1、内丹概説

 

 

(3) 内丹と道教

 

 

 内丹は、歴史上で中国の最も大きな宗教-道教に特有の信仰体系であり実践体系である。

 道教は中国の歴史上に二千年以上も伝わり、中国の伝統文化の形成・発展に大きな影響を及ぼし、その内部構造や構成要素はかなり複雑であ る。その長い発展の過程で、世界の宗教文化の中でも珍しい多元的な内部構造を形成し、そのために道教はその内部に複雑な信仰体系と多元的な文 化機能を持つようになった。その中には、次のような組成が含まれている。

 (1)原始の巫祝文化の系統。

 この系統は上古の原始巫術の思惟および実践が源流であり、鬼神崇拝・祈祷・禁咒・符籙・占験・扶乩・降鸞・駆邪などを含む。下層の民間で 特に流行し、道教の下層構造の基盤-符水道教の系統を構成した。

 (2)神仙道教の系統。

 この系統は古代の「不死」の観念が長寿の感情と結び付いたものが源流であり、神仙崇拝やさまざまな仙話を含む。その実践方法は各種の成仙 術と養生術であり、主なものに導引行気・服食・房中の三つの技法の流派がある。この系統の社会的基盤は主に文化階層および上層社会で、道教の 上層構造である丹鼎道教の系統を構成した。

 (3)黄老思想および信仰の系統。

 これは《老子》・《荘子》・《列子》・《関尹子》・《文子》などの道家哲学の学派を主体とする道教理論の系統である。その中で、老子はさ らに「太上老君」・「太上玄元皇帝」・「三清道祖」などとして奉じられ、荘子は「南華真人」などに封じられた。道家哲学は道教の上層部分と理 論の核心を構成した。

 (4)神霊崇拝の系統。

 この系統は鬼神崇拝が源流であり、後に南北朝の時代に陶弘景・寇謙之などの整理を経て、「三清」を中心とする神々の系譜を形成した。これ は道教そのものの宗教神学の標識であり要素である。この系統は雑多な崇拝・儀典・斎醮・禳祈などの行為を含む。

 上に述べた系統のうち、巫祝文化および神学の系統は道教の基本的な社会宗教として果たすべき機能であり行為の様式である。黄老の道家思想 はその宗教信仰と理論の基盤であると言うことができる。そして神仙信仰およびこれに基づく修練方法は、道教の最も本質的な文化的特徴であり個 人の実践する宗教の行為パターンであると言うことができる。

 神仙信仰は中国の道教に独特の信仰であり、道教の宗教としての最も本質的な特徴であり核心である。内丹はこの信仰の産物であり実践方法で ある。

 道教の神仙信仰の最も大きな特色の一つが、それ自体が個体の実践する意義と価値を備えていることである。神仙信仰はキリスト教あるいは仏 教のような繁雑で精密で厳格な神学体系には存在せず、それには宗教文化の中の広範囲に及ぶ雑多な儀典儀式もない。厳格に言うと、神仙信仰は個 人化を極めた宗教の信仰であり実践である。だから、早期の神仙家はすべて個人的な方士や術士である。早期道教が形成されてからも、教団内部で は、さまざまな仙術が並行して行われ、また統一された規範もなかった。葛洪は道教内部のこのような修練術の混乱した状況を指摘している。

 「また好事を患う徒は、おのおのその長じるところに頼る。玄素[玄女と素女]の術を知る者は、房中術だけで世俗を通り越して仙人になるこ とができると言い、吐納の道に明るい者は、行気だけで寿命を延ばせると言い、屈伸の法を知る者は、導引だけで老い難くなると言い、草木の方を 知る者は、薬餌だけで窮することがないと言う。道を学びこれが成就しないのは、このように片手落ちだからである」(《抱朴子・内篇・微 旨》)。

 道教内部で個人の実践する修行の方法や理論がこのように混乱し繁雑になった現象には、自然宗教の特徴や性質が濃厚に表れている。また、成 仙の根拠や手段について、統一された完全な理論や論証もなかった。たとえば、秦・漢の時代には神仙信仰が非常に流行し、「燕斉の士は農具を捨 て、競って神仙方士を名乗った。ここにおいて咸陽に向かう者は千を数え、仙人は金を食し珠を飲んで天相と同じ寿命を保つようになったと言っ た」(桓寛《鹽鉄論》)。斉の威王・秦の始皇帝・漢の武帝などは航海によって仙人を求める大規模な活動を行った。その熱気たるや、「海上の燕 斉の間にひとりとして腕を握り締めて禁方[秘密の処方]があり神仙になれると自ら言わないものはなく……斉人の上奏して神怪奇方を言う者は万 を数えた」(《史記・封禅書》)。しかし、「金を食し珠を飲み」どうして仙に成れるのか。その根拠は何か。人から仙までそもそもどのような過 程があるのか。人と仙にはそもそもどのような関係なのか。人はなぜ仙を求めるのか。このような根本的な問題については全く解答がない。人々は 全く非理性的なもの基づいて、熱狂的に仙を捜し求めた。この現象は、秦・漢の神仙家および原始道教がまだ統一された宗教信仰や理論体系を必要 とすることや意識することがなかったことを表している。

 しかし、成熟した神学宗教(人為宗教)の立場から言うと、上に述べた自然宗教の特徴や現象は容認できないものである。個人主義の神仙方士 から系統だった神学の観念や厳格な宗教組織およびより規格化された宗教行為(集団による儀式儀軌や個人の修練行為を含む)を備えた神学宗教へ 進歩する過程の中で、系統だった完全な信仰体制・神学理論および修練行為の規範を整理し打ち立てることが早期道教の当面の急務だった。実際、 東漢から魏・晋・南北朝までの数世紀の間に、道教徒たちがこの作業に力を尽くしたことを、我々は見ることができる。その中の傑出した人物には 襄楷・魏伯陽・河上公・張陵・張魯・葛洪・魏華存・陶弘景・陸修静・寇謙之・司馬承禎などがいた。彼らは道教の基本的な信仰・理論・神学系 譜・科儀・典籍・修行・戒律などの各方面を分別し道教を発展させることに貢献した。

 一般的には、修行は宗教意識を表現する重要な行為であり、自己の宗教意識や目標を強固にし実現するための神学宗教に特有な実現活動であ り、宗教の教義や自身の素養を成熟させ、系統立て、そして理論づけるための高度な行為でもある。とりわけ中国の道教のように個人の実践する部 分の大きい宗教について言うと、仙道信仰から導き出された心身の修行活動にはより重大で特別な意義が含まれている。道教徒の修行はその他の宗 教の一般的な修行の意義をはるかに超えている。道士の修行の手段と実践そのものがだいたいその宗教活動の全内容であり全過程である。個人が仙 人に成るという信仰は、多くの道教の信徒にその個人的な修練行為を極めさせる結果をもたらし、道教のその他の宗教活動や社会的な行為と思われ るものまで不思議と排斥していった。だから、道教についてその修練術やその思想理論の始まりや進歩を言うことは、並大抵なことではない。それ は手段や方法の変革・踏襲のことだけでなく、宗教の信仰や意識・哲学・思想などの上層部分の発展・変化にも直接関係しているのである。

 内丹には道教とこのような関係があるのである。

 道教の生まれる過程で、その個人的な煉養に関するものを何世紀もかけて整合していったことはすでに前に述べた。この過程は、実質的には、 秦・漢の導引行気・房中・服食の三大養生術あるいは仙術の基盤の上に、より完全で系統立った、説得力のある成仙のパタ-ンや行為体系を構築す ることに努めることだった。その最も代表的なものが、《太平経》の精気神「三道合一」の煉養観や魏伯陽の大易・黄老・炉火「三道由一」の内外 丹煉養模型モデル、葛洪の導引行気・房中・服食の三大養生術を「多くの術を合わせて長生をする」という主張、および魏華存の黄庭宮および上中 下丹田を中心とする人体三部身神意守の理論などである。これらの煉養の見方と理論方法は道教の修行方法の基本的な内容となった。上に述べた理 論方法が次第に進歩して完備し、そして最終的に一つに結集した最高のものが内丹である。内丹の出現と発展は少なくとも次の幾つかの面で道教に 大きな影響を与えた。

 その一:新しい信仰体系。早期道教の伝統的な信仰は巫祝文化や鬼神崇拝の特徴をかなり含んでいた。史書の記載では東漢の順帝の時 (126~144年)に沛国の丰人の張陵は西蜀で五斗米教(天師道)を創始した。彼は、「正一盟威の道」を行い、太上老君(老子)および天地 水の三官などを崇拝し、「禁戒科律は、万民の逆順禍福功過を吟味し、よしあしを知らせたもので……病気の人には、湯薬や針灸ではなく、符を服 し水を飲ませ、そして生来の犯罪や過ちを告白させ、罪が死に値する者はみな罪をゆるされることを為し、病気が重くなった人であっても、回復し ないものは一人としていなかった」(陸修静《道門科略》)。上に述べた過ちを告白することや符水はどちらも典型的な巫祝文化の産物である。ま た北周の甄鸞の《笑道論》の記載によると、「三張の術」は「左に太極章を着け、右に昆吾鉄を着け、日を指せば空がとまり、鬼の千里の血に擬え る。また黄神越章を造れば鬼を殺し、朱章は人を殺す。あるいは塗炭斎を為す者は、黄土泥面、驢輾泥中、懸頭著柱、打拍使熟(黄土の泥を面に塗 り、ロバは泥の中を転がし、頭を懸けて柱に着け、打ちたたいて熟す)」。このような巫術は、南朝の劉宋の時の著名な道士の陸修静もまだ行って いた。そのほか、北方の太平道も「師は九節杖を執り、符祝を行い、教人は叩頭し過ちを思い、そして符水を飲んだ」。巫覡の符水の系統は、ずっ と民間道教の主要な形態であり続けた。それは中国古代の原始的な信仰や自然崇拝の遺物の代表である。道教の巫覡や符水の系統はそれが宗教化し た形態である。

 しかし、神仙信仰が知識階層や上流社会に深く入っていくにしたがい、これらの階層の要求にさらに適合し、神仙信仰を核心とした道教の新し い系統が生まれた。これが長生という個人的な煉養を特徴とする丹鼎道教の体系である。丹鼎道教の出現によって、道教の擁していたものと上層文 化をつなぐ橋渡しができあがった。これによって、道教は下層民間の巫覡の迷信の媒体であるだけでなく、個人が心身を鍛練して仙人に成るという 独特の理論と実践によって中国文化の上層建築の有機的な組成になった。

 道教の丹鼎の系統は、特に内丹に代表されるより積極的でより高度な信仰形態である。実際、この信仰は天命に反対し、命定論や輪廻思想を否 定し、人間自身の能動性が自身の生命の延長や超越を決定することを肯定する。道教は「自分の命は自分にあり天にはない」という力強いスローガ ンを掲げ、「身において道を修め、気を愛し神を養い、寿を益し年を延ばし、その法がこのごとくあれば、真人に為るに及ぶ」(《老子河上公章 句》)と堅く信じている。宋・元の時代には、内丹家たちはさらに一歩進めて「順は人を生み、逆は丹を成す」という思想を提唱し、その仙道信仰 や内丹の実践について系統立てて論証した。彼らは老子の「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる」という宇宙世界の発 生のモデルを根拠にして、太初無形無象の「道」(無極)が変化して真元一気(太極)を生じ、「真元一気」から陰陽二気が分かれて生まれた(太 極が陰陽に分かれた)と考えた。陰陽二気は互いに動いて交わり落ち着くと「冲気はもって和を為し」第三体を生み、これから万物が派生した。 「無から有が生じる」というこの過程は宇宙の自然が生成する図式であるだけでなく、人間の生命が生成する図式でもあり、生命の「順は人を生 む」という道になるのである。しかし、内丹家たちが提唱したのは、この自然万物の順行の規律を逆に進むことが仙道であるというものであり、内 丹の修練によって生命活動を三(精・気・神)に集約し、三を二(鉛汞あるいは坎離)に戻し、二を一に戻し(金丹が凝結すること)、一を無に戻 す(還虚成仙)のである。元代の内丹家の陳致虚は《金丹大要》の中で次のように指摘した。

 「精気神……三つの物が交感するのが、順であれば人を生み、逆であれば丹を成す。何を順と言うのだろうか。一は二を生じ、二は三を生じ、 三は万物を生じる。ゆえに虚は神に変化し、神は気に変化し、気は精に変化し、精は形[肉体]に変化し、形は人に成るのである。何を逆と言うの だろうか。万物は三を含み、三は二に帰し、二は一に帰す。この道を知る者は、神を和らげ形を守り、形を養い精を煉り、精を蓄えて気に変え、気 を煉って神に合わせ、神を煉って虚に戻し、金丹を成すのである」。

 ここで気を付けなければならないのは、「順に行けば人を生み物を生み、逆に来れば仙に成り仏に成る」というこの内丹の観点の背後には、実 は道教が至高無上のものとして尊ぶ「道法自然」という道家の根本的な命題を大胆に乗り越え突破したものを含んでいることである。「順は人を生 む」というのは正に自然の道であるのだから、この自然の道と違うやり方は老子の道家哲学の求めないものである。だから、内丹家のこの「逆は仙 に成る」という思想は、疑いなく道教そのものにとって、極めて深刻な理論の変革と転換を意味している。事実もこのようだった。五代・宋・元に 内丹が提唱される以前は、道教の仙道信仰や煉養理論は基本的に「道法自然」の原則を遵守し、その実践方法も基本的に導引・行気・房中・服餌な どの伝統的な道教の養生術の範囲から逸脱していなかった。内丹術を除くと、道教には金丹服食術(外丹)の影響を相殺しその地位に取って代わる ことのできる技術や手段および理論はほとんどなかった。その根本原因は、伝統的な導引行気・房中・服食の術が理論的にはすべて養生を達成する だけであり、系統立った成仙理論の解釈や根拠に欠けていたことにある。内丹の出現は、人と仙の変遷に関する問題を理論から実践までのすべてを より有効的に解決した。そのために、宋・元の時代には内丹を核心とする仙道信仰が道教内部で主流の地位を占めるようになったのである。

 その二:新しい解釈の体系。道教において内丹に特に価値があるのは、人体の内部を鍛練することについて完全に整った解釈を提供したことで あり、人天観・人体観・神形観・動静観・寿夭観・陰陽観などの根本的な理論上から人から仙に変遷する途について解釈を加え正否を確かめた。 唐・宋以後、内丹が次第に符籙・外丹・禁呪などに取って代わって一気に道教の主流と主要な信仰になったのは、このような解釈があったからであ ると言うことができる。内丹理論の体系化によって、道教はついに凡人から仙人へ、築基から還虚に至る完全に整った煉養理論の体系を持つように なった。これは道教の理論の発展を力強く推し進め、道教に唐宋以降の中国の上層の意識形態や文化構造の中で自立できるようにしただけでなく、 宋・明の時期には中国文化思想の再構築と改革にも直接参与し、それによって中国の伝統文化の心理構造や意識形態の構造に対して大きな影響を与 えたのである。

 その三:内丹は三教の学説を融合し、そのために唐・宋以降、中国の三教文化の整合と変遷に大きく関与しそれを強く推し進めた。

 中国の儒・道・釈[儒教・道教・仏教]の三教文化はそれぞれがその宗旨と学説の体系を有している。儒家は主に社会倫理を出発点とし、人倫 道徳学説の体系を構築して人間と社会の関係の問題を解決することに努めた。仏教は人の心性に的をしぼっていて、苦[苦しみ]・集[苦しみの原 因]・滅[苦しみを制すること]・道[苦しみを制する道]などの理論によって人間の生存の価値や境遇といった現実問題を解決する。そして、中 国の唯一の漢民族の土着の宗教である道教は多神論と原始巫術の基盤の上に人の現実の生命存在に着眼し、さまざまな方法手段によって人の生命存 在の状態を伸展・拡張し、個体の現実の生命が時空を超越できるようにしようとする。しかし、五代・宋・元の時代には、中国文化の内部構造の調 整と変遷のために、儒・道・釈の三家を互いに整合することがすでに大勢の赴くところに成っていた。その結果、儒家の理学、仏教の禅宗、そして 道教の内丹と全真教が相次いで出現・形成されたのである。唐末・五代に非常に盛んだった禅宗は道教の地位に極めて大きな衝撃を与えると同時 に、道教の理論に強く浸透した。その結果の一つとして、禅と道教の煉気などの技術が結び付き、禅道合一、仙仏合宗、性命双修の内丹の実践体系 が生み出された。これとは別に、その当時、儒家の倫理道徳が次第に強化されていった風潮にも道教は適応し、儒家の正心誠意などの自己の道徳修 養、つまり「修身」の学説を道教の学説や内丹の「煉己」の修練に取り入れた。かくして、道教は実際に内丹を契機として、宋明の「三教合一」の 大合唱に参与した。だから内丹の南宗の祖である張伯端は次のように指摘した。

 「だから老釈[老子と釈迦]は性学でもって方便の門を開き、人に修種を教え、それによって生死を逃れる。釈氏は空寂を主旨とし、もしすぐ に円通[悟道徹底し、融通無碍なこと]を悟れば、彼岸へ真っすぐ超えていき、習い漏らしてまだ尽くしていなければ、生きている限り打ち込む。 老氏は煉養を真とし、もしその要を得れば、聖位に立ち登る。もしその本性を明らかにできなければ、なお幻形に滞る。その次の《周易》には理を 窮め性を尽くし命に至る辞があり、《魯語》には自分を思ったり、確かにしたり、固めたりしてはいけないと説いているが、これも仲尼[孔子]が 性命の奥に到達したからである」(《悟真篇》自序)。

 内丹家のこのような論法では、儒・仏の説を覆い尽くすことはできなかった。しかしそれらは彼らの立つ道教の立場の上には反映され、一つに は、三教の平等を強調し、二つには、内丹を実証し明白にし修習すること、特に内丹の実践の中の重要な心理訓練、つまり「性功」の問題を解決す る必要性から、儒・釈のなにがしかの理論を取り入れた。内丹が道を主体としながら儒・仏も融合した体系を持ったことにより、外来の学説を受け 入れることで道教そのものに空前の繁栄と変革がもたらされただけでなく、その他の各教各家に道教の学術や思想を摂取するための結合点も提供し た。宋明の士大夫が道・禅の両方を修練し理学家たちが道教思想を取り入れたのは、ちょうど内丹のこの三教の結合部分が取っ掛かりだったのであ る。

 その四:内丹は中国道教の煉養系統に最も完備した新しい理論と実践の体系を提供した。道教の養生と修練方法は歴史的にはほぼ3つの段階を 経て発展した。早期は導引吐納や房中術(秦以前から漢まで)、中期は外丹服食と存神煉気(魏・晋から唐まで)、後期が主に内丹である(宋・ 明・清)。これらを比較すると、内丹は理論構造も、実践段階も、それ以前の修練方法の理論よりさらに整い、さらに成熟し、さらに高等である。 それは生理と心理の二層の修練に関する理論と方法についてすべて飛躍的に進歩し、人体の性の潜在エネルギーと心理の潜在エネルギーを内側から 開発することに立脚して性命を修練した。その結果、晋・唐以後、外丹煉服の失敗によって深刻な打撃を受けた道教に新しい生命煉養のパターンを 創設し、道教を盛り返すために新しい生命力と活力を注入したのである。

 

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