「伊予三島市」

 
三島神社と真鍋氏



三島神社 随神門

随神門

近くの説明板によると、

市指定文化財   三島神社随神門   所在地 宮川1丁目神之元
  三島神社御門は三間一戸、重層、本瓦葺(昭和58年銅板葺き)折衷様式で二階に高欄付回縁をめぐらせた県下でも屈指の大きな神門である。一階軒下は和様の蛇腹をめぐらし、側面の円柱上は出組とし尾垂木先は写実的な象形、正面の木鼻は力強い竜頭、一階軒下の垂木は整然とした和様の二軒繁垂木であるのに対して、二階は扇を開いたような放射状の唐様扇垂木とし、あたかも大鳳が羽根を広げて飛び立つような感じをもたせ、重厚なご門に軽やかさをたくみにだしている。
  この神門は、文化13年小川山騒動の年、大阪へ出訴した三島村庄屋真鍋藤九郎の父甚五右衛門と東町の石川正蔵等有志が建立を発起し、訴訟の終わった文政元年10月に着工文政4年8月完成させた。この間、領内各村々に寄付を仰ぎその返済に十ヶ年の歳月を要した。まさに氏子の信仰心を結集した記念すべき建造物で、このようなりっぱな神門は金比羅宮以西に見ることは出来なかった。棟梁は三島の井原惣右衛門、大工は村松の白川笹右衛門である。神門としては県下における文化文政期の最も優れた建造物である。なお門内に納められている随神像は庄屋の子供であった真鍋条太郎と分家の新九郎が奉納したものである。
    平成3年3月   伊予三島市教育委員会



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