大野原町萩原



「國譯全讃史」:故中山城山著、青井常太郎校訂國譯 昭和12年6月25日藤田書店発行 (S47.8.1復刻版)によれば、 (原本は、中山城山が文政戊子(1828年)に藩主松平家に奉献納したもの、とある。)

井上神社

全讃史



「増補西讃府志」(舊丸龜藩京極家編輯、昭和4年11月3日藤田書店発行 S48.10.20復刻版)によると、

西讃府志



ネットによると;

井上宗像神社
往古より村内に松井神社、宗像神社の二社ありて、松井神社は井上大明神と奉稱され上社と云ひて字東中村に鎮座し、宗像神社は下社と云ひて字西ノ後に鎮座ありしを寛文4年9月大河内十郎左衛門なる者、村人と謀りて、現今の地に遷座の上合祀奉り、井上神社と奉称せり。
而して旧鎮座地は古宮と稱へ共に其の跡を存す。
西讃府誌に「井上大明神 祭祀天照大神 宗像大明神 祭神田心姫命 相殿少彦名命 ・・・社林五町三段社僧地蔵院新蔵坊 祠官眞鍋薩摩」。
一説に延喜神名式に「讃岐国刈田郡小 於神社」とあるは当社ならむかと云う。
明治30年社殿火災ありて、同35年再築せるもの現今の社殿なり。明治40年10月24日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。


全讃史では井上神社と於神社とを区別しているように見える。


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