和泉の眞鍋氏

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眞鍋五郎右衛門貞成は紀州徳川氏に仕えた。「南紀徳川史」堀内 信編(南紀徳川史刊行會)の名臣伝と職籍のなかに次のような記述がある。
貞成は晩年に眞入齋宗白と号しており、ここに出てくる眞入公とは眞入齋のことである。

名臣伝  職籍



「南紀徳川史」によると、貞成には男子がなく、病死から50年の後、外孫の三浦勘助二男、五郎右衛門貞留に跡目を継がせた、とある。

また、眞部(まなべ)子明も儒学者として記載されている。眞部子明は紀州候の譜代の臣、とある。



眞鍋五郎右衛門貞成は熱心なキリシタンであったとする記事があります。(「和歌山市史 第二巻」より)
(なお、この情報は高松の岡様よりいただきました。お礼申し上げます。)
キリシタン武士

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