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C53型蒸気機関車の模型    (2008.1.27)

30年以上も前に作って、今でも大切にしているC53型蒸気機関車のプラモデルがあります。C53型は、蒸気機関車の女王C62、貴婦人C57や、貨物用のデゴイチD51のようにポピュラーではありませんが、私があえてC53を選んで組み立てたのは、C53が国産唯一の3シリンダー式の機関車という、他機にない構造に魅力を感じていたからです。 左右のシリンダーの間にもう一つ、シリンダーを置き、自動車のエンジンと同じようなクランクのついた第2動輪のシャフトを回しました。後にも先にも3シリンダー式機関車はC53をおいて他にありません。自動車でも、シリンダーの大きさが同じなら、多気筒車種の方が強力ですし、振動も少いのが普通です。 3シリンダーのメカニズムを組み立ててみたいと思い、C53を選びました。

30年も前の模型ですから、飾り台のプレートは「JNR(日本国有鉄道)」となっています。

C53型蒸気機関車の誕生には、次のような背景があったそうです。
昭和の初め、国鉄は客車の鋼製化を進めていました。1926年(昭和元年)9月23日に山陽本線で特急列車(富士)が豪雨による築堤崩壊により脱線転覆、車両は大破し多数の犠牲者を出しました。この車体の材料は木材が用いられていました。もし鋼鉄製であったら、死傷者数を少なくでき、これほどの惨事にはならなかっただろう、考えたからです。 しかし、客車は鋼製化により車重が増加し、当時の主力大型機関車だったC51形でも力不足となることが見込まれました。この頃の技術では2シリンダー機関車としてはC51型を上回る性能を持つ大型機関車を製造することは困難と判断され、既に欧米で実用化されていた3シリンダー機関車を製造することになったのです。シリンダーの大きさが同じなら、2つより3つの方が強力です。パワーアップの必要に迫られた当時の国鉄の技術者が、車体を大型化せず、コンパクトな最新技術の3シリンダーに目を向けた産物だったのです。 でも、日本には3シリンダー機の製造経験はなかったので、3シリンダー式の8200型(後にC52型と改称)を米国から輸入して研究し、テスト結果や運用結果に基づいて設計製造されたのが、C53型蒸気機関車です。 このようにして、C53型蒸気機関車は、1928年(昭和3年)に誕生しました。
8200型(C52型)の動輪直径1600mmmに対して、C53型は1750mm、圧力は13kg/cm²に対して14kg/cm²と性能的にアップし、旅客輸送の増加に伴う列車編成の増大や速度の向上に貢献しました。(ちなみの国産最大のC62型は動輪は同じ1750mm、圧力16.0kg/cm²です。)  東海道・山陽本線の特急や急行の牽引に使われ、特急「燕」の沼津・下関間を担当したこともあります。廃車までに一度も東海道・山陽本線以外に配車されたことがないという珍しい機関車でした。
3シリンダーという特殊な構造の為、保守が大変でしたが、適切な整備を受けたC53は、強力な起動力と振動の少ない滑らかな加速で機関士の評判も良く、3シリンダー独特のリズミカルなドラフト音を轟かせて、急勾配を駆け登って行ったそうです。
でも、狭軌の悲しさ。欧米の広いゲージと違い、大きな蒸気シリンダー3個を横に並べるのは狭いゲージでは無理があり、高速運転中にシリンダーの焼き付きがあったり、後退への切替がうまくいかなかったなどのトラブルも起きて、保守現場から嫌われ、しかも石炭の消費量が多いとあって、電化の波をまともに受け、最も早く全車の廃車に追い込まれた、短命な悲運の機関車でした。
スタイルの特徴は、直線的な力強いデザインで、車輪はスポークと、他の日本型蒸気機関車に無い味わいがあります。私は、このデザインが好きで、約40センチのC53のこの模型を大切に保存しています。

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