3000形の車号プレート 左・3021(新宿方) 右3025 (小田原方) |
3000形 SE公開展示
「ロマンスカー」の名を不動のものにした旧3000形(以下SE車)の引退からもう10年になる。引退後、1編成(3021×5)が海老名基地に静態保存されているのはご存じの通り、小田原線本線から格納庫の窓越しに見えるSE車は、年に1回「ファミリー鉄道展」に合わせて公開されている。
格納庫の扉のむこうにSE車の顔が、ホームからも眺められる。現役ロマンスカーのほか、新3000形との顔合わせも実現した。
9時30分すぎに海老名の改札を出ると、コンコースまで達する人の列! なんで今年はそんなに……? というわけで、今回はひさしぶりとなるSE車のほうから先に見に行くことにした。
格納庫に入ると、<あさぎり>のマークを掲げるなつかしい顔が。小田原方はSSE車改造後の姿で残っている。
狭い運転室扉から車内に入る。運転台はそこそこ広いし、なんといってもカーブガラスによる視界の広さが当時としては画期的とも言えよう。客室からの前面展望も十分である。仕切壁の上には、この車がきっかけとなった「鉄道友の会ブルーリボン賞」のプレートが掲げられている。現行のプレートとはデザインが異なる。
車内は回転クロスシートが並んでいて(車端など一部は固定)、現在でもちゃんと回る。低重心化を追求した結果、もともと低い床を車体中央部はさらに低くしたため床に段差が生じ、車端で座席を向かい合わせると座面の高さが異なることになった。NSE車でもその思想は受け継がれていて、段差は無いものの床全体がスロープ状に作られた。完全にフラットになるのはLSE車(展望席を除く)になってからである。
「ロマンスカー」の特徴、「走る喫茶室」を演出した喫茶コーナー。SE、NSE車では客室内と仕切られていなかったし、さらにその前は客室の中央にあった。
新宿方の運転台。置かれている運転席・助士席の椅子は、実は固定されていない。聞くと現役当時からこうだったとのこと。列車の運転台として非常に珍しい方法だが、「スペースを有効に利用するためにこの方式にした」という話。
新宿方の先頭車は、登場時のスタイルを復元した。掲げている<乙女>のマークは当時の愛称。NSE車登場の頃までは<あしのこ><きんとき>などといったさまざまな愛称が付けられていたが統合が進み、1999年のNSE引退でさらに整理された。今回の鉄道展に合わせてリバイバル運転された<さがみ><あしがら>も「なつかし愛称」の仲間。
新宿方の2両が、登場時の塗装とされている。SSE改造時にNSEにあわせて腰部のグレーが追加された。
その下を覗きこむと連接台車がある。ディスクブレーキが見える。当時としては最新の技術であった。
実演
ことしの展示車両は昨年とほぼ同じで7000形LSE、2200形、3100形NSEとなっている。相変わらず混雑しているし、特に今見ておかねばならないものもないので、今回はパスしてしまった。
保線車両の実演も毎年行われている。レール削正車(左)・マルチプルタイタンパ(右)・軌陸両用車がデモンストレーション。ビーバーのマスコットマークをつけた削正車は、今年も派手に花火を散らしている。
高所作業車は地上高10mまで伸ばせるという。手前の架線作業車は5mまでだが、約5人まで搭乗して作業を行うことができる。
道路と線路を両方走ることのできるこれらの車は、通常踏切で乗せかえを行う。車体中央にあるジャッキで車体を持ちあげたあと、車体を (人手で) 90度回転させて出入りする。たまに(?) うまく線路に乗せられない状態になるが、その場合は前輪タイヤで方向を微調整して入れる。
展示・即売から
何気なく通り過ぎる高架橋の壁面にも工夫が見られる。線路側から出た音はスリットに入れ、さらに外側の空洞を通過させることで減衰させている。この減衰板はプラスチック製。現在ほとんどの高架区間に取りつけられているという。
信号関係で目についたのが、フラップ反転式表示装置。この装置、以前は主要駅に置かれ、列車が発車するごとにパタパタと動く姿が機械的で見た目にも楽しかったが、小田急線では表示の柔軟度が高いLED表示装置に置き換えられて、ほとんどの駅で見られなくなった。