藤井懶斎

 
藤井懶斎(らんさい)は、初めは真名部忠菴と称した。


「日本随筆大成<第一期>第17巻」(S51.3.10、日本随筆大成編輯部編、吉川弘文館)の冒頭、「解題」の項に、藤井懶斎の説明が書かれている。

藤井懶斎

真鍋敏昭氏の調べでは、藤井懶斎は寛永5年(1628)(元和とも)生まれ、宝永6年(1709)没。
父は讃岐高松の真行寺住職了現、了現の妻は三好勘左衛門の娘、了現の父は了休、了休の妻は真鍋又左衛門の娘、となっている。

「竹原志料」によると、懶斎は「真鍋仲菴」。真鍋又左ヱ門藤原某の子が真鍋弥助祐重(号林禿)、祐重の娘が八世了休室。九世了現の室は三好勘右ヱ門源某の娘となっている。


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