「松尾城」

 
松尾城主真鍋大炊介の墓



墓石に刻まれた文字が読みづらいのは、文字の周囲の石が欠けているからである。誰かが縁起をかついで欠いていったものと思われる。

真鍋大炊介

<正面の記入文字>
 松尾城主
 真鍋大炊助橘通周之墓

<左側面の記入文字>
 天正二年甲戌七月十八日薨謚
 守徳院殿天浄運大居士

<右側面の記入文字>
 明治十九年丙戌之初夏
 八孫真鍋義當橘吉建之誌

(墓標からは判読しにくい文字を薄字で表した。)

どう見ても天正2年に亡くなった、と読めるが、いわゆる天正の陣で滅びたのなら、天正13年(乙酉)である。墓を建て直したときの錯誤だろうか?
この墓を建立したのは、明治19年か? 8世孫?とはあっているのか? 墓銘が判読しにくいため何とも言えない。



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