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アンセルメとバレエ音楽 (2001.3.25)
エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)が亡くなって、はや30年を越えました。
私はアンセルメが大好きで、若い頃、アンセルメと彼が指揮したスイスロマンド管弦楽団のLPレコードを買いあさっていました。
アンセルメは、「バレエ音楽の神様」、「音の画家」、「オーケストラの魔術師」などと言われていました。
私は「音の画家」という言葉がふさわしいと思います。自らが統帥するスイスロマンド管弦楽団というカンパスに、指揮棒と言う絵筆で、自らの音楽を描いたのです。
このカンパスでは、チャイコフスキーの「白鳥やくるみ」、ストラビンスキーの「火の鳥やペトルーシュカ」、そしてファリャの「三角帽子」といったバレエ音楽や、リムスキーコルサコフ、ドビッシー、ラベル達の音楽が、イキイキと蘇ったのです。
私が彼の指揮を見たときは、既に80歳半ば近くで、さすがに指揮台に立つのもやっとという位でしたが、真っ白な堂々たるあごひげをたくわえた風貌は、音楽家というより、むしろ博識の学者と言うイメージでした。
それもそのはず、彼は指揮者になる前は、数学者だったのです。
簡単に私が知っている範囲で、彼の生い立ちを追ってみましょう。
エルネスト・アンセルメは、1883年レマン湖畔のヴヴェーに生まれました。
数学が好きで、ローザンヌの高校を卒業してパリのソルボンヌ大学とパリ大学で数学を学び、ローザンヌの大学で数学の教鞭をとっていました。そのかたわら音楽の勉強をしていたそうですから、大変頭の良い人だったのでしょう。
音楽家としてのデビューは1910年。モントルーだったそうで、この時はベートーベンの「運命」を振ったそうです。
1915年、ディアギレフの主宰するロシア・バレエ団(バレエ・リュス)に指揮者となり、1918年、ジュネーヴにスイス・ロマンド管弦楽団を創設しました。(ロマンドとはフランス語圏のことだそうです)
彼は、地方の三流でしかなかったオーケストラの技術を磨き、世界一流のオーケストラにまで育て上げました。第二次大戦後英国デッカ社に、その膨大なレパートリーを録音するようになり、彼の演奏は今でも日本のレコードショップの店頭に並んでいます。
1969年、86歳の生涯を終えましたが、彼の死後スイス・ロマンド管弦楽団は当時の音を失ってしまったと言われています。いかに彼の存在が大きかったかがわかります。
さて、話をバレエ音楽に戻しましょう。
アンセルメがバレエ音楽を指揮すると、それはそれは生き生きとした、素晴らしい演奏になります。
これには、彼が近代バレエ史上忘れることが出来ない有能な興行士ディアギレフのバレエ・リュッス(ロシアバレエ団)の指揮者でもあったことが多分に影響しているようです。
ディアギレフがアンセルメの才能にほれ込んで、彼を指揮者に招いたということですが、確かにアンセルメの演奏を聞いていると、彼の指揮で踊るバレリーナは、さぞかし踊りやすいだろうと思われるのです。テンポのとり方が実にうまいのです。
アンセルメが「バレエ音楽の神様」と言われるのも納得いきます。
アンセルメが指揮したバレエ音楽は相当の数に上ると言われていますが、彼はその多くを録音してくれました。
まだ現代のディジタル録音がない時代、しかも真空管アンプの時代のものが大部分ですが、かなりの数の録音がデッカレーベル(ロンドンレコード)として残っていて、今でもLPレコードやCDで聞くことが出来ます。しかも当時としては最新鋭のデッカのFFSS録音でとても良い音です。
何十年も前に録音されたバレエ音楽を今も最高の演奏で、しかも良い音で聞けるなんて、本当に素晴らしいことだと思います。
彼は、バレエ以外にも、フランス系の音楽に素晴らしい録音を残してくれていますが、とりあえず、私のもっているアンセルメのバレエ音楽を以下に書いておきます。
・チャイコフスキー:白鳥の湖、眠りの森の美女、くるみ割り人形
・ドリーブ:コッペリア、シルヴィア
・プロコフィエフ:ロミオとジュリエット
・ストラヴィンスキー:火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典
・ファリャ:三角帽子
・ラヴェル:ダフニスとクロエ、ボレロ
・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、おもちゃ箱
・アダン:ジゼル(コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団)
・ショパン:シルフィード(コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団)
・シューマン:謝肉祭(コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団)
・ロッシーニ:風変わりな店(コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団)
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