大西備中守
轟城主大西備中守父子の墓所
(川之江市金田町金川 神の内)
「伊豫温故録」(M27, 宮脇通赫原著)によると、
大西備中守元武墓
金川村字神の内に在り碑石なく石を積んで墓標とす大西氏は其の先を小笠原といふ足利幕府に屬し
大永年中阿波伊豫平定の爲め大西出雲守をして阿州三好郡白地城主とす其の四代の孫備中守元武智
勇の將にして武威を振ひ諸民其の徳に服す天正二年川之江城主川上安勝を攻め亡ぼして其の所領を
奪ひ轟山に城を築き數度長曾我部と戦ひ利あらずといえども降らす同五年安勝の遺臣の爲めに攻め
られ同年七月十日山川國秀の家に於て自殺す因って其の屍を此地に葬る