今月の表紙から - 2000.12, 2001.1 -
AiAF Zoom Nikkor 28-80mm F3.5-5.6D


標準? レンズ

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一眼レフカメラを買う時、最低でも一本レンズは必要である。で、普通買うとしたらその一本は何?

以前は「標準レンズ」と呼ばれる焦点距離50mm前後のレンズが標準セットになっていたが、現在は50mmをズーム域に含む「普及価格標準ズーム」クラスが常といえる。カメラメーカー各社のレンズラインナップにしても、現在はコストはもちろんパフォーマンスでも単焦点レンズを凌駕しているといってもよい。

まだレンズにあまり詳しくなかった私が、自分で一眼レフを買った時につけたのも、ご多聞にもれず普及価格の標準ズームだった。そう、このレンズ。


「ニッコール」を名乗るには少々安っぽさの漂うレンズだ。申し訳程度のフォーカスリング、距離目盛の省略、そしてレンズマウントはステンレスでなくプラスチックである。それだけに文字通り軽い。(220g) 他社の同価格帯製品でもだいたいこんな感じだ。AFオンリー、付けっぱなしを前提にしているのだろうか。そういえば、リアキャップも半透明プラの簡易版だった。

その外見とは裏腹に性能は確かだ。Velviaのような高解像度フィルムにも性能不足は感じない。もっともF値の大きさ自体が障害になるのだが。

非球面レンズが使われており、28mmで歪曲が目立つなと感じるくらい。逆光にもかなり強い。

フィルター径58mmは、ニッコールレンズでは初の採用。純正フィルターはNC(保護)しかない。もっとも、他社では普通に使われているし、サードパーティでも揃えられるので、実質的な問題にはならない。

現在このレンズは後継の AiAF Zoom Nikkor 28-80mm F3.5-5.6D <New> に、さらにAF Zoom Nikkor 28-80mm F3.3-5.6G に取って代わられている。2代目は近接性能を0.5m→0.4mにし、非球面レンズを廃し若干大きくなった代わりに軽量・低価格化された。3代目はついに絞りリングを廃止、発売当時クラス最小最軽量を実現した。ワイド側の開放F値が3.3とわずかに明るくなっていることも見逃せない。

ここで話は脇にそれるが、ニコンのスピードライト (ストロボ) 調光 (3DマルチBL調光) は言われる通り「確実」だ。プログラムオートで一発、リバーサルでもまず外れが無い。12月表紙もそんな撮影の一つ、北九州は門司の年越しイベントで行われた「バナナのたたき売り」実演でのひとコマ。

F値の大きさ、すなわちレンズの暗さは広角域ではいかんともしがたく、50, 35, 24mmと単焦点レンズを揃え、ボディもF5をメインに据えてからはあまり出番がない。たまにはF70に付けてお手軽な撮影に使いたいが、そうそうそんな機会も無いもので……


富士

一眼レフを買おうと思い至ったまでには段階があるが、結局のところは年賀状向けにこのような「表紙写真」が撮りたかったのだ。

最初のカメラは小学生のときに買ってもらったオリンパスの "TRIP 35" というEEカメラ。それなりによく撮れるが、目測ピントのみで距離によってはピンぼけの恐怖を背にするのが常だった。ファインダー見えのせいか、被写体を小さく写してしまうきらいもあった。

父が記念品としてもらったオリンパスの "IZM300"(かな?)も旅につれて行ったことがある。ズーム式のファインダーでAFもあり、ピンぼけの心配はなくなった。しかしズームに頼りすぎて、面白みのない写真が多くなった。ホールディングに問題もあったろうが、よく傾いてしまったのも面白くなかった。

さらに時代が下り、普及しはじめたデジカメ (CP-100) も買ってみた。しかし実際に使ってみると、タイムラグがあるとか、レンズの性能が悪いなどで、WWW用ならともかく印刷には実力が足りなさ過ぎる。

それで一眼レフということに。しかし最初に使った時は愕然としましたね。今までの自分の写真って、あまりにもいいかげん……


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シンカンセンと秀峰富士、日本の誇る技術と自然の組み合わせ。この絵葉書アングルは京都の五重塔と同じくらい世界中に知られた光景ではなかろうか。周囲に邪魔する物がほとんどないこの場所は、鉄道ファンなら必ず一度は訪れたいと思うだろう。私もまずはここだなと確信していたのだ。

しかし、肝心の富士山の機嫌が悪い。冬に近づいて晴れの日は多くなったものの、頂上が雲に囲まれてばかり。時間と交通費を費やして、一回もシャッターを切らなかった日もあった。そんなときは近く?の私鉄に乗りつぶしに出かけていたのが実際だが。


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タイムリミットも近づいた土曜日、この日も山頂は見えず、午後に熱海から十国峠に向かった。せっかくだからとケーブルカーを目指したのだった。バスで峠に向かう。すると、富士山が見えるではないか。雲がきれいに取れている。かなり強い風が吹きさらす峠で、何枚か写真を撮った。

地元の人か、「明日はよく見えるよねえ」などという話が聞こえてきて、これはもう明日来るしかないだろうな、と思った。その予想は当たった。あるいは願いが通じたのか。

あの時期はまだよく見かけた新幹線の元祖、0系は既に東海道を去り、100系も急速にその姿を消そうとしている。いろいろと変わってきたものです。カメラも、それで撮る鉄道も。


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