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馬込 (まごめ・東京都大田区・東京都交通局浅草線)
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| 武蔵野台地の南端を行く東海道新幹線 (品川-新横浜 2007.12) [Nikon D200, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO200] |
| 駅 | 路線 | 期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 方南町 | 丸ノ内線 | 1962.3〜現在 | 荻窪線として開通 |
| 西馬込 | 浅草線 | 1968.11〜現在 | |
| 高島平 | 三田線 | 1968.12〜1976.5 | 1969.8まで志村 |
| 代々木公園 | 千代田線 | 1972.10〜1978.3 | 小田急・代々木八幡が至近 |
| 銀座一丁目 | 有楽町線 | 1974.10〜1980.3 | |
| 西高島平 | 三田線 | 1976.5〜現在 | |
| 岩本町 | 新宿線 | 1978.12〜1980.3 | |
| 東大島 | 新宿線 | 1978.12〜1983.12 | |
| 北綾瀬 | 千代田線 | 1979.12〜現在 | |
| 新富町 | 有楽町線 | 1980.3〜1988.6 | |
| 半蔵門 | 半蔵門線 | 1982.12〜1989.1 | |
| 営団成増 | 有楽町線 | 1983.6〜1987.8 | 東武・成増が至近 現・地下鉄成増 |
| 新桜台 | 西武有楽町線 | 1983.10〜1994.12 | |
| 船堀 | 新宿線 | 1983.12〜1986.9 | |
| 篠崎 | 新宿線 | 1986.9〜1989.3 | |
| 新木場 | 有楽町線 | 1988.6〜12 | JR京葉線が到達 |
| 水天宮前 | 半蔵門線 | 1990.11〜2003.3 | |
| 赤羽岩淵 | 南北線 | 1991.11〜2001.3 | 埼玉高速鉄道が延伸 |
| 光が丘 | 大江戸線 | 1991.12〜現在 | |
| 国立競技場 | 大江戸線 | 2000.4〜12 | 千駄ヶ谷が至近 |
東京23区内にも行き止まりの駅がある。
それ自体は特に珍しくもなかった。都心の地下鉄が尺取虫のように延伸する途上でそんな駅ができやすいからだ。1970年代(千代田線・三田線)以降でもこんなに(右表)あった。都心部のみならず、私鉄に相互乗り入れしようとする目前の駅で足踏みすることもある。地下鉄網がほぼ完成した2008年現在、その大半が途中駅や接続駅に変わった。
五反田から国道1号線の下を南下する都営浅草線の西馬込駅。押上側から延びてきた線路がここへ達したのは1968年11月のことだが、それ以来まったく延びようとしないし、接続路線も通らない。
この駅は終点にもかかわらずホームが対面式、線路が通過式なので列車はホーム上で折り返す。都市計画では都市高速鉄道第1号線を「品川及び西馬込の各方面より田町、新橋、浅草橋及び浅草の各方面を経て押上方面に至る路線」と定義しているので、間違いなく起点ないし終点なのであるが、この駅の構造はどう見てもそう見えない。そのまま国道1号線の下を通り池上や蒲田、あるいは川崎市方面への延長も考えていたのではないか。そういう話をどこかで見たことがあるような気がするが、出典は思い出せない。
ホームが地下3階と深い位置にあるにもかかわらず、その下側に連絡通路があって、なおかつ2箇所の改札口はいずれも地上……という、変則構造の塊ともいえる駅でもある。
地下鉄と銭湯と……
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浅草・新橋方面から西馬込方面へ向かうと、昼間はたいてい泉岳寺での乗換えが必要になる。泉岳寺〜品川間は1号線でも京浜急行の営業線であり、都営線は一本西馬込までつながっているのだが、京急へ乗り入れる方がメインになってるので、こちらが分岐路線のような扱いだ。
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馬込駅ホームは島式。壁一面に小さな正方形のタイルが貼られており、線路側はもとよりホーム上の丸柱にもびっしりタイルで覆われていた。銭湯の内装とか、あるいは古い工場の洗面所に近い雰囲気を感じさせる。見上げれば天井には孔の開いたボードが整然と並んでいた。これは小中学校を連想する。
昭和40年代といえば、まだ家屋に「洋間」の方が珍しかった時代。絶対に燃えてはならないこと、湿度に強いことが求められるこれらの壁に当時最も適した装飾がタイルだったということなのだろう。
このようなタイル壁は、この時代までに建設された地下駅では非常に多く使われていた。東京だけでなく、大阪や名古屋の地下鉄にもこんな駅はまだ残っている。これより後になるともうすこし大きい長方形のタイル、さらにはアルミパネルなど化粧板が標準的となる。
ただこの壁、当時としては清潔感を表したのだろうが、どうも「水まわり」の雰囲気から冷たさの感触が先に来てしまう。それと、あまりに整然と格子や点々が並んでいることには無機質さをも感じさせる。年月を経ると表面や目地にたまった煤や汚れでずず黒くなってしまい、新しい路線が接続したりすると特にその明暗差が顕著になる (第1回参照)。コンクリート塗装壁が塗りなおして明るくなるので、再塗装などしないぶん不利なようだ。それもあってか、最近のリニューアルではタイルをはがしてアルミパネルに貼り替えたり、上からパネルで覆ってしまう例も増えている。
もっとも、こうやって装飾されるだけまだマシな方だ。国鉄が総武快速線を建設した時の新日本橋・馬喰町の両駅は、コンクリート打ちっぱなしの壁にむき出しの配管、国鉄末期にはすっかり黒ずんだ壁が実に不気味なものだった。東京駅がまともに造られているぶん、その落差が激しい。さすがにイメージが悪すぎると気づいたか、JRになってしばらく後に色が塗られた(最近だいぶ薄汚れてしまったようだが……)。にしても、居ることに多少の恐怖を感じる駅は、都内ではこれらと博物館動物園駅(京成本線・現在は休止)くらいだったかなあと思う。
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環七側の出口は改札から少し上っただけで出られる、という立地は知っていたが、降りるのははじめてだと思う。場所が場所だけに、そもそも通過すらほとんどしない。行って見ると、そのA1出口は改札口から階段6段を上り、すこし進んでもう12段+1段だった。
目の前の歩道橋に上がると、環七を第二京浜がまたぐ松原橋、その向こう側には新幹線が環七を高架橋で、第二京浜を鉄骨アーチ橋で大きく乗り越している。地下鉄入口は松原橋の下にあって、看板は遠慮するように橋の真下にあった。
10分ほど歩くと、新幹線・横須賀線の跨線橋に出た。さっきまで見上げるほど上にあったのが、こんどは逆に見下ろす位置にある。ここは武蔵野台地、いわゆる「山の手」の南端に位置する丘陵地で、付近の地表は大きく起伏している。近くには「22%」(斜度12.5°)と標識が注意する急坂もあった。
東海道新幹線は、都内では東海道本線の支線、通称・むかし「品鶴(ひんかく)線」いまは横須賀線に沿っている。これより都心側は用地の確保が難しかったか二層構造になっていて、横須賀線と湘南新宿ラインは高架下に隠れている。ここでようやく外へ出てきて、あとは横に並んで多摩川へ向かう。
ところで、新幹線を撮るのに頭を悩ますのは厳重な金網の存在だ。しかし金網越しでもある程度の撮影はできるし、クセさえわかればAFも可能であることは覚えておいて損はない。
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近くに都営線の馬込車両工場があった。地図を見れば、このあたりはもう西馬込駅の方が近い。
西馬込駅の先で引き上げ線の他に分岐する線路は2本作られた。1本は南側の車両基地へ向かい、スイッチバックして車庫に入る。もう1本は駅ホームの裏をすり抜け北側に出て、3ヶ所の踏切を通過して工場に向かっていた。上野駅近くの東京メトロ銀座線・上野車庫入口とともに「地下鉄の踏切」として知られていた(ただし工場の出入りのみでめったに使われなかったようだ)が、2004年に工場機能を車両基地へ移転統合したため廃線となった。
線路設備はすべて撤去、トンネルは埋められ、工場跡もすでに更地となっていた。わずかにレールが残る踏切跡に立つと、高架の新幹線に、建物が建っていたときはたぶん見えなかっただろう、地上を走る横須賀・湘南新宿ラインの姿が見えた。
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| 工場跡地から東海道新幹線が見える (品川-新横浜 2007.12) [Nikon D200, AF Nikkor ED 18-35mm F3.5-4.5D, ISO200] |







