崇徳院御遊所池


崇徳上皇は雲井御所滞在中に、当時は海沿いだったらしいこの辺りをよく訪れた。雲井御所跡地からここまで直線距離で1.5kmぐらいである。

崇徳院御遊所池





天保五午年三月吉日
崇徳院遊所池
盛田勝右衛門(だろうか?)
と書かれている。

盛田勝右衛門が私財でこの碑を建てたらしい。
(この碑は大正時代に作り直した2代目か?)


<御遊所池への道順>

坂出市林田町浜西の琴参バス浜西バス停から、
北東方向(浜中バス停方面、この写真では手前の方)へ行く。
H24.5.11

浜西バス停から200mぐらい歩くと、さかえドライがある。
さかえドライ前で左折して路地に入る。
H24.5.11

路地を5〜60m歩くと右手にさらに細い路地がある。
H24.5.11

路地の奥には立入禁止の看板や鉄鋼構築物がみえるが、
立入禁止看板の手前まで行くと右側に小さな池(堀)がある。
(崇徳上皇は海辺の散策が好きでたびたび訪れていたのなら、
当時この辺りは海岸だったわけで、池はなかったのでは?
後の人が、なくなった海岸のかわりに池にしたか?)
H24.5.11

平成24年5月16日の四国新聞のコラムによれば、
「林田町では松山館や松山津を示す地名は見当たらず、江戸時代以前には現在の海岸線より1〜1.5キロ南方まで干潟が広がっていたことが分かった。・・・干潟は水深が浅く、船を安全に停泊させることは難しく、林田町海岸部に津があったとは考えにくい。やはり風除けのできる雄山の北東麓に津があったことは十分考えられる。」
と書かれており、下図の点線が「江戸時代前期の干潟の範囲」と想定されている。
崇徳上皇はこの海岸線が好きでよく遊びに来ていた、ということだろう。


「府中村史」(S38.9.10, 元村長栗林三郎編集発行)より







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