「保元物語・平治物語」日本古典文学大系31(岩波書店)より

底本=古活字本(宮内庁書陵部蔵本)

金刀本(金刀比羅宮蔵本)にも同様の表現がある。京図本(京都大学附属図書館蔵)にはない。



生きていたのか、死んでいたのか?

「京都大学附属図書館蔵 保元物語」(和泉書院)より

  矢傷を受けた後も敗走の途中、頼長は、宇治より奈良に逃れていた父忠実に面会を求めている。老練な政治家である忠実はもはや敗軍の将である頼長には会わなかったが、 これだけ身動きできた頼長が数日後に死んだというのも不自然ではなかろうか(現在ほどの医学はなかったにしても)。
  後白河天皇側は頼長の探索を続けたが見つけられず、合戦から10日もたって、頼長は死亡し埋葬されたという申告を聞いて、検分にいっている。