以下の文書には、人力発電教を神学的に検討した結果が述べられています。神のことについては全くふれられていなかった人力発電教ですが、どうも「神」が存在することがほのめかされているようです。教祖の98年6月25日付けのメールに書かれていた内容です。


 はたして人力発電教に神は存在するのであろうか。

 人力発電教の教えは、「紙切れ一枚」ぽっきりで終わってしまい、それ
以上のことは全く伝えられていない。すなわちこの「紙切れ一枚」こそが
人力発電教のバイブルであり、ここにすべての教えや戒めが込められてい
るのである。

 この「紙切れ一枚」の中には、先ほどの問いに対する直接の答えは書か
れていない。「神」という言葉は一言も書かれていないのである。
 ところが、この「紙切れ」を読み深めていくと、実は「神」としか表現
しようのない存在があることが読みとれることがわかる。それは、全能で
はないが、あることに対しては全知の「神」である。世の中に伝えられる
多くの「神」にもひけを取らないくらい、非常にすんばらしい「神」なの
である。

 ここで教えの部分を「紙切れ」から引用しよう。

 人間は死んだら誰もみな人力発電地獄に堕ちる。そこでは生前に使った
エネルギーの総量を発電するまで自転車をこぎ続けなくてはならない。だ
からエネルギー消費の少ない生活をしよう。電気や化石燃料を使わない生
活をすれば救われる。


 死後の世界についての議論は、一般的に果てしないトートロジーに陥る
ために、ここでも神の存在理由とはしない。私たち生きる者にとって支え
となるものでなくてはならないのだ。
 そう、ここに存在する「神」は、生前に使ったエネルギーの総量を測定
できるのである。これは明確に「紙切れ」に書かれている。
 すべての人間について、どれだけ電気を消費したのか、どれだけガソリ
ンを使ったのか、どれだけガスを使ったのかをちゃんと測定しているので
ある。しかも「研究成果」を見ると、直接消費したエネルギーだけではな
く、製品を製造するエネルギーなど間接的に使われた分も計上しているの
である。これはとんでもなくすばらしいことである。部屋で二人で居ると
きに電気をつけた場合、この二人の間でのエネルギー消費の割り振りをど
うするのか(付けた人の責任とするのか、便益を得た量に比例するのか、
単に半分にするのかわからないが)もきちんと評価しているのである。製
造エネルギーを含めるといっても、製造過程で副産物が生まれたとき(苛
性ソーダを生産するために塩素が生成されるなど)そのエネルギーを、二
つの製品にどう配分するのかについても、人間界では大きな議論となって
いるのだが、きっと解決策を見つけて評価しているのである。自然エネル
ギーと化石燃料起源のエネルギーについても、きっと正しく評価を下して
いるのであろう。オフィスで冷房温度を下げた人がいた場合、そのエネル
ギーは設定を下げた人に分配されるのか、ちょっとがまんしていたのだけ
れど本当は下げてもらいたかったと思っている人にも配分されるのか、ど
うでもいいと思っている人にも配分されるのか、さらには下げてほしくな
かったと思っている人に対しては配分されるのかどうか、そんな人の心に
まで立ち入って配慮してエネルギーの分配をしているのであろう。
 こんなことは人間には決してできまい。こんなすばらしい能力を持って
いる存在を、神と呼ばずしてなんと呼ぼう。


連絡先

  〒606 京都市左京区聖護院蓮華蔵町26-3 安田ハイツ6号   鈴木靖文(一応教祖)
  Mail:ysuzuki@mti.biglobe.ne.jp


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