南宗丹法(清修)

 

 

 

 張伯端の《悟真篇》に代表される内丹は、鍾呂丹法を継承したものである。ただし、鍾呂丹法は明らかに晋・唐代の道教の気功修練法の特色を 有している。内丹の定型を完成したのは張伯端の功績である。彼は南宗丹法の開祖でもある。
 張伯端の丹法は、有名な《悟真篇》の中に反映されているほか、その著作である《玉清金笥青華秘文金宝内煉丹訣》(《青華秘文》と略称され る)・《金丹四百字》・《張紫陽八脈経》の三書の中にも述べられている。四書に述べられている内容を検討すると、張伯端の丹法の特徴は、先命 後性[先に命を修練し後で性を修練する]、由命入性[命より性に入る]という手順で性と命の両方を修練することである。ここで言う先後は、ど ちらに重点を置くかを言っているのであり、命があって性がないとか性があって命がないとか言っているのではない。その丹法の手順は鍾呂の説を 踏襲し、煉己築基・煉精化炁・煉炁化神・煉神還虚の4段階に分けて説明する。次に順番にこれを論じよう。

 

(1)煉己築基

 築基は煉丹の最初の修練である。外丹では、炉鼎や丹竈を立てること、錬成する薬剤を選ぶこと、燃料を準備したり方法を研究することなどが これに相当する。内丹では、身体を炉鼎とし、神気を薬物とするので、後天的に消耗した身体の元気を補足し、内丹を修練できる条件を整える。張 伯端の南宗では、任脈・督脈を通ずるようにすることによって後天的な人体の生理機能の欠損を補足することを強調し、由命入性[命より性に入 る]の手順で修練に取り掛かる。このために、南宗の築基は次のような修練を含んでいる。
 立炉建鼎 ── これは煉丹の最も重要な修練である。《悟真篇》の七言絶句に言う。

まず乾坤を鼎器とし、
次に烏兎薬を煮る。
二物を追って黄道に帰してしまい、
何とか金丹が解けず生じるようにしようとする。

 また言う。

炉を安定させ鼎を立てるのは乾坤にのっとり、
精華を鍛練し魄魂を制御する。
集まったり散ったりたちこめたりして変化し、
玄妙なものには論は無関係なのだ。

 張伯端の言う鼎器は、丹家が薬物を煮る人体の部位のことである。築基の段階では、必ず師によってこれらの人体の部位を明確に指し示しても らわなければならない。これは、臓腑・経絡・気穴、内煉の特定の区域などを含み、ほんの少しでもいい加減であってはいけない。張伯端が「偃月 炉」と呼ぶ人間の身体の炉竈は、下丹田の気穴である。《悟真篇》に言う。

丹竈に固執して労力を費やすことをやめ、
煉薬には必ず偃月炉を尋ねなければならない。
自ずと天然の真の火候があり、
炭を用意したり息を吹きかけたりする必要はない。

 翁葆光の《悟真篇注》に言うには、「この炉の口は上が開いていて偃月[上弦の月]のような形状なので、偃月炉と言う。つまり北海である。 元始祖気はここにあり、内には自然の真火がある」。
 偃月炉の上にある鼎が黄庭宮である。《青華秘文》にはこれについて詳しく解説している。
 「黄庭が鼎であり、気穴が炉である。黄庭は気穴の真上にある。糸が絡むように互いに連ねると、炉鼎になる。陰陽を炭として、烹煉する。黄庭 はこれは身上にあり、交会の時は、元気が立つ時である。この時に正に開いて、丹がその中に落ち、そこですぐこれを固める。……すべての気が鼎 に投入されて、密に封固すればするほど、烹煉は堅実になる。この炉鼎の場所はそうして有するのである」。
 選煉薬物 ── 根元を固め煉るための薬物を選択することは内丹の修練の鍵となる一環で、築基の主目的であり作業内容でもある。《悟真篇》 は次のように述べている。

咽津納気は人の行であり、
物が有ってはじめて万物が生じることができる。
鼎の内にもし真種子がなければ、
水と火で空っぽの釜を煮ているようなものである。

丹家は、丹を煉る物質的な基礎が「薬」であると考えている。外丹の薬は鉛・汞・朱砂・水銀などの鉱物であるが、内丹の薬は人体の先天の精・ 炁・神の三宝である。これらは至薬と呼ばれ、張伯端は「真種子」とも言う。しかし、人間は誕生してから、さまざまな生命活動によって、先天の 精・炁・神を非常に消耗するので、丹を煉ることができない。だから、築基によって後天の精・気・神を煉って保全し、それによって先天の精・ 炁・神を充足させ保全・補足して、内丹を修練するための薬物としなければならない。つまり、南宗の煉己築基は自身の後天の精・気・神を鍛練す ることによって消耗・欠損してしまった先天の精・炁・神を補うことである。後天の精・気・神が築基の段階の薬である。これは《悟真篇》にこの ように述べられている。

竹が破れたら竹で補い、
鶏を抱くには卵を用いる。
あらゆるものは似たものでなければ力を徒労し、
真鉛[真性]によく似ていることは聖なる機に合致している。

 煉己待時 ── 築基の実践方法が「煉己」である。「煉」は修練することであり、「己」は南宗丹法では自身の精・気・神の三宝を指す。そ の最初の実践は「守竅」である。張伯端の《金丹四百字》に言う。

薬物は玄竅に生じ、
火候は陽炉に発する。
龍と虎が交会する時、
宝鼎は玄珠を産する。
この竅は普通の竅ではなく、
乾坤が共に合して成る。
名は神気穴であり、
内には坎離の精がある。

 「玄関一竅」はこれまで丹家の間でも意見の分かれてきた問題である。その理由は、張伯端に始まってその事を秘密にしてきたことと、流派が 異なると解釈が違ったことによる。張伯端が《金丹四百字》の序文の中で言うには、
 「身中の一竅は、名を玄牝と言う。この竅は、心でなく、腎でなく、口や鼻ではなく、脾や胃ではなく、谷道[肛門]ではなく、膀胱ではなく、 丹田ではなく、泥丸ではない。この一竅を知ることは、冬至に関係し、薬物に関係し、火候にも関係し、沐浴にも関係し、結胎に関係し、脱体にも 関係している」。
 後世の丹家は「玄関一竅」あるいは「玄牝」に対して様々な説を唱えている。上丹田であるとか下丹田であると言う者もあれば、危虚穴であると 言う者もあり、またこの竅はないのであると言う者もある。しかし、実はどれも本当のことを言い当てていない。張伯端の言わんとすることを詳細 に考察すると、煉己築基の段階での「守竅」に用いる「玄牝」は、黄庭であるとするべきである。《青華秘文》の中で「黄庭が鼎であり、気穴が炉 である。黄庭は気穴の真上にある。糸が絡むように互いに連ねると、炉鼎になる」と述べられているのもこのことである。《金丹四百字》の序文 に、「玄牝」ではないとして羅列されている各関竅の位置に記されていないのは、黄庭だけである。これは無意識に書き漏らしたのではなく、実は 玄牝という穴が黄庭であることを暗示しているのである。これは丹家が神と炁を和合し、坎と離を交会させ、龍と虎を交媾させる場所であり、《悟 真篇》の言い方にしたがえば、「谷神が長じて不死であるようにするには、必ず玄牝を基礎にしなければならない」。

 守竅の法の要点は、心為君・神為主・気為用・精従気・意為媒である。

 心為君[心が君である]。
 心は神の舎[滞在する建物]で、一身の君主であり、内丹の修練を統制するものである。だから煉丹では心を第一に煉る。《悟真篇自叙》は、 「体を道に至らせようと思えば、本心を明らかにすることにこしたことはない。心というのは、道の枢[要となる部分]である」と述べている。 《青華秘文》では心の働きについて、「神はその命令に服従し、気はその竅に服従し、精はその呼びかけに従う」ということを強調している。また 煉心の法が内丹の「最初の修練」であることも指摘している。
 「さて心は静かにさせようとしても、欲念はやまない。欲念というのは、気の性が為すものである。この性は真性を酷使し、常に耳や目に密接に 関連しそれらの次に続く。内丹を修練する者は、心に事がなけらば、彼には無論これを酷使しようがない。その神を酷使するゆえんは、外物に耳を 誘われるからである。静座の時には、まず閉息の道を行う。閉息というのは、その人の呼吸の、一呼吸が終わらないうちに、次の一呼吸をこれに続 けることである。一呼吸が生じたら、後の呼吸を抑える。後の呼吸は抑えられるので、ゆるゆるとこれに続き、長くやっていると呼吸が定まる。呼 吸を抑えるには絶対に心を動かしては駄目で、心を動かせば呼吸を追いやってしまい、呼吸が止まらないで心が動いてしまうのである」。
 七情六欲は内丹を修練する時の主な障害で、必ず煉己煉心によって抑制し排除しなければならない。その具体的なやり方は結跏趺坐で座り、心を 静かにして、「閉息の道」を行うのである。その方法は一回の呼吸の後、しばらく息を閉ざし、そのあと深く、緩く、細く、綿々と吐き出したり吸 い込んだりし、心の中を調和して落ち着かせ、呼吸を均一に続けるのである。

 神為主[神が主である]。
南宗の内丹理論では、神は心の働きである。心の本体は無為であるが、動けば有為の神になる。つまり神は心から生じ、心が動けば神になるのであ る。静寂で動かないのが心であり、感じてすぐに通じるのが神である。神は心の中の火であり、また内煉の薬であり、龍・汞・火・烏・日などと符 号する。築基の段階では、神は元神と欲神に分けられる。「元神というのは、生まれる前からの一点の霊光であり、欲神というのは、気概の性であ る」(《青華秘文》)。煉丹では守竅煉心の法によって欲神を煉ってなくしてしまい、先天の元神を顕現させる。「徐々に削り取っていけば、主に 気概がなくなってしまい、そして本元が始めて現れる。本元が現れてから、事を行うことができる」。

 気為用[気が用である]。
 築基の時の煉己守竅が一定の火候に達すると、腎中の精が気に変わり、関を衝いて出て、三関を通り抜け、任脈・督脈に沿って動きく。これは、 「気通任督[気が任督を通る]」あるいは「通三関[三関を通る]」と呼ばれる。《青華秘文》は次のように述べている。
 「生じた元気を身体に巡らせるのだが、なぜ腎府で採ったものだけを用いるのだろうか。それは腎府の経路が、気穴と黄庭に直接達していること が、一つの理由である。腎は精府[精の貯蔵所]なので、精がすぐに精華を引っ張ってきてそれを使用するというのが、二つ目の理由である。ほか の場所に巡らせるのに捜し出すのが難しいが、精府であれば見分けることができるというのが、三つ目の理由である。意が下ればすぐに心気が腎を 突き抜け、それを採取するのに力を出しやすいというのが、四つ目の理由である。この四つの理由のために、真陽を腎府に採るのである」[《青華 秘文》気為用説]。
 精は人間の生命の根源的な物質であり、気は精が機能している状態である。精は神火によって気に変わると、督脈に沿って関を通り抜けて、自分 の用いるものとなる。だから「気が用である」と言う。しかし、気には先天と後天の区別がある。築基の段階では、大薬はまだ生じていないので、 後天だけで任脈と督脈を通し、先天の大薬なしに烹煉する。丹家はこれを気が任脈・督脈を通ることとし、薬を運ぶ河車の運転、つまり小周天の煉 精化炁とは区別する。しかしたとえこのようであっても、気が任脈・督脈を通るということは煉己守竅が成就することであり、人体の後天的な消耗 を補い、養生して病気を取り除くことに対してちゃんとした効果がある。それが「築基」の目的である。

 精従気[精は気に従う]。
 精は生命の根本であり、内丹修練の物質的な基礎である。築基の段階は、腎中の精が守竅による神火の作用の下で気に転化し、それが関を衝き督 脈に沿って動き、精を戻し脳を補う。だから「精は気に従う」といわれる。《青華秘文》が記述によると、「精は気によって生じる。精が腎宮に充 満して、気がこれに溶け込むので、気を伴って陽に昇り鉛となるのである。精がなければ元気は生じず、元陽は現れないので、どうして自分を益す ることができるだろうか。元神が現れて元気が生じ、元気が生じれば元精が産する」[《青華秘文》精従気説]。精には先天と後天の区別がある。 先天の精は炁を変化させ丹を煉る大薬である。築基の段階では大薬はまだ生じていないので、煉る精は後天の精である。大薬が生じた後、煉る精が 先天の精である。

 意為媒[意は媒である]。
 神は心によって生じ、意は神によって生じる。意は一定の修練を経て神から生じる機能・活動であり、仏教で説かれる「阿頼耶識」あるいは今で いう「潜在意識」に相当する。これは後天的な見識や思惟に邪魔されたり統制されたりしない潜在意識の活動であり機能である。このような「真 意」は一定の守竅の修練を積んだ上で生じ、「意土」と称する。丹家は真意を頼みとして神気を和合するので、「媒」あるいは「黄婆」という。 《青華秘文》によると、「意は媒[媒介]であるだけではない。金丹の道では、終始それが作用し、切り離すことはできない」[《青華秘文》意為 媒説]。築基の段階の守竅通関[竅を守り関を通すこと]はすべて意を媒介として進めていく。守竅の時は「意守丹田[意が丹田を守る]」を行 い、任脈・督脈を通す時には「以意領気[意で気を率いる]」と言う。
 南宗の煉己築基の目的は、消耗・欠損を補修し、基礎を打ち立てることにあり、煉心は命を修めることにかかわり、精気を補い導くことに重点を 置く。まず竅を守って心を煉り、それから竅を守って精を煉る。精は気を生じ、気は関を衝き、それから気は任脈・督脈を進んで精を煉り気を補 う。守竅煉心の時には正呼吸(呼気の時に下腹部が内に凹み、吸気の時に下腹部が外へ膨らむ)を用いる。これは調息ともいう。任脈・督脈を通す 時には逆呼吸(呼気の時に下腹部が外へ膨らみ、吸気の時に下腹部が内に凹む)を用いる。これは、術語では「ふいご」と称する。任脈・督脈が 通ってしまうと内気は呼吸に頼らなくても自然に巡るようになり、これは「法輪自転」あるいは「潜気運行」と称する。ここまでくると、後天の精 気神は次第に補足されて充足し、それが黄庭に集合・凝結て、その中に内丹の「外薬」が生じる。これは先天の真気がが発動したもので、「一陽来 復」あるいは「子時生機」と称する。薬を得たら次の段階に進むことができる。これは築基が完成したこと表している。この時点で、身体の基礎が 「煉己」によって堅固になるので、「三全」といわれる効果が現れる。精が満たされて欲について考えなくなり、気が満たされて食べることを考え なくなり、神が満たされて睡眠を考えなくなることである。これは内在する精力が満ちあふれ、強健であることを表している。外観的には、「神が 足りたことは目の光に現れ、気が足りたことは声の音に現れ、精が足りたことは歯に現れる」。

 

(2)煉精化炁

 煉己築基は煉丹の準備段階である。それを基礎にして、正式な煉丹へ進む。
 煉精化炁の段階は精を薬物とし、これを煉って真気に変える。この段階で煉る精は築基の段階で補った後天の精とは違い、前の段階で精・気・神 (凡薬)を煉って凝結させたことによって発生する先天の元精である。神火を元精と交合すると、新しい生命物質──炁が生じるので、煉精化炁と いうのである。
 丹法の築基の段階では薬はないが、煉丹の段階では薬がある。段階によって、薬は精・気・神の凝結する程度や過程が異なるので外薬・内薬・大 薬と呼んで区別する。煉精化炁の段階では、まず最初に外薬を煉り、その次に内薬を煉る。内薬と外薬が凝結すると「大薬」と呼ばれ、これは次の 段階の煉炁化神で用いる薬となる。
 薬が完成する過程は、二生二採と言う。二生は外薬が生じ内薬が生じることであり、二採は外薬を採り内薬を採ることである。これらの違うとこ ろは、外薬は生じた後に採り、内薬は採った後に生じることである。
 外薬煉採[外薬を煉り採る]。結跏趺坐で座り、目を閉じて入静し[心を落ち着かせ]、意を下丹田の気穴に注ぐ。これは、「臨炉起火[炉に臨 み火を起こす]」という。煉精化炁の段階では、炉は下丹田の気穴、鼎は泥丸宮であり、これを大鼎炉と言う。はじめ臨炉[炉に臨む]には、意で 気穴を照らし[気穴に意識をかけ]、それで陽が生じるのを待つ。《青華秘文》では、採取の法は心から生じると考えている。すべての念を忘れる と、はっきりしない中に真心が生じ、真心の中にまた真意が生じる。この真意で反光内照すれば[光を内に振り向けて照らすように真意を掛け る]、真息が長々と続き、「真息が長々と続けば、後天の気がそれによって定まる。後天が隠れれば先天の気が現れるので、陽が生じるのである」 [《青華秘文》採取図論]。意を用いる要点は、「目を閉じて心を観じるようにするが、心を陽宮に入れておく。徐々に収めて[押さえ込んで]ま た放てば[解き放てば]、陽が起こるのである」[《青華秘文》採取図論]。「陽が起こる」ことは、活子時ともいい、外薬が生じることである。 《青華秘文》はやり方について次のように述べている。
 「陽が生じるというのは、先天の気が気穴の中から流出して、腎中の〇に達し、泡が沸き立つような状態になることである。さて両方の腎の中間 には、気穴を通る一筋の経路があり、これは父と母が交わった後、始めて脈絡を生じたものである。だから先天の気はここに遊んでいて、このよう に感じると、身体のすべての脈は、春のようになってしまう。春というのははうららかでだんだんと長じていくという意味である。この時に先天の 体が始めて立ち、先天が立って後天がどんどん退き、そのあと採取しようという意を微かに動かすことができる」[《青華秘文》採取図論]。
 外薬が生じたらすぐに採らなければならない。産薬の時には、ペニスが勃起し、丹田の気が動き、全身にむず痒いような快感を感じる。これは 「消息」と呼ばれる。消息が現れたら、薬が動き出したことを神が知るから、急いで真意でそれを捕捉し、任脈・督脈に沿ってそれを運んで昇華し なければならない。この過程を「採薬」という。《悟真篇》はこれについて次のように言っている。

薬を産する川の源の場所について知らなければならないのは、
西南が本郷[本籍]であるということだけである。
鉛は癸の生じることに巡り会ったら必ず急いで採り、
金は望[満月]の後になったら味わうに堪えない。
土釜に送り帰し堅固に封じ固め、
次に流珠を入れてお互いに配当する。
薬の重さ一斤は二八でなければならず、
火候[火加減]を調えたり停めたりするのは陰陽にまかせる。

 採薬の後、意で炁を引っ張り、小周天火候で河車を運転する。薬を督脈に沿って動かし三関を通し頭頂にある泥丸の乾鼎の中に上げて、しばら くそこに停める。これは、「去鉱留金」という。そのあと頭頂の大鼎から上鵲橋・重楼を経て任脈に沿って降ろし、黄庭の上にもくもくと立ち込め たら、その下の炉に入れて封じ固めて蓄える。この過程は、「採薬帰炉」という。薬を煉って一回転することを、一個の小周天という。その意念と 呼吸の方法は、小周天火候という。小周天火候は必ず逆式呼吸を用いる。一周天するたびに、薬を一回煉ると数える。外から内へ転じるので、これ を外薬という。外薬を烹煉するには「玄妙機[深遠で微妙な道理]」の基準に従って三百六十回反復して運搬・錬成しなければならない。一回転す るごとに必ず炉の中に送り帰して封じ固め、それが一つずつ集積して凝結すると、内薬が生じる。
 内薬採煉。
 内薬は、《悟真篇》の詞によると、「内薬はやはり外薬と同じ、内が通じれば外も必ず通じる。丹頭は同類を和合したもので、温養には二種類の 作用がある」[《悟真篇》西江月十二首]。
 内薬というのは、外薬に対する言葉である。李道純の《中和集》によると、「外で陰陽が往来するのが、外薬である。内で坎離が一か所に集中す るのが、内薬である。外には作用があり、内は自然である。精気神の作用は二つあるが、その体は一つである」。丹家の考え方によると、内薬は外 薬を三百回運用して煉った基礎の上に生じるものである。内薬は、まず元神を運用し、それを三百回繰り返して烹煉した外薬と下丹田で結合させる と発生する。しかし、内薬は外薬の生成物ではない。それは、十分に烹煉された外薬によって発生を促進されるさらに高級で精緻な新しい先天の薬 物である。それは下丹田に生成した後、蓄えられていた外薬と次第に結合していく。だから、採った後に生じると言われるのである。翁葆光の《悟 真篇注》はそのやり方を次のように解説している。
 「聖人は己の真気を知った後に天地は陰に属して生じ、捕まえ難く失いやすい先天の一気を採るのである。真陽真陰の二八[2×8=16。古代 には1斤を16両とした]の同類の物は、一時辰の内に捕まえ、一粒の至陽の丹を錬成する。これは真鉛と呼ばれる。この造化[採薬運煉の機能] は外にあるので外薬という。この陽丹を己の陰汞に猫が鼠を捕まえるように添加する。陽丹は天地の母気であり、己の汞は天地の子気である。母気 で子気を伏するのだから、どうして同類でないことがあるだろうか。この造化は内にあるので内薬というのである」。
 内薬の発生には、周天の運転は用いず、「凝神入炁穴[神を凝らし炁穴に入れる]」という無為の頓法[急速に進む方法]を採用する。外薬を三 百回運煉したら火を止め、神が丹田に入ると、自然と内薬が発生するのである。内薬が生じたらすぐに外薬と結合させて丹母を形成する。この時に 「陽光三現」といわれる信号が現れたら、すぐに火を止めて「入環」七日の準備をする。内薬と外薬が結合し凝結した丹母を、大薬に錬成する次の 段階の煉炁化神に進む。「炁」は内薬と外薬が結合し凝結した薬であり、人体の先天の元精が神火によって精製された生命エネルギー物質である。
 以上の内薬と外薬の錬成が煉精化炁である。丹家はこれを採・封・煉・止の四字訣で総括している。「採」は産薬の後に採って炉に運んで投入し なければならないという採取方法のことである。「封」は採った後に薬を炉に送り帰し、薬物を丹田土釜に封じ固める封じる方法のことである。 「煉」は錬成方法のことであり、薬物を封じ固めた後は必ず繰り返し河車を運転して、進火退符[火を進め符を退ける]・去鉱留金[鉱石を取り去 り金を残す]を行い、薬物を質のない炁に変化させ、丹母を錬成するのである。上に述べた三つの方法は有為の漸法[ゆっくり進む方法]に属す る。「止」は「止火」のことである。三百回繰り返して採・封・煉を行った後、目の前に「陽光三現」が出現するが、その二現が現れたら、内薬と 外薬が結合して丹母になったことを示しているから、すぐさま火を止めなければならない。さもないと火候[火加減]が強すぎて丹が老いてしま う。火を止めた後は温め養うようにすると、精は炁に変わってしまうから、この炁を神に変える次の段階に進む。

 

(3)煉炁化神

 内丹の道では、煉精化炁で生成する物は「炁」である。炁は精・気・神の三つの薬物を烹煉し結合して出来たものであり、その過程では神火で 精気を煉り、三から二に帰して、炁に凝結させるのである。これは「初関」と呼ばれる。丹母である炁をさらに神と一つにして煉り、炁を煉って神 に入れ、二(神・炁)から一(神)に返す過程は、「中関」と呼ばれる。
 煉精化炁では、精を内薬や外薬とする。煉炁化神では、炁を大薬とする。大薬は「胎児」・「嬰児」などとも呼ばれる。先天の精気を人身の「真 種子」として生育した後、神が炁に入り、炁が神を包み込む様子は、胎児が母の子宮の中で育まれる様子になぞらえられる。だからこのように呼ば れるのである。《悟真篇》に言うには、

三五一の三つの字は、
古今に明らかにした者は実に稀である。
東三南二が同じくして五に成り、
北一西方四はこれを共にする。
戊己は自ずと帰して数の五を生じ、
三家が出会って嬰児を結ぶ。
嬰児は一であり真気を含み、
十カ月で胎は完成し聖に入る基となる。

 これは河洛の数によって五行が中に帰すことを説明し、気が黄庭に集まり丹を結ぶ過程を表現している。清代の劉一明の《悟真直指》は次のよ うに解釈している。「四象を和合し、五行を一か所に集めれば、精気神が凝結するから、三家が出会うという。これは名を嬰児といい、また先天一 気ともいい、また聖胎ともいい、また金丹ともいう」。翁葆光の《悟真篇注》によると、「嬰児というのは、丹である。丹は一であり、一は真一の 炁であり、天地の母炁である。己の真炁は、天地の子炁である。母炁を飲み込んで五の内に入れ、子炁を伏してやれば、猫が鼠を伏すようにそれは 動き回らなくなる。子母の炁は胞胎の中でお互いに恋しがり、一つに凝結して嬰児になる」。
 煉炁化神の段階の炉鼎は煉精化炁の段階のそれとは異なる。煉精化炁では小周天火候を用い、泥丸を鼎とし、丹田を炉とし、それを大炉鼎といっ た。煉炁化神では大周天火候を行う。鼎は下に移して、黄庭を鼎とし、下丹田を炉とする。元炁を黄庭と下丹田の間の虚ろな所にもくもくと立ち込 めさせ、黄庭と下丹田の間を守ることだけを修練する。一つの竅を固く守るのではなく、自然に任せ融通性があるようにする。これは小炉鼎とも言 う。金丹をその中で烹煉する。これを母子になぞらえると、懐胎・移胎・出胎となる。
 煉炁化神の火候の方法には、採大薬・過関・移鼎・服食があり、最後に十月大周天に進む。「十月」というのは、丹家がこの段階を「十月懐胎」 の過程に例えたもので、「十月関」ともいうが、これは修練の過程を抽象的に表現しただけにすぎない。「十月」の説に基づいてその修練法の手順 を解説する。


道胎図(《慧命経》より)

煉神還虚の段階の「十月養胎」を象徴的に表している

 ①七日。

採大薬過関[大薬を採り関を通過する]と移胎服食[胎を移し服食する]である。陽光三現が出現し、大薬が生じてそれを採るまでの段階は、初 関から中関への過渡的な段階である。これは煉炁化神の鍵であり、その手順や方法は普通とちがって重要で複雑である。主に採工・正子時・大薬出 関などからなる。

 採工。
 陽光三現が出現すると、炁は鼎の中に集まる。集まった炁は鼎内に隠して出さないようにする。必ず七日火候を用い、性光で静かに照らしてやれ ば、鼎の中に火珠が姿を現し、胎児が形成され、大薬が自然と生じる。このスッテプは専ら性[先天的な心]を修練し、神を凝らし静かに照らす [意識をかける]。《金丹四百字》に言うには、「虚無が白雪を生じ、寂静が黄芽を発する。玉炉の火は温かく、金鼎が紫霞を飛ばす」。《悟真 篇》によると、「ぼんやりした中に有象を尋ね、影も形もない暗い内に真精を捜す。有無はこれより自ずと入り込み、どのように考えて成すことが できるのかいまだにわからない」。丹家は大薬を生じる採工のやり方には四種類あると考えている。それは、交感したら生じる(神と炁が交感して 大薬が成る)やり方、媒介によって合したら生じる(意土の黄婆を媒介として神と炁を合して大薬を生じるようにする)やり方、静寂が安定したら 生じる(元神が静寂の安定している中で黄庭を静かに照らせば、大薬が自然と生じる)やり方、呼吸を安定したら生じる(真息が定まれば大薬が生 じる)やり方である。実際にはこの四種類の採工はすべて入定観照[定に入り観照する]の修練であり、どれか一つの要点を重点的に述べたものに すぎない。

 正子時。
 子時は薬が生じるときの感覚や様相である。煉精化炁の活子時は、薬が動くことであり、その現象が現れたら薬を煉る。煉炁化神の正子時は、大 薬が発生する時の六つの現象で、「六根震動」と称する。それは、丹田では火が激しく燃え、腎では湯が沸いているようになり、眼からは金色の光 が出て、耳の後ろでは風が起こり、頭の後ろでは鷲が鳴き、身は沸き立つようで鼻が引き付けたりすることである。この六つの現象は採工の七日の 三日か四日ぐらいで徐々に現れ、大薬が得られたことを表している。

 大薬出関。
 大薬が気穴に生じると、それは活発に動き回って勢いよく心の位置まで上がっていく。心の位置には留まることができないので、それは自然にま た下丹田に戻り、そのあと尾閭に突き当たる。尾閭を通り抜けなくても炁はまた上へ行こうとするから、それに伴って意を少しずつ上へ引っ張れ ば、大薬は尾閭から夾脊へ行き、玉沈を経て、泥丸を過ぎ、印堂を渡り、十二重楼を下へ降りる。下鵲橋を通過する時は木で谷道[肛門]をしっか り支えて塞ぎ、上鵲橋を通過する時は木で鼻の穴を挟み閉じるようにするのがよい。それによって大薬が漏れることを防ぐのである。また下田に戻 ると、神と炁は凝結して、黄庭に存する。この過程を「服食」という。この時には百脈は穏やかで、四肢には滞りがなく、急に左右に36回旋回し て止まり、また24回旋回して止まるように感じる。これは「安宮旋転、換鼎移胎」という。この後、金丹である大薬は黄庭で落ち着くから、神と 合わせて煉らなければならない。目の光で常に照らすと、大薬は中丹田と下丹田の間にもくもくと立ち込めて旋回する。これは「守中」という。こ の時には三関九竅の塞がっていた所はすべて開いてしまうので、「開竅通関」という。この七日の煉薬が終わったら、大周天十月関に進む。

 ②十月大周天

 七日採工が終わり、大薬が生じたら、中関の十月大周天火候を用いる。この火候の特徴は入定観照[定に入り観照する]であり、専ら性を修練 するところが、小周天の河車の運転の火候とは異なる。その方法は綿密に静かに照らす[静かに意識をかける]ことであり、神が炁穴に入り、微動 していた炁の本体が動かなくなってしまうと、真意の運用も両目によって観照していたのが無感覚になっていく。これは「内定」という。
 1~3か月は、胎の形はまだはっきりせず、神と炁は一つに合するが安定せず、大薬は昇ったり降りたり、動きが止まらない。この時は微かに真 意で静かに照らしてその動きを定めなければならない。3か月を経たら、動いていた神炁は落ち着き、中丹田と下丹田の間を微かに動き臍輪の虚ろ な所を上下するだけである。この時は守中致虚[中を守り虚に至るようにする]を続ける。両目で観照し、何の思念も起こらないようにし、考え事 が浮かんでも忘れ去り、神を自然と凝らし呼吸を自然と落ち着かせる。
 4~5か月になると、大周天火候は爻象[易の爻の象意]で計らず、あるのかないのかわからないが、温め続けていると、ついに大定に入ってい く。この時、胎の形がやっと出来上がり、神がその霊胎とだんだんと合して陽神、つまり金丹に成る。これは炁が次第に神に変化することを表して いる。炁はこの段階で少しずつ煉られて少しずつ変化し、元神である聖胎を育てる。炁が神に転化するのに伴って、陰気は日を追うごとに減ってい き、陽気は日を追うごとに増えていき、胎児は日を追うごとに成長していく。
 6~7か月になると、定功にすっかり熟練し、胎児はすっかり出来上がる。心は生じたり滅したりせず、昏睡することはまったくない。体内の陽 の性質が盛んになり、陰の性質は消えていく。常に定功を継続し、意も境[場所、状況]も忘れ、胎児を養育する。
 8~10か月になると、胎功[胎児を育てる修練]はすっかり完成し、金丹は煉り上がり、陰の性質は完全に消えてしまい、体は純粋に陽の性質 に変わってしまう。この時の修練は自然であるようにし、無為を為すことに熟練しているから、その自然に従っていると、神は大定に帰し、「六 通」が現れ、胎が完成し丹が出来上がる。
 上に述べた大周天火候は、《金丹四百字》によると、「家園の景物[四季折々の自然の様子]は麗しく、風雨は正に春深い。すきやくわで力を費 やさなくても、大地はすべて黄金だ」。このような火候の運用は、「四正沐浴」といい、子・午・卯・酉の四つの正方位を四時[四季]に例える。 それは大周天火候で黄庭と丹田の間に二炁がもくもくと立ち込める様子を象徴している。大周天火候では、常に意で綿密に静かに照らし、微かな火 で蒸燻[蒸し暑くすること]しなければならない。しかし、それには時を定めることがあるけれども、また時を定めることもない。《金丹四百字》 は、「火候には時を用いず、冬至は子に在るのではなく、その沐浴法では、卯酉は無意味な例えに成る」と述べている。
 十月の修練を完成させるには、「移胎」を行わなければならない。「遷法」によって「胎児」、つまり陽神を下・中丹田から上丹田に移し、上丹 田を虚空の空間に変え、陽神によって性宮を静かに照らす。この時は陽神はすでに出来上がっているがまだ強くはないので、乳を飲ませて養う煉神 還虚の段階に進まなければならない。

 

(4)煉神還虚

 この段階は内丹の境界で、修練の最終段階でもあり、「上関」という。道教の内丹家は、煉炁化神によって二(神・炁)が合して一(神)にな り、精・炁・神の三宝の大薬はすべて煉られて陽神に変化すると考えている。陽神はさらにこの段階の修練によって、一(神)から無(虚)に戻る のである。そのようになると無為に熟練し、融通無礙になり、天地と同じように永久に存在し、大いなる解脱を得て、生命はもはやさまざまな自然 法則(四大)や肉体の束縛を受けず、天仙に成ってしまう。《悟真篇》ではこれについて次のように言っている。
 「私には一輪の明月があったが、今までずっと覆い隠されて暗かった。今朝瑩[光沢のある玉に似た石]を磨き乾坤を照らしたら、万象[すべて の事象]は非常に明らかで隠しがたくなった」。
 これは丹家が還虚によって追い求める理想であり、丹を煉り虚に戻ることによって、妨げられることなく、すべての事象を明らかにし、天地と一 つに合して、宇宙と体を同じくする「天仙」の境界に到達しようとするのである。
 還虚の法は、丹家が九年に例えて説明するので、「九年関」ともいう。しかしこれは実際の時間を指すのではなくそれに要する時間が非常に長い ことを示してしるのである。前の三年は「哺乳」といい、後の六年は「温養」という。
 「哺乳」は、煉炁化神の後、陽神を上丹田の泥丸宮に移し、意念で観照して、静かに内守し、陽神を徐々に強化していくことである。三年の修練 が完了すると、六通が完全する。また素晴らしい風景が現れ、吉祥の雪が舞い、花が散って乱舞する。やがて天門が急に動き出し、骨と肉が離れる ような感じで微かに分かれる。これが「出胎」の様子である。その次に六年温養の段階に入る。
 「温養」は、陽神を養い終わった後、常に意念を用いて面倒を見ながら、陽神を少しだけ出してすぐに戻し、近づけたり離したりして、育成する ことである。この段階も専ら性を修練であり、静かに上丹田性宮を照らす[意識をかける]。九年が完成したら、道と合し、丹功は完成する。《悟 真篇》が言うには、「真空の空であり空でないことを理解し、どこが妨げなのかを明快にする。根塵や心法はすべて無物であり、妙用してようやく 物と同じであることを知る」[巻四、圓通頌]。


出胎図(《慧命経》より)

煉神還虚の段階の「陽神出頂」を象徴している

 「煉神還虚」は宗教的な境界であり、信仰の範疇に属する。

 

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