松尾城
伊予三島市中曽根町の石床川の上流、水波峰の中腹に両側を深い谷間に挟まれた険しい尾根があり、その山頂部に松尾城跡がある。松尾城は、室町時代の山城で「東西25間、南北50間回字形をなす」とある。天正5年(1577)、上分轟城主大西備中守元武兄弟が松尾城主真鍋大炊介通周(おおいのすけみちかね)を攻めたが失敗する。天正13年(1585)小早川隆景の侵入で廃城となる。真鍋家は、江戸時代になって三島村の大庄屋となり、明治まで当地方を支配した。真鍋大炊介の墓は、松尾城の山麓・石床部落にある。

−「伊予三島市史 上巻・下巻」(S59,S61 伊予三島市)より−
松尾城



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