「藤原信成」


☆真鍋島の真鍋総本家「先祖系圖」によると、真鍋氏の始祖は

        藤大納言信成白河院ヨリ五代・・・・・

となっている。

次の表は「公卿補任」の記載に基づき、各人物が昇進していく様を視覚的に表現したものである。

ここで「藤原信成」は参議である。(この人物は年代からみて、吾妻鏡に登場してくる信成と同一人物のようだ。)

しかし、その父君である「藤原忠信」は、(正の大納言まではならなかったが、)権大納言である。



「公卿補任年表」笠井昌昭編(山川出版社)より


しかも「藤原忠信」は、次の資料に示すように配流にもなっている。(配流先は瀬戸内ではないが・・・)

「藤原信成」も「藤原忠信」も、美作あるいは備前の権守に任ぜられている。(しかし、この当時本人が任地へ実際に赴任することはなかったと思うが・・・)

「公卿人名大事典」野島寿三郎編(日外アソシエーツ)より


白河院より五代というのは、「信成」のことではなく、この時期の後鳥羽上皇のことと解釈すれば、白河−鳥羽−後白河−高倉−(再度、後白河)−後鳥羽と、白河院から数えて後鳥羽上皇は五代目である。

真鍋島の系図を真鍋貞友が書いたのは、この時期から200年以上もたっている。その間どういうふうに伝承してきたか知らないが、事実錯誤が含まれている可能性は大きいと考えて、参議「信成」が真鍋先祖の候補として、かなり近いと考えてはどうだろうか。
(ちなみに、わが家でも100年前の家系を遡っただけで、相当あいまいになる。)

ただしその信成の子と真鍋島とのつながりは見い出せないが・・・。