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アラ・シゾーワのこと       (2001.07.08)

珍しい映像を見ました。アラ・シゾーワとルドルフ・ヌレエフの「海賊」のパ・ド・ドゥです。
1958年の録画で、アラ・シゾーワとルドルフ・ヌレエフが、レニングラード・バレエ学校を卒業し、プロとして踊り始めるまでの間にバレエ学校のステージで撮影されたそうです。
アラ・シゾーワはこのままロシア(当時はソヴィエト)に残りますが、ヌレエフは西欧に亡命し、マーゴ・フォンティーンとペアを組み、ニジンシキーの再来と賞賛されて彼の全盛時代を築きました。
 
アラ・シゾーワは、その後、キーロフバレエ団に入り、敏捷性と軽々とした跳躍で”空飛ぶシゾーワ”と言われて、ジュリエットやオーロラ姫で好評を博すのですが、この映像を見ると、それもなるほどと頷くほど、ソロでの跳躍の高さと、グランフェッテ・アントゥールナンの華やかさに驚かされます。
彼女は、1960年代から1970年代後半までキーロフで踊っていたようですが、その後は踊った様子がありません。どうなったのでしょう。
 
私は彼女のオーロラ姫を二度見ました。 一つは映画で、もう一つは来日公演でのステージです。
来日公演の方は、東京バレエ団の「眠りの森の美女」のオーロラ姫でした。しかし、この公演の印象はあまり残っていません。 来日の疲れからか、コンディションが良くなかったようで、ローズ・アダージョのバランスも今ひとつでしたし、第三幕のパ・ド・ドゥもあまり覚えていないのです。
もう一つは映画ですが、こちらは一転して、素晴らしい踊りでした。 特に第一幕の「ローズ・アダージョ」は圧巻です。 お目当てのバランスでは、アチチュードのポーズでびくともせずに、とても長ーいバランスを保ちました。 西欧系のバレリーナはアチチュードの左足をあまり上げずにバランスをたっぷりと、ロシア系のバレリ−ナは足を高く上げるけれどバランスはほどほどに、というのが多いのですが、このシゾーワは、左足を90度以上に上げて、かつバランスもたっぷりだったのです。サポートの手を離し、アンオーのまま、バランスを十分とってから、ふわっと次の王子の手を握るのです。急いでガシッと握る人もいる中で、本当に優雅。でも、とても難しい技なのに、柔和な表情で、いとも軽々とこなしていました。フィニッシュのアラベスクも高く上げた足がとてもきれいで、見事なポーズで締めくくりました。 view
この映画の映像は、カメラのアングルが低めで、ダンサーの動きをとてもよく見る事が出来ます。バレエ教材としても最適ではないでしょうか。ただ、1964年頃の古い映像なので、鮮明さに欠けることは否めません。ファンタジアなどの映画が最新の技術で見違えるように生まれ変わりましたが、この映画も再生されることを望みます。
 
この映画で王子を踊っていたユーリー・ソロビエフは、ソロのダンサーとしてもシゾーワのサポーターとしてもとても素晴らしかったのです。シゾーワがのびのびとパ・ド・ドゥを踊れたのも、彼のがっしりとしたサポートがあったからでしょう。
でも、このソロビエフ、暫くして癌でなくなってしまいました。もし生きていたら、ヌレエフとほぼ同世代。二人の火花の散る競い合いが見られたかもしれません。返す返すも、残念ですね。

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