ふ る さ と を 歩 く
久御山町の歴史と伝承
 
弥陀次郎物語
 
一口は古い史書にも出てくる土地だから数多くの伝説が今に残っている。特に安養寺に伝わる「 弥陀次郎と十一面観世音尊像 」の話は、近郷の伝説として知られている。  
 
悪の次郎と呼ばれるほど評判の悪かった漁師が、門付けの坊さんの頬を焼火箸で焼いたのに、坊さんは痛がりもせずに去っていった。 次郎は不思議に思い、後をつけて行くと、坊さんは粟生光明寺( 長岡京市 )に入り姿を消した。  次郎が本堂に入り本尊を拝すると、頬に火箸の跡があり、血が流れていたという。次郎は涙ながらに我が罪を謝し、心気一転仏道に帰依するようになったという。  その後、夢の中で仏のお告げがあり、次郎は淀川の神木渕( 伏見区淀付近 )から一体の仏像を引き上げた。この仏像が安養寺本尊の十一面観世音である。
 
安養寺の祭は、毎年3月17日〜19日の3日間、一口の青年が念仏と共に打ち鳴らす双盤など無形文化財的な仏事もあって、にぎやかに行われている。  しかし、春祭りに御開帳されるのは、弥陀次郎像だけで、秘仏観音の御開帳は33年ごとを目安として盛大に行われている。  明治以降の御開帳は、明治16年に30日間、大正7年は33日間、昭和24年は10日間、昭和55年は7日間、村をあげて大法要を奉賛した。  この期間中は、東一口村だけでなく、巨椋池沿岸の村々からも連日花笠や山車を繰り出して祭りに協賛したという。
 
 
 
 
弥陀次郎伝説が伝わる 安養寺
 
昭和55年4月 稚児行列
 
双盤念仏
 
 
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