和泉の眞鍋氏




真鍋夫人の碑
真鍋夫人の碑

この碑はかつては真鍋山古墳の頂上にあったと書かれている。
古墳は勿論古墳時代にできたものである。
後年にこの地を真鍋氏が領有してから真鍋山と呼ばれるようになったのであろう。
真鍋夫人の碑

真鍋夫人の碑

真鍋夫人の碑

真鍋夫人の碑


この碑文の写しまたは拓本はどこかに収録されているのだろうか。記録を見つけられなかったので、とりあえず碑文から次の通り写し取ってみたが、ところどころ読み取れないところがある。

今茲元和八年壬戌孟秋念日本■院殿■大禅定尼俄
此故■仲秋念日造立石碑従■滄海変豈斯碑有消日

銘曰造立禎左塔■■然上■碧落下■黄泉
    一見■恵再生天主功徳無
右泉日根郡淡輪之産藤原朝臣真鍋貞成公為婦人造立焉
■此功■方神位速■成■■花園末枝盛南紹厚謹誌焉


【注】
白字=判読難(白字でないところも明確に判読できたわけではない)
■=判読不能
元和8年=1622年、みずのえいぬ(壬戌)
孟秋=初秋、陰暦の七月
仲秋=陰暦八月
念日=二十日



この碑文の写しが見つかりました。「淡輪村誌」に掲載されているようです。
(この情報は高松の岡様から頂きました。ありがとうございました。)
碑文
碑文



上記をもとに、実際の碑文の文字も考慮して書き直すと、次のようになろうか。

咄(=はなし)
今茲元和八年壬戌孟秋念日 本有院成覚清圓大禅定尼俄然逝
此故同於仲秋念日造立石碑従前滄海変豈斯石碑有消日
銘曰造立頑石塔様巍然上穿碧落下徹黄泉
    一見離恵再顧生天况這施主功徳無邊
右泉州日根郡淡輪之産藤原朝臣真鍋貞成公為婦人造立焉
依此功用力神位速轉凡成聖方必花園末枝盛南紹厚謹誌焉



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