唐末・五代から宋・元にかけて内丹は盛んに行われた。鍾呂丹法はその最初に流行した丹法である。この丹法系統の代表的な経典には、鍾離権
と呂洞賓の名を記した《霊宝畢法》・《破迷正道歌》・《霊宝篇》・《指玄篇》・《九真玉書篇》・《伝道篇》、および呂洞賓の弟子の施肩吾が宋
代に編纂した《鍾呂伝道集》・《西山衆仙会真記》・《修真指玄篇》などがある。その中で鍾呂丹法について最も詳しく述べているのは《霊宝畢
法》と《鍾呂伝道集》である。《霊宝畢法》は内丹の方法に重点を置き、《鍾呂伝道集》は内丹の理論に重点を置いている。
《霊宝畢法》は丹法を小乗・中乗・大乗の三乗法に分け、それぞれの乗が数種類の方法が含まれている。《鍾呂伝道集》には丹道十八論が含まれ
ている。この節では《霊宝畢法》を主として、《鍾呂伝道集》などを参照にしながら、鍾呂の内丹の主要な方法と特色を紹介する。
1、小乗安楽延年法四門(修人仙法)
(1)匹配陰陽[陰陽を結び付ける]
この節は陰陽に順応する自然養生の道を論じている。養生の目的は「安楽延年」であり、心身の健康と長寿を追求する。これは内丹の基礎とな
る初歩の修練であり、内丹の「築基」という基本的な修練である。
鍾呂は、「安楽延年」の修練は主に天地自然の道を真似て自身に適用するものであるとしていた。
「道は万物を生じ、天地は物の中の大きなものであり、人は物の中の優れたものである。道に求めることは別にして、人は天地と同じである。心
は天に対応し、腎は地に対応する。肝は陽位であり、肺は陰位である。心と腎は八寸四分離れている。天地に満ちているものも対応させると、気は
陽に対応し、液は陰に対応する。子・午の時は、夏至・冬至の節季に対応し、卯・酉の時は、春分・秋分の節季に対応する。一日は一年に対応し、
一日に八卦を用いると、時は八節に対応する」。
このような人と天、自然と身体の「比喩」から、鍾呂は、人体の内部に周期的に「気液相生[気から液が生じ、液から気が生じる]」の「生体時
計」のリズムが存在し、これは生命に内在する基本的なリズムであると考えた。その規律は、
「子時には腎の中に気が生じ、卯時には気が肝に至る。肝は陽であり、その気は旺である。陽が昇って陽位に入るので、これは春分に対応するの
である。午時には気が心に至り、気が集まって液が生じる。これは夏至に陽が天まで昇って陰が生じることに対応するのである。午時には心の中に
液が生じ、酉時には液が肺に至る。肺は陰であり、その液が盛んである。陰が降りて陰位に入るので、これは秋分に対応するのである。子時には、
液が腎に至り、液が集まって気が生じる。これは冬至に陰が地まで降りて陽が生じることに対応するのである。一回りするとまた始めにもどり、運
行は終わらない。日月の循環は、損なわれたり欠けたりせず、自ずと寿命が延びる」。
鍾呂のこの「陽気陰液循環相生」説は非常に特徴的なものである。彼らは人体の気液と自然の一年十二カ月と一日十二時には共通した、あるいは
シンクロナイズした陰陽の移り変わりの規律が存在していると考えていた。しかし人はなぜ天地一般と同じように長生できないのだろうか。この原
因はこうである。人は「胎が完全になり気が足りてから後、六欲七情が元陽を消耗してしまい、真炁を失う。自然の気液相生はあるけれども、天地
のように昇降することはできない。また呼吸のたびに元気が出入りする。しかし、天地の気に接して、これが入ってきても留めておくことができ
ず、呼気[吐く息]といっしょにまた出ていき、本宮の気は、逆に天地が奪ってしまうのである。だから気が散じて液が生じにくくなり、液が少な
くなって気が生じにくくなる」。この認識に基づいて、鍾呂は「匹配気液相生の法[気と液を結び付けて互いに生じるようにする方法]」を提案し
た。この方法の主旨は「気を閉ざして液を生じ、液を集めて気を生じること」である。具体的なやり方は、
「その気が旺盛な時は、日用の卯卦で、この時には入ってくる気が多く出ていく気が少なく、腹によく留まる。その時に、下から昇ってくるもの
は出さずに、外から入ってくるものはしばらく留めるようにする。二気は互いに合し、蓄えられて五臓の液を生じる。元に戻ってくるのがますます
多くなり、日々修練を続け、効果が現れてきたら止める」。
この方法は、実際には魏・晋の葛洪などの「胎息法」である。この修練法の主張は、卯卦の陽気が昇り旺盛な時(朝の7~8時に相当する)に、
「天地の正気をたくさん吸入し、自己の元気を少しだけ吐き出す。二気を互いに合すると、気が蓄えられて液が生じ、液が多くなって気が生じ
る」。一年間習練すると養生の効果が現れる。「十日たてば効果が現れる。食欲が出て病気は消える。頭や目はすっきりして、心腹はさっぱりして
心地よい。力がみなぎって疲れることが少なくなり、時には腹の中に風や雷のような音が聞こえる。その他の効果はいちいち記さない」。これは健
身長寿のためによい方法の一つと見なせる。
(2)聚散水火[水と火を集めたり散らしたりする]
この修練法は「匹配陰陽」の基礎の上に行うものである。その人天「比喩」の道では、心腎が天地に対応し、気液が陰陽に対応し、一日が一年
に対応する。日用の艮卦は、一年の機能の立春の節季に対応する。乾卦は一年の機能の立冬の節季に対応する。冬至には陽が生じて上昇し、立春の
時には陰位の中に陽が生じる。夏至には陰が生じて下降し、立秋には陰が陽位の中に降りる。
上に述べた天人相比[天と人が対応すること]の法則に基づき、後天八卦の運行の規律を人体に適用すると、一年の春分あるいは一日の丑寅時
(午前3~4時)は艮卦に代表される。この時は、「腎気は下の膀胱に伝わり、液の中で微弱になり、陽気が昇りにくい時である」。また一年の立
冬あるいは一日の戌亥時(午後11~12時)は乾卦に代表され、「心液は下降し、元に戻ろうとして、再び腎の中に入り、陰が盛んで陽の絶える
時である」。鍾呂は、人の体が弱く病気が多いのは、「ただ陰陽が不和で、陽が微かで陰が多いので、病気が多い」のであると考えた。なぜこのよ
うになるのだろうか。原因は「ただ人にあるのである。艮卦では気が微かであるのに、気を養うことを知らず、乾卦では気が散じてしまうのに、気
を集める理屈を知らない。昼夜を問わず六欲七情によって、元陽を擦り減らしてしまうので、真気は旺盛にならない。真気を失ってしまうので、真
液を生じない。だから天地のように長く存在することができない」。
上に述べた状況に焦点をあてて、鍾呂は「艮卦養元気法」と「乾卦聚元気法」を考案した。
艮卦養元気法は、「散火」あるいは「小煉形法」とも言う。その方法は、午前3~4時に、「着物をはおり静かに座って、その気を養い、念を
絶って気を養い、念を絶って情を忘れる。導引をすこし行い、手脚を交互に3~5回伸縮し、四体の気を整え生じるようにする。内に保った元気は
上昇して、心府に向かう。あるいは津液を1~2口飲み込み、頭や顔を20~30回摩擦し、夜の間にたまった汚れた気を吐き出す。長く行ってい
ると色艶がよくなり、皮膚が潤ってくる」。
乾卦聚元気法は、「聚火法」あるいは「太乙含真気法」とも言う。その方法は、午後11~12時に、「部屋に入って静かに座り、気を飲み込み
筋肉を動かして腎を外に引き付けるようにする。気を飲み込むのは、心火を下に納めることである。筋肉を動かして腎を外に引き付けるのは、膀胱
の気を内に収めることである。上と下が腎気の火に合するようにする。三火が集まって一つになって、下田[下丹田]を補い暖める。液がなくても
気を集めれば液が生じ、液があれば液を煉り気を生じる」。
水火聚散法の効果は「新しい気を取り入れ、膀胱の気を抑えて消耗させずに、腎気に合わせれば、坎卦に接している気海の中に新しい気を生じる
のである」。その効果は一年で現れる。顔色がよくなり、皮膚はつややかになり、下田[下丹田。下腹部]が暖かくなり、小便は減り、体は軽く健
やかで、精神は爽快で、病気はすべて消えてしまう。
(3)交媾龍虎[龍と虎が交わる]
この法は「聚散水火」の基礎の上に行う。その理論根拠は陰陽が昇降を転じる天道の規律である。「陽が天まで昇り、それが極まると陰を生
じ、それは奥深くに陽を抱いて下降する。陰が地まで降りると、極まって陽を生じ、それはぼんやりと陰を負って上昇する。昇降するたびに、陰は
降り陽は昇る。天地は道を行い、万物が生成する」。この天道の自然法則によって内丹を煉るとすると、「身外は太空に対応し、心腎は天地に対応
し、気液は陰陽に対応し、子午は冬夏に対応する。子時は坎卦と言えて、腎の中に気が生じる。午時は離卦と言えて、心の中に液が生じる。腎気が
心に至ると、腎気と心気は合し、それが極まると液を生じる。液を生じるのは、腎の中からやって来る気の中に真水が含まれるからであるが、その
水は無形である。離卦に心に至って、心気と接し、それが極まって液を生じるのはそういうことである。心液が腎に至ると、心液と腎水は合し、そ
れが極まると再び気が生じる。気を生じるのは、心の中からやって来た液の中に真気が含まれているからであるが、その気は無形である。坎卦には
腎に至り、腎水に接して、それが極まって気を生じるのはこういうことである。これは陽が昇り陰が降りることに例えることができ、極まってしま
うと相生する。生じた陰陽は、陽の中に水を隠し、陰の中に気を隠しているのである」。
鍾呂の考えによると、腎の中に生じる気の中には「真水」が含まれていて、これが坎の中の陽であり、「虎」である。
心の中に生じる液の中には「真気」が含まれていて、これが離の中の陰であり、「龍」である。真水と真気を交わらせることが、坎離相合[坎と離が合す
ること]であり、龍虎交媾[龍と虎が交わること]である。その方法は「龍虎交媾の法」と言う。方法は、
「離卦の時には腎気が心に至っている。神[意識]の働きを内に定め、鼻で息を少し入れてゆっくり出し、綿々と続ける。口に津[唾液]がたま
ればそれを飲み込む。そうしていると腎気と心気は自然に一つに合し、それが極まると液が生じる。坎卦の時には心液が腎に至っている。それが腎
水に接すると、心液と腎気は自然に一つに合し、それが極まると気が生じる。真気は液を恋しがり、真水は気を恋しがり、液は真水の同類であり、
もともと自然に一つになっている。だから液の中には真気があり、気の中には真水があり、相互に交わり、互いに求め合って下る。これは交媾龍虎
[龍と虎を交わらせる]という。もし火候[火加減]が適当で、抽出と添加が適当であれば、三百日の間真胎を養うと大薬が完成する。これは質を
煉り身体を加熱し、朝元超脱[元に向かい超脱すること]のための基本である」。
この法も後天八卦の図式を用いる。離が南、坎が北で、離は心であり、坎は腎である。修練を行う時は、意識を落ち着かせて、丹田に意識を掛
け、呼吸は均等に細く長く続ける。一定の時間修練を続ければ一陽が動き出し、腎気の中の真水(虎)が上昇し、心液の中の真気(龍)が下降し、
それらが土釜黄庭で出会って一つになる。水と火協調させて、それを煮詰めて練成し温養するとやがて丹が出来上がる。この過程は、天道の陰陽の
昇降交会を真似たものである。だから離卦の時というのは正午に当たり、離の中の陰が真龍であり、「人の場合は心が離宮であり、元陽が真龍であ
る」。坎卦の時というのは正子に当たり、坎の中の陽が真虎であり、「真虎は腎の中の水、真龍心液の中の気である」。修練を行う時、「一気が初
めて回り元が動くが、冬至を胎とすれば、これは子月であるので、真陽は離宮へ行こうとする。離卦を期とすれば、これは午時である。真龍は心液
の中の気であり、真虎は腎気の中の水である。気と水が合することを、龍虎交媾と言うのである」。その効果としては、口には甘い唾液が生じ、情
欲が動かなくなり、全身の病気はなくなってしまう。また、不思議な光が暗闇の中に現れ、それが稲光のように光って驚かされることもある。晩年
に体に栄養をつけて「採補還丹」を行い、寿命を延ばすことを、「人仙」という。中年に修練し、「三百日かけてその真胎を脱すること」は、「胎
仙」と呼ばれる。
(4)焼煉丹薬[丹薬を加熱・錬成する]
この法は「龍虎交媾」の基礎の上に行うものである。「龍虎交媾」は「採薬」であり、外丹では鉛や汞といった薬物を採取することに相当す
る。「龍虎交媾」を三百日行い、胎が脱して薬が出来上がれば、この「真薬」を「焼煉[加熱・錬成]」することへ進む。その人天「比喩」の道
は、「真陽は心液の中の真気に対応し、真陰は腎気の中の真水に対応する。真水は真気がなければ生成せず、真気は真水がなければ生成しない。真
水と真気が、離卦において、心の上、肺の下で和合する。その様子は、子供と母親が互いに恋しがるようであり、夫婦が互いに愛し合うようであ
る。離から兌に至るが、兌卦は陰が旺盛で陽が弱い時であり、日月の下弦に例えられ、暗闇の中に金や玉があるようなもので、用いることはできな
いのである。日月は陰から陽を生成し、数が足りると明を生じる。金玉は陽から陰を生成し、気が足りると宝を生じる。金玉が宝に成るのは、気が
足りて陽に進むからである。日月が明を生じるのは、数が足りて魂を受けるからである。坎卦において火が進むことをなぞらえれば、陽を煉って衰
えることがないのは、火が数を加えることによって陽は長生するからである」。
この法は後天八卦を応用している。龍虎交媾の「真水真気」は、心の上、肺の下の所、つまり離卦の位置で和合する。これは「離卦採薬」とい
う。採薬の後は丁寧に意識を掛けるべきであり、すぐに「進火[火を進める]」を行わずに、意念と呼吸を働かせる。このため後天八卦の西方兌卦
の時刻は、「陰が旺で陽が弱い」時なので、「用いることはできないのである」。西北方の乾卦で修練する場合、これはちょうど戌亥の時で、「気
液は元に戻ろうとして、膀胱の上、脾胃の下、腎の前、臍の後ろ、肝の左、肺の右、小腸の右、大腸の左で発生する。その時は脾気と肺気が旺盛
で、心気は絶えて肝気は弱い。真気は本来は陽気と合して出来るものなので、真気の求める陽気が弱くなっていていると、努力は無駄になる。した
がって採合[採取して合わせること]は必ずこの時に行う」。戌亥の時には、気液は、西北の郷、後天八卦の乾位まで行く。この時、人体の黄庭土
釜の中に、微弱ではあるが真気が発生するので、必ずこの時に「採合」を行う。これが「乾卦進火」であり、「坎卦焼煉勒陽関」ともいう。その方
法は、
「意識を内に向け、呼吸は鼻で綿々と続ける。腹に少し力を入れて、臍や腎にはなはだしい熱を感じるようなら、緊張を緩める。腹の臍が熱くな
らないようなら力を入れてぎゅっと締める。だんだんと熱くなってくればそれを保ち続け、任意にその意図を放して乾坤[頭と腹]を満たす。これ
は、勒陽関煉丹薬[陽関を制御し丹薬を煉る]といい、気を上に行かせずに真水に凝固する。脾宮を経て、呼吸に伴って命府黄庭の中に運搬する。
気液造化の時、それは精に変化し、精は珠に変化し、珠は汞に変化し、汞は砂に変化し、砂は金に変化する。これは金丹という」。
「勒陽関[陽関を制御する]」というのは、臍と腎の間に熱い感じが生じるまで意念を下丹田の黄庭土釜に集中し続けることである。熱感が強け
れば、意念と呼吸は力を入れず柔らかくする。熱感が弱ければ、意念と呼吸は強く堅くする。前者は文火であり、後者は武火である。鍾呂は、採薬
してから百日たつと薬の力は完全になると考えていた。「凡薬の力が完全になり、それから火を進め数を加えることは、火候[火加減]という」。
二百日たてば「聖胎は堅くなり」、三百日たてば真気が生じる。「だいたい聖胎が強固になった後、火候に小周天数を加える。これは小周天とい
う。だいたい胎が完全になり真気が生じれば、火候に大周天数を加える。これは周天火候という。採薬して龍虎を交わらせ、煉薬して火を進めれば
ようやく道に入ることになる」。三百日の間煉って真気が生じれば、「胎仙」が煉り上がる。老年の人がこの方法によって「採補」を行うことは、
「煉汞補丹田[汞を煉り丹田を補う]」という。その補法は「日用の離卦で採薬することを止め、乾卦で加熱・錬成して陽関を制御する。春と冬は
採[採取すること]を多くして焼[加熱すること]を少なくし、乾は一で離は二にして、いっそう努力するのである。秋と夏は採[採取すること]
を少なくして焼[加熱すること]を多くし、離は一で乾は二にして、いっそう努力するのである。年月とともに気が旺盛になり、採焼[採取・加
熱]の効果が現れる。寿命を延ばして、人仙になることができる」。
2、中乗長生不死法三門(修地仙法)
(5)肘後飛金晶
「匹配陰陽」などの四法は、鍾呂丹法の初歩の修練法であり、その主要な技術は離卦採薬と乾卦勒陽関である。前者の仕組みは「腎気と心気が
合する」ことで、その炉鼎は中丹田と下丹田の間の中宮黄庭であり、術語では「下(丹)田が中(丹)田へ返る」という。後者の仕組みは「気を上
へ行かせずに真水に固める」ことで、命府は脾宮を経て、呼吸にともなって命府黄庭の中に運搬し、「中田が下田へ返る」という。この基礎の上
に、「胎仙」あるいは「人仙」の修練を完成させる。
「人仙」を基礎にして、中乗「地仙」の修練段階に進む。その最初が「肘後飛金晶[肘後に金晶を飛ばす]」である。「肘後」というのは督脈の
ことであり、「金晶」は丹道によって感知される現象に対する仮の名称である。そのありさまを日月の運転に対応させると、「日月が交わり合する
ことは、火を進める加減の方法に対応するのである」と見なす。鍾呂は、「肘後飛金晶」というのは、「離卦採薬」と「乾卦勒陽関」の基礎の上で
の「三元の用法」であると述べている。その要旨は、
「離卦採薬[離卦に薬を採取する]、乾卦進火焼煉勒陽関[乾卦に火を進め加熱・錬成して陽関を制御する]を始めてから百日たつと金晶を飛ば
し脳に入り、三関をひと突きして、真っすぐ上宮の泥丸に入る。坎卦から始まり、艮卦で止まる」。
「金晶を飛ばし脳に入り、三関をひと突きする」というのは、「還精補脳、循督冲関[精を戻して脳を補い、督脈を循環し関を衝く]」と丹家が
言っているものである。鍾呂は次のように述べている。
「また人の身体の脊柱の二十四節のうち、下から三節は、内腎に対応する。上から三節は、名を天柱という。天柱の上は、名を玉京という。天柱
の下は、内腎に対応し、尾閭の上には十八節あるが、その真ん中は双関という。その上九節と下九節を、百日かけて定めるようにし、十八節を一通
りして泥丸に入る」。
丹家が焼薬[薬を加熱すること]し、子時坎卦に一陽が初めて動いて、督脈に沿って三関を通り抜けることが、肘後飛金晶[肘後に金晶を飛ば
す]である。鍾呂が言うには、
「必ず正一陽の時に、坎卦で執り行うことは、肘後飛金晶[肘後に金晶を飛ばす]というのである」。
肘後飛金晶法は後天八卦の図式の、離午と坎子を用いる。その修練法は、
「坎卦には陽が生じて、正子時に当たるが、始まりでも終わりでもない。艮卦には腎気が肝気と交わる。交わる前は、静かな部屋の中で着物を羽
織り握固[両手の親指を曲げ、その上から他の4本の指を握る拳の握り方]し、足を組んで座り、腹を緩める。しばらくの間身を高くし、胸を前に
出して頭を後ろへ倒し気味にする。夾脊双関を後ろへ閉じるようにし、肘は後ろへ軽く1~2回動かし、腰を伸ばす。尾閭穴で火が燃えているよう
になり、腰から起こり、夾脊を取り囲むが、慎重にして関を開かない。その時に熱気が非常に強ければ、次第に夾脊関を開き、気を放ち関を通過す
る。頭を仰向け気味にたままで、緊張させて倒して上関を閉じ、慎重にしてこれを開かない。すぐに熱が極まり気が強くなるのを感じ、次第に関が
開いて頂に入り、それによって泥丸髄海を補う。身体が寒さや暑さに耐えてこそ、長生の基礎となる」。
この法は「下田が上田へ返る」ともいい、下丹田の真炁は坎卦子時に一陽が初めて動き、気を引っ張って順々に督脈の尾閭・夾脊・玉沈の三関を
通し、上って行って脳の中の上丹田である泥丸宮に真っすぐ入れるのである。そのほかに、「還丹の法」というものもある。
「次に還丹の法を用いる。胸を前に出し腰を伸ばすようにし、夾脊を閉じ、しゃがんでこれを伸ばし、腰の所に火が起こらない。静かに座って体
内を観照するべきで、方法のとおり再び行い、火が起こることを目安とする。丑からこれを行い、寅で終わって止める。肘後飛金晶といい、抽鉛
[鉛を抽出する]ともいう。腎中の気に肝気を生じさせるのである」。
上に述べた修練法は、《鍾呂伝道集》では「河車搬運」といい、龍虎が互いに交わることを「小河車」とし、そして「肘後に金晶を飛ばし、晶を
戻して泥丸に入れ、抽鉛添汞[鉛を抽出し汞(水銀)を添加する]して大薬を完成させることが、大河車である」。この法が完成して得られる薬の
効果として、さまざまな病気は、治療しなくても自然に治る。また暗い部屋の中で目を閉じると、傘のような円光があって、全身を回る。金関玉鎖
が、堅牢に封じ固め、夢精を絶つ。雷のような音がし、関節は気が通る。八邪の気は入ってこれなくなる。心境は自然と除かれ、情欲を絶つ。昼は
神[意識]がはっきりしていて、夜は丹田が自然に暖かい。これらはどれも身体を養生するのに良好な効能を示している。
(6)玉液還丹(玉液煉形附)
「玉液」は内丹の行気内煉の時に舌の下に生じる甘い唾液のことである。この唾液を飲み込んで丹田に入れることを、「玉液還丹」という。丹
家は、「玉液」は腎液が立ちのぼって出来るものであると考えている。鍾呂は次のように述べている。
「玉液は腎液である。心まで上昇し、二心が互いに合して重楼[のど]を過ぎれば、津[唾液]が玉池[口腔。口の内部でのどに連なる部分]に
満ち、これを玉液という。これを飲み込み中田から下田へ入れることを還丹という。これを昇らせて中田から四肢に入れることを煉形という」。
上に述べた認識に基づいて、丹家は玉液を至宝と見なしていたので、咽津[唾液を飲み込むこと]の専門的な道があった。鍾呂はその道をこのよ
うに論じている。
「咽法[飲み込む方法]は、舌で上顎と下顎の間をかき乱すことによって、まず汚濁した津[唾液]を飲み込み、次に舌先を退けて満たし、玉池
に津[唾液]が生じたら、うがいをせずに飲み込む。春の3カ月は、だいたい肝気が旺盛で脾が弱いので、咽法は離卦を日用する。夏の3カ月は、
だいたい心気が旺盛で肺気が弱いので、咽法は巽卦を日用する。秋の3カ月は、だいたい肺気が旺盛で肝気が弱いので、咽法は艮卦を日用する。冬
の3カ月は、だいたい腎気が旺盛で心気が弱いので、咽法は震卦を日用する。(飛金晶法は、咽も妨げにならない。)四季の月は、だいたい脾気が
旺盛で腎気は弱く、人は腎気を根源としているので、四時[四季]にはすべて衰弱がある。四季の末月の後の十八日は、咽法は兌卦を日用する。や
はり前の咽法とこれを併用し、秋季だけは兌卦咽法を用いるのを止め、そして艮卦の修練を休む」。
上に述べた咽津法は四季による人体の気の運行の規律と五行の生克によって定めたものである。先天八卦の図式では、離は東に位置し、春であ
り、時辰では卯である。春季は午前7~8時の間に修練するべきである。巽は西北[西南の間違いではないだろうか?]に位置し、夏と秋の境目で
あり、時辰は未申である。夏季は午後3~4時の間に修練すべきである。艮卦は西南[西北の間違いではないだろうか?]に位置し、秋と冬の境目
であり、時辰は戌亥である。秋季は午後11~12時の間に修練すべきである。震は東南[東北の間違いではないだろうか?]に位置し、冬と春の
境目であり、時辰は丑寅である。冬季は午前3~4時の間に修練するべきである。そのほか、四季の末月(陰暦の3、6、9、12月)は、人体の
脾気が旺盛で腎気が弱く、これらの月の十八日は、辰巳時(午前10~11時の間)に修練するのがよい。
鍾呂がまた指摘するには:「以上の咽法は、まず前の法によってこれを飲み込む。もし歯と玉池[口腔。口の内部でのどに連なる部分]の間に津
液が生じなければ、舌を上下に満たして玉池を閉じ、下顎の両側をしまい込んで、飲み込む真似で法とする。気を飲むだけで終わっても、気の中に
は自ずと水があるのである。気を飲むことが一年(36~49回)を数え、また次の一年(81回)、また次の一年(181回)になると効果が現
れる。これは玉液還丹の法である。少なくとも3年間持続して行えば、丹田を潅漑し、胎仙を沐浴し、そして真気はますます盛んになる。もしこの
玉液還丹の法を行えば、三百日で内丹を養ってしまい、真気が生じる」。
以上は咽津[唾液を飲み込む]の方法と年ごとの唾液を飲む回数である。もし肘後飛金晶法を配合すれば、「採薬をやめて、咽法を加える。咽法
は四時[四季]に従うだけにする。これは煉形法である」。「玉液還丹」法は道教の伝統的な養生術の一つであり、鍾呂によって内丹の修練に取り
入れられた。その法には養生健身に非常によいの効果がある。鍾呂が述べるその効果には次のようなものがある。体につやがでて、気力に満ちて美
しくなる。次第に生臭くて汚いものを飲み食いすることが嫌になり、平凡な情や愛は、自然と心境から除かれる。真気が充足しているので常に満腹
しているようで、食べるものは多くなく、飲酒は無量である。急いで歩くと、飛ぶように進む。目は漆を塗ったようで、体の皮膚が白く滑らかで、
紺色の髪が再生し、顔の皺は消え、老いは去り永く童顔を保つ。遠くから小さなものが見えるようになる。身体の古い傷跡やあざは自然と消えてし
まう。鼻水・涙・よだれ・汗も見られなくなる。聖丹が味を生じ、霊液が香りを立てる。口鼻の間に、素晴らしい香りを感じる、などなどである。
(7)金液還丹(金液煉形附)
玉液還丹は腎気が心まで上昇し、心気と合して重楼(喉道)を上り、口を閉じて出さないようにすると津[唾液]が玉池に満ちるというもので
ある。金液還丹はこれとは異なる。「金液というのは、腎気が心気と合して上昇させず、肺で蒸し、肺を遮蔽物として、二気を押さえ込み、その日
のうちに取る肺液のことである。下田に在ったものが尾閭から上昇することは、金晶を飛ばし脳中に入るといい、それのよって泥丸の宮を補うので
ある。上から下降して下田に入ることは、金液還丹というのである。下田に戻ったものを再び上昇させ、四体に遍く満たし前と同じように上昇する
ことは、金液煉形という。これは金が土に生じると説明するのである」。
「金液」というのは肺液を指している。肺は金に属する。腎気が心気と合したものは龍虎水火といったものを含み、肺金を遮蔽物にしてその上を
覆うと、水火で蒸すとて金液が出切る。それを下田に戻し、督脈に沿って上らせ脳中の泥丸に入れることが、「金液還丹」である。鍾呂はこれにつ
いてこう述べている。「金液は、肺液である。龍虎を含んでいるので下田に入れれば、大薬が出来る。これを金液という。肘後[督脈]からこれを
抽出して脳に入れ、上から下田に降ろすことは、還丹という。また前と同じようにして昇らせ、遍く四体の、下から上に満たすことは、煉形とい
い、煉形成気ともいう」。
金液還丹の修練法は、
「深密で落ち着いた部屋の、風や日が当たらない場所に、香を焚いて手のひらを重ね足を組んで座るようにする。体はうずくまるようにして後ろ
を上げ、そうすると火が起こるのを感じ、正座して念を絶ち、情を忘れ体内を観照する。的確に艮卦から金晶を飛ばして頂に入れるが、やや頭を上
げて少し仰向け気味にし、首の下で火が燃えているようにし、それからうなずくように頭を前へやり、頭を低くし首を曲げ、舌先を後ろに退けて上
顎を支える。上には清く冷たい水があり、味は甘く美味で、上は頂門[頭のてっぺん]を通り、下は百脈を通る。鼻の中には真にかぐわしい香りを
自ずと感じ、舌の上にも素晴らしい味を感じ、うがいせずに飲み込んで、黄庭まで下ろす。これは名を金液還丹という」。
これは後天八卦の図式を用いたものである。坎卦から艮卦、つまり子時から丑寅時に至って一陽が初めて生じ、金液大薬を丹田から尾閭を経て督
脈を通り、脳中の泥丸に上げて、それから下降して黄庭へ帰すのである。「頂中前から金水の一柱を下ろし、下って黄庭に戻すと、金が丹に変成す
る。これは名を金丹という」。気運督脈[督脈に沿って気を動かす]・肘後飛金晶[肘後(督脈)に金晶を飛ばす]と同時に、咽津の法を配合す
る。
「坎卦から始め、後に起こし一度昇らせて頂に入れる。両手で両方の耳を軽く閉じ、方法の通りに体内を観照し、津[唾液]を少し飲み込む。そ
れから舌で牙関[上顎と下顎の間の関節]を支え、下は玉池を閉じ、上顎の津[唾液]が下るのを待ってそれから飲み込む。飲み終わったらまた起
こし、艮卦に至って区切りとする。春と冬は2度起こして1度飲み込み、秋と夏は5度起こして1度飲み込む。だいたいひとのみの数は、秋と夏は
50を数えるだけで、春と冬は百を数えるだけにする。それから飲み込むのをやめ、身を高くして前が起きるようにし、それによって頭や四肢や五
指に気が満ちて盛んになったら止める。再び起こして昇らせ、離卦に至って区切りとする。だいたいこの後に津[唾液]を飲み込むことは、金液還
丹というのである。還丹の後に前と同じようにやることは、金液煉形というのである」。
鍾呂は、「耳は腎波の門[腎の変化が現れる所]」なので、この修練法を行うには必ず「三関をひと突きし、その気が上がったら、急いで両方の
手で耳を閉じなければならない」と考えていた。なぜなら「腎気を外に漏らして脳の中に入らない恐れがある」からである。咽津の金液は、気が任
脈・督脈を通る時に舌先で上顎を支えるようにしたら、舌の下から生じる「清く甘い水」である。その味は「蜜の味のように甘く」、それを飲み下
して黄庭に至ると、金液還丹と呼ばれるのである。
金液還丹は玉液還丹の基礎の上に行うものである。一年ぐらいの時間を費やして、成就するのである。それが成就することは「焚身[身を焼
く]」という。それは十分に任脈・督脈が通り、金液が昇降・循環し、坎卦の前の煉形にまた戻るのである。「焚身は坎卦の前の煉形である。人間
の身体の前後について言うと、腹が坤であり、背後が乾である。焚身は、午前は焼乾[乾を加熱する]して金晶を為し、午後は焼坤[坤を加熱す
る]して勒陽関[陽関を制御する]を行うのである」。金液還丹の効果としては、心理的に世俗に染まらず太虚と合し、魂神は遊ばなくなるので寝
ても夢を見なくなる。陽精は体を成し、神府は堅固になる。四季の暑さ寒さを恐れなくなる。外観は礼儀正しい姿に変わる。陰陽の変化、人事の禍
福は、すべて予測できる。俗世間が目について、心は万境を絶つ。真気が充満し、飲み食いはしなくなる。尋常ならざる気が外に現れ、金色の仙人
の肌のようになり、玉蕊のようである、などなどである。
3、大乗超凡入聖法三門(修天仙法)
(8)朝元煉気[元に向かい気を煉る]
中乗の三門が完成すれば、「地仙」の修練が終わる。「地仙」というのは、長生不死の「陸地の仙」のことであるが、「飛昇」できる天仙では
ない。鍾呂は、「天仙」になるには、「地仙」の基礎の上にさらに修練しなければならないと考えていた。その修練が大乗煉法三門といわれるもの
である。
朝元煉気[元に向かい気を煉る]は鍾呂大乗法の最初の修練である。これは後の丹家の言う五炁朝元の修練法に相当する。この修練法は五行や陰
陽の生克の関係を人体の臓腑および四時[四季]の気の動きに結び付け、それを根拠にして天道人体の気の動きの規律にしたがって丹を煉るのであ
る。その操作には「定息」と「採薬」の二つの方法がある。「だいたい定息の法は、強く留めて堅く閉じるようなことはしない。ただ長々と続け
て、これを用いることに一生懸命にならない。有から無に入り、自然に止まるようにする。採薬の法は、津[唾液]を食し握固[両手の親指を曲
げ、その上から他の4本の指を握る拳の握り方]して心を圧し、真気を散らないようにする」。次は四季の煉気法である。
春季の修練法は、「だいたい春の3ケ月間は肝気が旺盛である。肝が旺であるというのは、父母の真気が、天の法則に従って肝にあることであ
る。木の日になれば、甲乙は土を克する。辰・戌・丑・未の時に、時刻に従って火を起こし脾気を煉る。ほかの日の兌卦の時は、金を損なって肺気
を消耗するので、この時は修練してはいけない。坎卦の時は、方法の通りに火を起こし腎気を煉り、震卦の時に入室[俗を離れて修練すること]
し、入れるのを多くし出すのを少なくし、息が止まるようになるのが最もよく、長時間止めているのがこれに次ぎ、千回まで呼吸を数えるのを基準
とする。その時には法の通りに体内を観照し、ずっと心を暗くし目を閉ていると、青色が自ずと見えてきて、だんだんと身体を昇って泥丸に入り、
寅から辰に至り、そして震卦を満たす。千回以上呼吸をすれば上々で、呼吸が次第に弱くなることを基準とする。呼吸が止まってしまうようなら数
を数える必要はない」。春は五行では木に属し、五臓の肝が木に属す。だから春季は肝気が旺盛で、先天の真気は肝にある。六十甲子の中の、甲乙
の日は木の日であり、木気はさらに旺盛である。木は土を克し、脾が土に属する。したがって肝気が強すぎると脾気が弱くなり、時刻によって火を
起こし脾気を煉らなければならない。兌卦には修練せず、坎卦(後天八卦では、子時に対応する)の時になれば火を起こし腎を煉る。修練法は閉気
数息法[閉気は吸気の後に呼吸を停めること。その呼吸の回数を数える]であり、葛洪の言う胎息法である。千回呼吸することを基準とする。これ
は「春煉肝千息青気出」という。
夏季の修練法は、「だいたい夏の3カ月間は心気が旺盛である。心が旺盛なのは、父母の真気が、天の法則に従って動き心にあるということであ
る。火の日になれば、丙丁が金を克する。兌卦の時に、方法の通りに火を起こし肺気を煉る。ほかの日の坎卦の時には、水を損なって腎気を消耗す
るので、この時には修練してはいけない。震卦の時、方法の通りに火を起こして肝気を煉り、離卦の時は入室[俗を離れて修練すること]し、前と
同じように行うと、赤い色が自ずと見えてきて、だんだんと身体を昇って泥丸に入る。巳から未に至り、そして離卦を満たす。千回呼吸すれば上々
である」。夏季は五行では火に属し、五臓では心が火に属する。だから夏季には心気が旺盛になる。六十甲子の中の丙丁の日は火の日である。火が
強いと金を克し、金が肺に属するので、夏季には兌卦(後天八卦の兌は西方の金に位置する)の時(酉時。夜の17時から19時の間)に「火を起
こし肺気を煉る」必要がある。そのほかの日には震卦の時(卯時。朝の5~7時)に肝気を煉る。修練法は胎息数息法を用いる。これは「夏季心千
息赤気出」という。
秋季の修練法は、「だいたい秋の3カ月間は肺気が旺盛である。肺が旺盛であるというのは、父母の真気が、天の法則に従って動き肺にあるとい
うことである。金の日になれば、庚辛が木を克する。震卦の時に、方法の通りに火を起こし肝気を煉る。ほかの日の離卦の時には、火を損なって心
気を消耗するので、この時には修練してはいけない。巽卦の時、方法の通りに火を起こし脾気を煉る。兌卦の時は入室[俗を離れて修練すること]
し、前と同じように行うと、白い色が自ずと見える。だんだんと身体を昇って泥丸に入り、申から戌に至り、そして兌卦を満たす」。秋季は五行で
は金に属し、人体の肺が金である。秋は肺気が旺盛である。庚辛の日が金の日である。金は木を克し、肝が木に属するので、秋には肝気を煉る。そ
のほかの日は巽卦(辰巳時。朝の7時から11時の間)に脾気を煉る。これは「秋煉千息白気出」という。
冬季の修練法は、「だいたい冬の3カ月間は腎気が旺盛である。腎が旺盛であるというのは、父母の真気が、天の法則に従って動き腎にあるとい
うことである。水の日になれば、壬癸が火を克する。離卦の時に、方法の通りに火を起こし心気を煉る。そのほかの日は辰戌丑未の時は、土を損
なって脾気を消耗するので、この時には修練してはいけない。兌卦の時、方法の通りに火を起こして肺気を煉り、坎卦の時は入室[俗を離れて修練
すること]し、前と同じように行うと、黒い色が自ずと見えてきて、だんだんと身体を昇って泥丸に入る。亥から丑に至り、そして坎卦を満た
す」。冬季は五行では水に属し、人体の腎が水なので、冬は腎気が旺盛になる。壬癸の日は水の日であり、水が火を克する。心は火に属する。だか
ら離卦の時(午時。11時から13時まで)に火を起こし心気を煉る。兌卦の時(酉時。夜の17時から19時まで)は肺気を煉る。これは「冬季
腎気千息黒気出」という。
上に述べた四季煉気法は、閉気・胎息の内煉法と四季に応じた五臓の鍛練方法を結び付けた修練法であり、養生健身のための優良な修練法の一つ
である。その効果は、「身体は非常にのびのびとした感じで、常に仰いで立ち上がり、丹光が骨を透かし、尋常ならざる香りが部屋を満たす。次に
静中に外を見ると、紫色の霞が目を満たす。頂中から下を見ると、金色の光が体を覆っている」。
(9)内観交換
この段階は高い内煉の境地に入り、修練法の上では専ら性功を用いる。観法を主としていて、「内を観じて外を観じず、外には究められないこ
とはなくて内は明るくできる。神[意識]を観じて形[肉体]を観じず、形には不備はなくて神は見える」。その観法は、
「この法は道にかなっていて、常説存想の理のようなものがある。また禅僧の入定の時のようなものがある。福地を選んで部屋を設置し、ひざま
ずき礼をして香を焚くのがよい。脚を組んで正座し、髪を解いて着物をはおり、握固[両手の親指を曲げ、その上から他の4本の指を握る拳の握り
方]・存神[雑念を排除して思考を落ち着かせ、意念を身体内のある場所に置くこと]して、心を暗くし目を閉じる。午前は少し身を伸ばすように
して、火を起こして炁を煉る。午後は少し身を引っ込めるようにして、火を集め丹を煉る。昼夜にかかわらず、神は清く気が合し、自然と悦に入
る」。
この修練法では、必ず一心に万物を観じなければならない。心の源が清らかになってしまい、一度気を配ればすべてが暴かれ、無心を心とし、無
物を物とする。内観[自らの体内を観照すること]する時に、「魔障」、つまり内外で邪魔をするさまざまなもの、が生じるようなら、「焚身法」
によってそれを排除する。その方法は、「聞こえる音は聞かないようにし、見えるものは認めないようにし」、それでも「魔障が退かないような
ら、急いで前に向かい、身を少し縮めるようにし、縮めて腰を伸ばし、その後に少し胸を張り、胸を張って腰は伸ばさない。しばらくそのままにし
ていると前後に火が起こり高く昇るが、その身は動かしてはいけない。これを焚身という。火が起これば、魔障は自然と身体の外に散ってしまい、
陰邪は殻[肉体]の中へ入ってこない」。
(10)超脱分形
これは鍾呂大乗法の最高の段階であり、その内丹の最高の境地でもある。「超えるというのは、凡人の身体を超えて出て聖人の仲間入りをする
ことである。脱するというのは、俗の胎を脱し去って仙子[仙人]となることである]。超脱の法は、前の9つの修練の結果である。鍾呂は、「だ
から仙道を行うには、先に修練があって成果が現れるのが正当である」と考え、その基礎の上で、土地を選んで部屋を作り、一切の生臭く汚い物、
臭く悪い気、往来の声、女子の色を遠ざけ、その後で行動する。その方法は、
「清く静かな部屋に入ったら、希夷[《老子》に「(道は)これを見ようとしても見えないので、夷(なめらかなこと)とよばれ、これを聞こう
としても聞こえないので、希(まれなこと)と呼ばれる」とある]の境に入って、体内を観照して陽神を認める。次に火を起こして魔を降ろし、身
を焚き気を集めると、真気が天空に昇り、殻[肉体]の中は清く静かで、まったく一つの物もないようになる。隠れ住む場所を選び、専ら内観する
べきである。三礼が終わって、立ち上がるには高く立ち上がる必要はなく、正座するには身を縮めたり伸ばしたりする必要はない。目を閉ざし心を
暗くし、静が極まり元に向かうと、身体は空中にあるようであり、神気がゆらゆらと揺れるが、制御することは難しい。黙々と内観し、はっきりし
ていてぼんやりとはしていない」。
この段階の境界には、さまざまな奇異で素晴らしく美しい幻覚が出現する。「美しい山や川、ぼんやりとした楼閣、紫のガスや紅の光は、さまざ
まな絵をごたごたと並べたようで、祥鸞や彩鳳の、音や語は簧[した。銅などでできた音を出す薄い板]のようである。尋常ならざる景色は華やか
さは、壷中[小天地の中]の真の趣であると言うことができる」。このようなヴィジョンが現れることを、宗教信仰者は「調神出殻の法」といい、
「陽神出頂」あるいは「分形」・「身外有身」とも言われる。これは「天仙」を成就したのであると考えられる。「形は嬰児のようで、肌はみずみ
ずしくきれいで、見た目はつややかである。振り向いて古い身体を見ても、あるようには見えない。見えるのは、糞のかたまりのようであり、また
枯木のようである」。
鍾呂の内丹の三乗十門の修練法は、早期の丹法に属する。その技術や方法には晋・唐の道教の煉気・胎息・存想などの特色を色濃く残している
が、より高い養生実践の価値を備えている。人仙・地仙・天仙の説については、道教の宗教的な信仰と目標であり、道教の信仰者が内丹を修練する
きっかけや原動力であるが、内丹を煉るための必要条件ではない。現代人は心身の開発と健康を追求するために内丹を修練し、その宗教信仰の要素
や説法を気にかける必要はない。