般若

 原語プラジュニャーの音訳であるといわれるが、厳密にいうと、プラジュニャーの俗語形(例えば俗語の一つ のパーリ語ならパンニャーとなる)を漢字にうつしたものである。人間が真実の生命に目覚めたときにあらわれる根源的な叡智のこと。普通に いう判断能カとしての分別知(ヴィジュニャー)と区別するために、般若と音訳のまま用いられる。無分別智ともいう。
 「般若に到達する」の原文はプラジュニャー・パーラミター(漢訳では般若波羅蜜多)である。ここでは、パーラミターを簡単に「到達する こと」と訳したが、この言葉の意味については種々の意見がある。代表的なものとしては、「彼岸に到れる」、「完全に到達せること」などの 解釈がある。