「讃岐國名勝圖會」

 
真鍋五郎が源平合戦一ノ谷の戦いで着用していたという揉み烏帽子の絵が残されています。
(注:もみ烏帽子は兜の下に着る柔らかい烏帽子で、時代劇を見るとよく出てきますが、黒い布の烏帽子の下を白い鉢巻きでくくっており、鉢巻きを前でくくるものと後ろでくくる物とがあるようです。前でくくるものを引立烏帽子と呼びます。)

讃岐國名勝圖會(嘉永6年)より


<記載内容>

真鍋五郎着用
 揉烏帽子圖 巾九寸、長一尺余
変体仮名→活字表記現代風の表記
ゑぼうしの事ハおのか松の落葉の書にくハしく
しるしつれともみひきたてなといふ名のは
考もらしつ大かたのふるき書に名のみえぬ
やうにおほゆるハ世のさわきにかふとの下
にきつるものにてよの常のものに
あらされハなるへしむかし人はかしらに
ものきぬハいたくなめきことにしつれハ
かふとをぬきてたかき人のおまへに
出んにハ実にこれなくてハとそおもはるヽ
さてこのうつし絵はさぬきの国高松の
里人真鍋祐芳の家に傳へたるひきたて
ゑぼうしにて寿永のさわきにこの家
の遠つおや真鍋五郎助光のきつる
なりとそいといとめつらしくなむ
そのゆゑよしハ筧ぬしのまな
ふみにこまやかにかヽれたれは
もらしつ
  天保七年の夏
    長門守藤井高尚

  ものヽふのいさをにたてしをまなへよと
    はつ子にのこすものヽくそこれ
            遠孫 真鍋祐芳
えぼうしの事は 己が「松の落葉」の書に詳しく
記しつれど もみひきたて等いう名のは
考え漏らしつ。大かたの古き書に名の見えぬ
ように覚ゆるは 世の騒ぎに兜の下
に着つるものにて 世の常のものに
あらざればなるべし。むかし人は頭に
もの着ぬはいたくなめき(=不躾な)ことにしつれば
兜を脱ぎて高き人のお前に
出でんには 実にこれなくてはとぞ思わるる。
さてこの写し絵はさぬきの国高松の
里人真鍋祐芳の家に伝えたるひきたて
えぼうしにて寿永の騒ぎにこの家
の遠祖(とおつおや)真鍋五郎助光の着つる
なりとぞ いといと珍しくなむ。
その故縁は筧ぬしのまな
ふみにこまやかに書かれたれば
漏らしつ
  天保七年の夏
    長門守藤井高尚

  ものヽふのいさおに立てしを学べよと
    初子に残す物の具ぞこれ
            遠孫 真鍋祐芳



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