な仮の色身は、損なわれないことがないので、必ず外薬を加えて真になる。その服煉の効果は、日月のエッセンスを 取り、乾坤の造化を奪い、刀圭[薬をもるさじ]が口に入れば、情欲はすぐに消える。骨と肉はすべて融和し、形[肉体]と神[意識]はどちらも 霊妙になり、白日に勢いよく昇り、玉清に飛翔する。秘訣に言うには:木液そのものは丹砂から出て、金は木液還丹の体を煉る。丹は再び金と化 し、金は液状になる。これが還丹であり金液であり、またの名を外丹というのである」。

 趙宜真は内丹と外丹の機能を比較している。彼の見方によると、「自性の法身がもともと十分備わっている」、つまり先天の精・気・神が十分 に足りている人が自身の身体を炉や鼎として、性を煉り丹を成すこと、これが内丹である。しかし、後天的にすでに消耗して損なわれた人は、十分 に自身の精・気・神を使って丹を煉ることはできないので、必ず「外薬を加えて真になる」必要があり、丹砂などの薬物を錬成した「金液還丹」を 服用する。これが外丹である。

 以上の説明からすると、いわゆる内丹は、実は精・気・神を内で煉って生命を煉養する道である。宋代の丹家の呉誤は《指帰集序》の中で、 「内丹の言っていることは、心と腎が交わり、精気が運搬し、神を存して息を閉じ、古いものを吐き新しいものを納めることにすぎない」と指摘し ている。唐代の丹経の《通幽訣》は、「気が生を存することが、内丹である」と述べている。元代の著名な丹家の陳致虚も《紫陽真人悟真篇注》の 中で、「それが用いるのは精・気・神で、その名前は金丹という」と言っている。

 では、結局、内丹の「丹」は何なのか。丹家の中にもさまざまな説がある。

 その一:黍米説。

 丹道の聖典《周易参同契》は「還丹」について、「金が性の初に帰したものが、還丹と言えるものである」と述べている。内丹家の言による と、これは後天的な識神と精気を煉って先天的な本性に戻すことであり、そのために還丹と呼ばれる。これがつまり内丹である。その様相は、

 「最初は白色であるが後には黄色になり、赤色を帯びている。名を第一鼎といい、食べると大きな黍米[モチキビ]のようである」。

 これは、内丹が錬成すると物質的な「丹」が腹の中で凝結するという意味であり、優れた仏教の禅師の色身[肉体]を火葬した後に残る「舎利 子」に類似している。多くの内丹家がこの説を信じている。宋代の著名な丹家の翁葆光はその《悟真篇注釈》の中で次のように述べている。

 「ただ先天の前の混沌真一の炁は、法を用い一時辰の中に追って取れば、一粒の大きな黍米のようなものを結成する。これは金丹と呼ばれ、ま た真鉛・陽丹・真汞・真一精・真一水・水火・太乙含真炁とも呼ばれる。人がこれを服用すれば、聖地に立つことができる」。

 黍米金丹のほかにも、「金液還丹」といわれるものがある。

 「そもそも金丹大薬を煉るには、まず天地が分かれる以前の混沌無名の始気をはっきりさせ、丹基として立てる。次に真陽と真陰の、同類無情 の物は、それぞれ重さ八両に分け、炉鼎として立てる。この炉鼎の真気を借りて、法を模倣し、星を巡らせて、この先天の始気を誘うと、半時辰を 越えず、一つの粒に凝結する。これは鼎の中に付随し、黍米ぐらいの大きさで、金丹と呼ばれる。一粒の金丹を、五臓に取り入れ、一身の精気を捕 らえることは、猫が鼠を捕まえ、亶鳥[古書に見える猛禽の一種。ハイタカに似る]が鳥を握るようであり、飛んだり走ったりすることはないので ある。その後陰陽の真気を運ぶが、これを陰符陽火という。精気を養育し、金液の質に変える。突然尾閭に物が現れ、夾脊双関に真っすぐ突き上が る。はっきりした音があり、泥丸まで上がり、上顎に触れ、粒状のものが降りきて口の中に入る。形はスズメの卵のようで、芳香がただよい味わい はすばらしい。これは金液還丹と呼ばれるのである。ゆっくりと喉から丹田に下りると、聖胎となる。十カ月たって胎が完全になり火が十分である と、脱胎沐浴して、純陽の身体となり、飢えや渇きや寒さや暑さという患いはなくなり、武器や猛獣が傷つけることはできなくなる。そして陸地の 神仙となるのである」。

 翁葆光はこのように、いわゆる内丹の大きさは黍米ぐらいで、人体の先天の精気を煉り集まってできたものであると説明している。元代の丹家 の陳冲素が《規中指南》の中で大周天のありさまを論じた部分にも同じような印象がある。

 「乾坤が交わることは大周天ともいう。……これは、夾脊が車輪のようになること、四肢が山や石のようなること、両腎で湯が煮えているよう になること、膀胱が火のように熱くなることなどによってそれと確認することができる。一息の間に、天機は自然に動き、軽々と運び、黙々と挙が り、微かに意で定め、息は造化の枢機[事物の鍵]のようであれば、金と木は自然と混ざり合い、水と火は自然と昇降する。突然、黍ほどの大きさ の珠が、黄庭の中に落ち、そこで採鉛投汞の機[鉛を採取し水銀を投入する機能]を用いると、百日の内に、一日の丹を結ぶのである」。

 ここで論じている「黍米」は気の塊だろうかそれとも物質的な「丹」だろうか。この問題については統一した説はない。修練を積んだ内丹家は 本当に体内でこのような形ある物質的な丹を錬成するのだろうか。歴史上の道教徒の肉体はすべて土葬されてしまったので、知りようがない。しか し、歴史的に仏法に優れた禅師の肉体を火葬すると、遺骨の中に結晶状に焼結した色とりどりの粒が残っていたことが多数報告されている。これは 「舎利子」と呼ばれ、禅法に優れていた証拠とされていた。この現象については、現代の科学ではまだ解明されていない。丹師の中には、内丹を煉 ることも、「舎利子」という物質的な「丹」を錬成することであると考えていた人もいる。だから、禅道合一を掲げた晩期の多くの内丹家は、金丹 と言う代わりに、内丹を「舎利子」と称した。近代の内丹先天派の創始者である千峰老人趙避塵は《性命法訣明指》の中で次のように述べている。

 「了然・了空の禅師が私にこう伝えた。十分に精炁を閉ざすことで、精嚢内の元精を煉り、舎利子を形成することができる」。

 その二:気団説。

 この考え方によると、いわゆる内丹は、長期間にわたって精・気・神の煉養することにより、神と気を合し、気や精を凝結させて、人体の先天 の精気を集めて塊にしたものである。「それはミカンのような赤色で雪のように光り、湯が沸騰するように熔融し蜜のような味がする」。道教の全 真教の創始者であり、内丹北宗の開祖である王重陽は《五篇霊文注》の中でこのような内丹の特徴を詳しく論述している。

 「金丹は内にあり、薬は外から来るが、実際に内に孕むものは、何だろうか。そもそも神[意識]が形[肉体]に依存して生じるのは、この物 を有するからであり、少しではあっても先天的なものが人間の身体にはある。これは、各人にないものではなく、本来人々が有しているのである。 世の人は真に迷って情に従い、情の境に馴染んでしまい、愛の河に放浪し、欲の海は波が高い。実際を観じ目覚めた者は、本当の師の教えに巡り会 うことができる。この先天の一気という、薬は外からくるが、形[肉体]に依存して生じる。これを採取する方法は、ただ情を忘れ形を忘れること であり、虚無を望むことを捨て、一念も生じないようにし、静の中の寂に至ると、突然光もないのに自ずと現れる。内でも外でもない所に一つの物 があるようで、あるときははっきりしあるときは隠れてしまう。こうして玄珠が形成されるのである。玄珠はなぜ形成されるのだろうか。すべては 静寂の時に、神が気に抱かれ、気と精が凝結することによって、一精の金丹を形成するのである。これが永く丹田の内に在ると、まるで室内の灯光 が窓の外をはっきりと照らし出しているような玄境の象が外に現れる。天根[下丹田]と月窟[上丹田]は自然と往来し、三十六宮はすべて春であ る。それによって自ずと復帰し、身中は四時[四季]の春になる」。

 王重陽の論によると、内丹は、元神あるいは真意が作用するもとで、先天の精炁が凝結して形成されたものであり、丹田の中に蔵する。またこ れは発熱・発光の現象を伴う。《丹陽真人語録》には王重陽の弟子である馬珏の話が記載されている。

 「道を学ぶ者は、気を養うことのほかに務めることはない。心液が下降し腎気が上昇して脾に至り、元気が立ち込め散らなければ、丹が凝結す るのである」。

 これは王重陽の論と同じで、丹は精気が集まったものであるという意味である。

 その三:光団説。

 多くの丹経の記載によれば、内丹の修練を成就した者は、返観内視する時、体内の丹田や気脈上に明るい光の塊や光点を見る。これらの光点は 小さいものは黍米ぐらい、大きいものはスズメの卵ぐらいで、丹田および気脈上を遊離循環する。丹家はこれらの光点あるいは光の塊が内丹である と考えている。丹経の《大成捷要》は煉精化炁の段階で「大薬」を得る時には、「印堂に自ずと月光があって常に明るく、電光が光り輝いているよ うである」と指摘している。また、「服食の際、金丹が上田から口の中に落ちる時には、丸いものが転がり落ちて光が輝いているように感じ、一つ の塊に凝集したものが舌の上にあるように感じる」とも述べている。また大周天について、火候が足り丹が凝結するときの様相を次のように言って いる。

 「金液玉露還丹の後、自然と一粒の黍米玄珠が出現する。これを長い間養ってうると、次第に大きくなり、さながら朱色のミカンのようにな る。……その後この珠は少しずつ成長し少しずつ大きくなり、その色は少しずつ明るく少しずつはっきりしてくる。ただこれを定める一つの機[働 き]の、機は自分によって作り出され、化せば機が生じ、一つの機がすべてを生成発育させる。玄珠は、変象の祖である。外に在るようであるが、 目を閉じてもはっきり分かり、内に在るようであるが、目を開いても極めてはっきりしていて、本当に内でもなく外でもないところにあるものであ る」。

 ここで黍米玄珠といわれているものが金丹である。これは、長期間の錬成によって陰の性質がすべて消失し、凝固した先天の真炁が、目の前に 姿を現したものであると丹家は考えている。この内丹は、少しずつ成長して大きくなり、少しずつ明るくなってはっきりし、意に従って動き、上下 に遊離する。この丹を得ると、目を閉じて体内を見るとろうそくの火で洞窟の中を照らすように臓腑がありありと見え、また金色の光が次第に体を 覆う。

 丹が光の塊であるという説はインドのヨーガの「明点」あるいは「甘露滴」の体験によく似ている。古今の多くの内丹家がこれを体験してい る。現代科学の理論によってこの現象を解釈するには、さらに高度な仮説や理論が現れるのを待たなければならない。

 その四:性円説

 この考え方によると、金丹は人の精気を指すのではなく、心性を修練していった境地のことである。この見方は特に仏道合一・禅丹合一を主張 する丹家に受け入れられている。元代の著名な内丹家の李道純は《中和集》の中で金丹について次のように論じている。

 「金は、堅である。丹は、円である。釈氏はこれを『円覚』に例え、儒家はこれを『太極』に例えているが、もともと区別できない物であり、 ただ本来一霊にすぎない。本来の真性は、永劫に壊れることなく、金のように堅く、丹のように完全で、煉れば煉るほどはっきりする。釈氏が言う 〇は、真如である。儒者の言う〇は、太極である。わが道の言う〇は、金丹である。体は同じでも名は異なる。……身を動かさなければ、精気が凝 結し、これは丹に例えられる。丹といわれるものは、身である。〇は、真性である。丹の中から〇を取り出したら、丹が成るという。丹といわれる ものは、外のものを借りて造るものではなく、生の根本によって正真を成すことである」。

 「本来の真性」といわれるものは、もともと禅家の言葉や観念であるが、道教の内丹家がこれを取り入れ、内丹の最高の境地として引用した。 白玉蟾は宋代の内丹南宗の祖師の一人であるが、彼は《金丹之図》を作ってこの概念を示し(図1参照)、金丹の意味するものは修練によって完成 した「真如本性」であり、これは「形は弾丸のようで、色は朱色のミカンのようである」と考えていた。

 内丹の北宗および金・元代の全真教の創始者である王重陽は《金丹》の詩にこのように述べている。

 「本来真性を金丹と呼び、四假[肉体]を炉として錬成し塊にしたものである」。

 清代の丹家の袁仁林の《古文参同契注》にも、

 「金丹というものは、丹は心を指す。金は、その強固で恒久的な光明のことを言っている。身内の陰が消え失せ、純陽が出現すると、元神が強 固で明るくなり、丹府[丹田のこと]は金のようになるので、名を金丹という」と述べてある。

 その五:精気神合一説。

 この説は、神炁合一あるいは性命合一とも言う。人体内の精・気・神の三つの生命要素を煉って一つにしたものが内丹であると考えるのがその 主旨である。清代の内丹の伍柳派の柳華陽は《金仙正論》の中で次のように指摘している。

 「仙道は元精を煉って丹にする。煉丹の手初めの仙機は、だいたい腎中の元精を煉ることであり、精が満ちると炁が自然に発生する。この発生 した炁をさらに煉り、その真炁を回収し補う。炁が足るまで補うと、生機[生命の機能]は動かなくなり、これを丹と言うのである」。

 柳華陽は、「腎中の元精」を煉養・充足させて炁に変え、さらに炁を煉って成ったものが内丹であると強調している。清代の別の丹家の陶素耜 も《道音五種》の中に次のように述べている。

 「丹は和気から成るものであり、内に呼吸し、神は息によって凝らし、息は神を恋して行く。炉に臨む際には、呼吸を調和し、外来の真一の炁 を取り入れ、吾の戊己の官に入れ、我の久しく蓄えた陰精と互いに抱き合わせて育むと、真息が自然と定まり、脈[経絡]は止まり丹が凝結するの である」。

 内丹は精・気・神を修練する養生術であると解釈すると、宗教的な色彩は濃くなくなるので、医学者も承認し得るのである。清代の名医の汪昴 はその《勿薬元詮》という書の中で次のように指摘している。

 「道家の言う金丹の修練は、精気神を調え養うことである。だから、金丹の道は、自分の身体の外のことではないと言うのである。もし修養の 功夫が上達し、精神が充足して内を守り、心性が完全で明るくなって自然と作用し、淡泊・虚無で、あるようなないような状態になれば、金丹が完 成したのである。薬物・火候によって金丹を修めるというのは本当ではないのである」。

 その6:大還丹・小還丹・玉液還丹・金液還丹などの説。

 内丹にはさまざまな煉養の段階と境界があり、丹家たちはそれらを区別してさまざまな名前を付けた。いわゆる大・小・玉液・金液などの丹名 (ほかにも七返還丹・九転還丹・竜虎大丹などの丹名がある)はすべて外丹の術語から借用したものである。もともと《周易参同契》では、「還 丹」だけが言われていた。唐・宋・五代になって鍾呂丹法が起こると、内丹は「十二科」に分けられた。《鍾呂伝道集》はこう述べている。

 「陰陽を結び付けるのが第一、水火を集めたり散じたりするのが第二、竜虎を交媾するのが第三、丹薬を加熱・錬成するのが第四、肘後飛金晶 が第五、玉液還丹が第六、玉液煉形が第七、金液還丹が第八、金液煉形が第九、朝元煉気が第十、内視交換が第十一、超脱分形が第十二」。

 これは内丹の煉養の段階・階層・境界・方法・技術をそれぞれ区別し、外丹の言い方を参考にして命名したものである。鍾離権が著し、呂洞賓 が伝えたといわれる《霊宝畢法》も次のように言っている。

 「いわゆる玉液は、腎から気が上昇して心に至り、心の気が合したものであり、二つの気が互いに交わって重楼を過ぎ、口を閉ざし出さずに津 を玉池に満たす。これを飲み込むことを、玉液還丹と言う。これを上げることを、玉液煉形と言う。この液は腎中から来て心で生じたものであり、 土の中に石を生じ、石の中に玉を生じることになぞらえて説明するのである」。

 「金液というのは、腎気を心気と合わせて上昇させずに、肺で蒸し、肺を遮蔽物として、二気を覆い、その日のうち取った肺液である。下田に あったのが尾閭穴から上に昇ることを、金晶を飛ばし脳の中に入れると言い、それによって泥丸の宮を補う。上から下降して下田に入ることを、金 液還丹と言う。下田に戻したのを再び上昇させ、あまねく四体に満たすのに前に復して上昇することは、金液煉形と言い、金が土に生じることで説 明されるのである」。

 明・清代には、丹家は一般的に築基の段階の煉己を完成させることを玉液還丹と呼び、煉精化炁の段階で得られる「大薬」を金液還丹と呼ん だ。だから《玄膚論》という丹経は、「金液煉形は、命を理解することを言うのである。玉液煉己は、性を理解することを言うのである」と書いて いる。

 鍾呂の後、各派の丹法はほとんどがその法脈をそのまま受け継いだが、鍾呂の「十二科」を簡略化したので、多くは築基煉己や煉化精炁などの 修練を成就することに大・小還丹などの名を用いた。邱処機は《大丹直指》の中で内丹を煉養するさまざまな修養法やそれを成就することについて を次のように言っている。

 「腎気が肝気に伝わり、肝気が脾気に伝わり、脾気が肺気に伝わり、肺気が心気に伝わり、心気が脾気に伝わり、脾気が腎気に伝わる。これは 五行が循環することであり、小還丹と言うのである。上田が中田に入り、中田が下田に入り、三田が返復することを、大還丹と言うのである」。

 その7:上・中・下の三品丹説。

 この説は古代に流行した外丹以外のさまざまな養生術や道教の煉養術をすべて内丹の方法と見なし、鍾呂の丹道を基準として上品丹法・中品丹 法・下品丹法に分けたものである。この説は宋代の道教の内丹南宗の祖師の一人である陳楠によって作られた。彼は当時流行していたさまざまな煉 養術を総括し、それらを三品に分け、順番に地仙・水仙・天仙の道とした。その後、元代の著名な丹家の李道純は、それをもとにしてさらに漸法三 乗と最上一乗に分け、その説を発展させた。彼は《中和集》の中の《試金石》の章で、傍門九品(上三品は傍門で、中三品は外道で、下三品は邪道 である)・漸法三乗(上乗延生法・中乗養命法・下乗安楽法)・最上一乗(無上至真の妙)に区分した。傍門九品の中の下三品の邪道は房中採煉術 であり、「これは大乱の道である」と評している。傍門九品の中の中三品の外道は休糧辟穀・呑霞服気・三帰五戒などで、「これを怠けず行えば、 次第に佳境に入り、気をつけないことよりは優る」。傍門九品の中の上三品は存神吐納・八段錦・六字気・閉息行気・屈伸導引などの養生術で、 「中士がこれを行えば、病気を退けることができる」。李道純が賞賛しているのはいわゆる「漸法三乗」である。その中の下・中の二つの丹法は、 陳楠の言う下・中二品の丹法である。

 「下乗は身心を鼎炉とし、精気を薬物とし、心腎を水火とし、五臓を五行とし、肝肺を竜虎とし、精を真種子とし、それによって年・月・日・ 時の火候を行う。津[唾液]を飲み込んで潅漑することを沐浴とし、口・耳・目を三つの要とし、腎の前・臍の後ろを玄関とし、五行が混合するこ とを丹が成ることとする。これは安薬の法であり、その中の作用は百余りで、もし情を忘れることができれば、命を養うこともできる」。

 「中乗は、乾坤を鼎炉とし、坎離を水火とし、烏兎を薬物とし、精・神・魂・魄・意を五行とし、身・心を竜虎とし、気を真種子とする。一年 の寒暑を火候とし、法水潅漑を沐浴とし、内境へ出ず外境へ入らないことを固済とし、太渊[頭]・絳宮[中丹田]・精房を三つの要とし、泥丸を 玄関とし、精神が混合することを丹が成ることとする。この中乗の養命の法は、その中に数十の作用があり、下乗と大同小異である。もし怠けず行 えば、長生久視することができる」。

 李道純の内丹の下乗漸法は、丹法の中では煉己築基の段階に類似し、中乗は煉精化炁の段階に類似している。そして、漸法の上乗は煉炁化神の 段階に類似している。

 「上乗は天地を鼎とし、日月を水火とし、陰陽を化機とし、鉛・汞・銀・砂・土を五行とし、性情を竜虎とし、念を真種子とする。心で念を煉 ることを火候とし、息念を養火とし、含光を固済とし、内魔を降伏することを野戦とし、身・心・意を三つの要とし、天心を玄関とし、情が来て性 に帰すことを丹が成ることとし、和気を燻らせることを沐浴とする。上乗は延生の道であり、その中は中乗と相似しているが、作用の異なるところ が十余りある。上士が、終始一貫してこれを行えば、仙道を明らかにすることができる」。

 李道純などの内丹家の見方では、漸法三乗はどれも丹家の正道である。だから上三品の修仙の途なのである。彼が最も推奨する「最上一乗」丹 法は、頓法であり、内丹の煉神還虚の法に相当し、性を動かすことを極めている。

 「その最上乗は、無上至真の妙道である。太虚を鼎とし、太極を炉とし、清静を丹基とし、無為を丹母とし、性命を鉛汞とし、定・慧を水火と し、欲を塞ぎ忿[怒り]を懲らしめることを水火が交わることとし、性命が合し一つになることを金木が並ぶこととする。心を洗い慮を洗うことを 沐浴とし、誠を存し意を定めることを固済とし、戒・定・慧を三つの要とし、中を玄関とする。心を明らかにすることを応験[あらたかな結果]と し、見性を凝結とし、三元混一を聖胎とし、性命を打って一つにすることを丹が成ることとし、身外に身があることを脱胎とし、虚空を打ち破るこ とを了当[うまい具合に終わること]とする。これが最上一乗の道であり、至士がこれを行うことができる。功徳が増え、真っすぐに完全になり、 肉体も意識も霊妙で、道に与し真に合する」。

 陳楠の三品丹法の説や李道純の頓漸四乗丹法の説は、実際には大・小還丹などの内丹の煉養の段階区分からはずれていない。ただ内煉の法を内 丹の基準によって品評してクラス分けしたので、内丹家の煉養観を見ることができる。

 

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