ベルリンから、アウトバーンを走って、ライプツィヒに向かいました。
途中には、マルティン・ルターの町ヴィッテンベルクがあります。
この町は、ルターによって16世紀にヨーロッパの精神生活の中心地となりました。
ルターと並んで同志フィリップ・メランヒトンや画家クラナッハ一家も人生の頂点をこの町で過ごし、
1996年以来ユネスコの世界遺産に登録されています。
宗教改革が実際に起こったオリジナルの舞台が立ち並ぶ町ということで、行きたかったのですが、バスはインターチェンジを素通り、残念でした。
約3時間でライプチッヒに着きました。ラウプツィヒは、芸術と学問の街として、バッハ、ゲーテなど多くの文化人を生みました。
19世紀にライプツィヒ←→ドレスデン間に鉄道が敷かれて町は大きく発展、
中央駅は今でもドイツ最大規模とのことです。新旧の建物が共存する独特の雰囲気が漂う町です。
中心は旧市庁舎のあるマルクト広場。バッハゆかりの聖トーマス教会、
東西ドイツ統一の先駆けとなった聖ニコライ教会などがあります。
聖トーマス教会はバッハの教会として知られていますが、バッハはこの教会で27年間も合唱団の指揮者を務めたとか。
教会の前に立像があり、バッハの墓も教会内の祭壇前にありました。近くにバッハミュージアムがあります。
中にはバッハの生前使用した楽器や直筆の楽譜などが展示されているとのことですが、今回は入館は出来ませんでした。
昼食は、アウアーバッハスケラー。1765年に法律学を学ぶためにゲーテはライプツィッヒ大学に入学し、3年間在学しました。この時よく訪れたのが、この居酒屋アウアーバッハスケラーで、「ファウスト」にも登場します。
今も人気のレストランだそうで「ファウスト」の壁画が残っています。料理はドイツ風で、ビールがおいしかった。
アウアーバッハスケラー
モーツァルトは、1789年にドレスデンに行った後、ライプツィヒに来ています。
ライプツィヒに到着したモーツァルトは、この聖トーマス教会でオルガンの即興演奏を行いました。
大バッハの後任に当たるカントール、フリードリッヒ・ドーレス、オルガニストのカール・フリードリッヒ・ゲルナーが
モーツァルトの横でオルガンのストップを操作したという記録が残っています。
伝統ある聖トーマス教会附属学校の生徒たちは、モーツァルトのために大バッハのモテトを合唱したと伝えられています。
また、モーツァルトは、ゲヴァントハウス劇場でコンサートを開いています。
プログラムは、クラヴィーア協奏曲が2曲、ハ短調の幻想曲、変奏曲、アリアが2曲、交響曲も2曲という長大なものでした。
このコンサートには、ドゥシェック夫人のヨゼフィーナが出演しました。
昼食後バスでライプツィヒを出発して約2時間でドレスデンに着きました。ドレスデンは「エルベのフレンツフェ」といわれる、エルベ河畔の美しい街です。
ゲーテも川沿いのブリュールのテラスからエルベ川を眺めながら、この町を「ヨーロッパのバルコニー」と称賛したとのことです。
ツヴィンガー宮殿からエルベ川河畔にかけて、ゼンバー・オペラハウス、ドレスデン城、旧カトリック宮廷教会、ブリュールのテラスなど、
観光名所が続いています。
ザクセン王国の首都であったドレスデンは、今年が丁度建都800年で、お祭りの屋台もたくさん出て賑わっていました。
1945年春、第2次世界大戦の二日にわたる空襲で徹底的に破壊され焼け野原となったドレスデンでしたが、
その後東独時代にツヴィンガー宮殿、ゼンパーオペラが再建、
そして2005年にはがれきの山であったフラウエン教会の修復が完了しました。
実に建都800年の前年に、以前と全く同様の姿に復元されたのです。
その代表が広い中庭を華麗な建物がぐるりと囲むツヴィンガー宮殿。
ドレスデンのシンボルとも言えるバロック建築の美しい宮殿です。
宮殿西翼のアルテマイスター絵画館には、レンブラントやルーベンスらの作品が展示されています。
ラファエロの「システィーナのマドンナ」も見ました。
ツヴィンガー宮殿
アルテマイスター絵画館 内部(ラファエロ・システィーナのマドンナ)
ドレスデン城の長さ101mにわたるマイセン磁器で作られたザクセン王国の王様たちが書かれた「君主の行列」にビックリ。
また、高台から眺めたエルベ川はとてもきれいでした。2002年にはこの川が氾濫し、ドレスデンは大洪水に見舞われたのです。
ドレスデン城の「君主の行列」 エルベ川
第二次大戦終結直前の大空襲で崩れ落ちたバロック式のフラウエン教会は、
旧東独政府は戦争警告の碑として瓦礫の山を残しておきましたが、ドイツ統一後に浄財を集めて再建され、2005年秋に完成しました。
新しい聖母教会はかつて「石の釣鐘」とも称された直径25mの大ドームを復元し、見事な姿を取り戻しています。
その姿は白い外壁に所々黒い素材が使われた、ちょっと見た感じイビツな印象を受けますが、
実は黒い素材はオリジナルの建材で、白い部分が新たに付け加えられた素材です。
建物全体が白っぽく見えるのは、それだけオリジナル素材が爆撃によってほぼ完全に失われてしまったことの証明でもあるわけです。
再建された教会のてっぺんには「黄金の十字架」が飾られています。これはドレスデン空爆に参加した空軍兵士を父に持つ
英国人金細工師の作品で、これこそがまさに「和解の象徴」と称されています。
フラウエン教会 ニコライ教会
建築家ゼンパーにより建築されたゼンパー・オペラでは、ワーグナーがタンホイザー、さまよえるオランダ人を初演、
ウェーバーが魔弾の射手、リヒャルト・シュトラウスがバラの騎士を初演しました。このドレスデン歌劇場管弦楽団はベルナルト・ハイティンクが率いています。
2002年の大水害で水没しましたが、現在は復旧しています。ゼンパーオペラには、現在、K バレエ・カンパニーのプリマ、康村和恵が在籍したドレスデン歌劇場バレエ団があります。
ここはロシアから渡ったウラジーミル・デレヴィヤンコが芸術監督を務めています。