大西備中守
大西備中守父子の墓

大西備中守 大西備中守 大西備中守


「伊豫温故録」(M27, 宮脇通赫原著)によると、

轟城
 上分城にあり其の城山孤立して麓の回り八町山上回り五十二間の所平坦にして則ち城跡なり其の地 半は金川村に屬す應永年中信藤正國の建築する所なりこれを世襲して七世の孫周防の守正親に至り 享祿中民間に下り當城を廢す其の後裔今金川村にあり後ち天正二年大西備中守元武阿州三好郡馬路 城より來りこれを修築して居住す其の後長曾我部元親と合戦數度に及ひ同五年陥没せらる


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