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グラン・パ・クラシック:プラテル、ル・リッシュ     (2008.11.16)

「グラン・パ・クラシックはギエム」と言われたほど、超絶技法連続で女性ダンサー泣かせのグラン・パ・クラシックを、シルブィ・ギエムは楽々とこなしました。体操選手だった幼い頃、並外れた脚力と柔軟性がパリオペラ座のクロード・ベッシーの目にとまり、バレエに転向したというギエム。耳に触れるほど迄、脚を180度を超えてピタリと止める「6時のポーズ」と呼ばれる人間業とは思えない柔軟性と、男性のサポートなく一人でビクともしないバランスキープは衝撃的で、ギエムの客演が多かった東京バレエ団では、「私だって出来るワ!!」とばかり、大きな開脚や長いバランスを競ったダンサーも見受けられました。、繊細さと気品で自他共に認めたプリマの吉岡美佳さんですら、「ローズ・アダージョ」でのバランスや、パ・ド・ドゥでのアラベスクの開脚の凄さには危機感を感じたらしく、「リハーサルでは、自分の出来るギリギリまでバランスをとってみました」(クララより)と懸命な努力をしたようで、このようなギエムへの挑戦は、自らの技の幅を広げることにもなったと思います。
ギエムのグラン・パ・クラシック初演の舞台には、ショバレが直接指導に当たったほどで、ギエムは、この踊りで、強靭な脚力、柔軟性、バランス力といった技術を最大限に発揮しています。でも、私はギエムのグラン・パ・クラシックは好きになれません。確かに開脚もバランスも凄まじいもので、ビックリしますすが、ただそれだけのこと。「すごいでしょ!!」と言わんばかりの傲慢さとわざとらしさが、鼻についてしまいます。20世紀中頃の初演とはいえ、古典のグラン・パ・ド・ドゥの形式のグラン・パ・クラシックは、技術一辺倒ではなく、もっと繊細さや気品が必要に思います。
私が好きなのは、エリザベート・プラテルのグラン・パ・クラシック。プラテルとパートナーのニコ・ラ・ルリッシュは、1993年にアナニアシビリ等と来日し、バレエコンサートでグラン・パ・クラシックを踊りました。
プラテルは.1999年にパリオペラ座を定年退職し、2004年からクロード・ベッシーに代わってパリオペラ座バレエ学校の校長を務めていますが、当時はオペラ座のエトワールとして絶頂期でした。プラテルはエトワールというダンサーとしての頂点にありながら、それを奢れず、誠心誠意、謙虚に舞台を務めたと評判でした。「バヤデール」の舞台で主役ニキアは当然彼女と誰もが思っていたのに、脇役ガムゼッティにまわされても、決してわるびれず、見事に役を全うし、観客を感動させたとのことです。
このグラン・パ・クラシックも、こんな彼女の慎ましやかな気持ちが感じられ、とても丁寧に踊っています。繊細で、なめらかで気品のある透明感。そして、可愛らしい。「グラン・パ・クラシック」を観て可愛らしいと感じたのは初めてかも知れません。ギエムのアクロバットまがいの超絶技法ではなく、むしろ、バランスもヴァリエーションも、今にも崩れそうでハラハラしたほど、不安なところもありました。リッシュに右手を支えられたプロムナードの回転後のアティチュードのバランス、握りしめた手が震えてなかなか離せない。表情は強ばっていました。意を決して、離した手をアンオーまで高く挙げ、グッと堪えます。鋭いトゥの先からすっと伸びた美しい足の甲がギクギク震えながらも、必死にバランスを持ちこたえる姿には感動します。続く、女性ダンサー泣かせの超絶技法の連続のヴァリエーションでは、左手を腰に、一瞬ポーズをとり、続いて両手を腰に右足一本で巧みに回ります。今にも崩れてしまいそうなところもあり、見る方は思わず身を乗り出し、固唾をのんで見つめてしまいます。でも、笑顔を忘れて必死に踊る姿はいじらしく、「頑張って!!」と声をかけたくなるような初々しさを感じました。 無事踊り終わって、汗びっしょり、大きく息を弾ませて、ホッとした笑顔が戻りました。よほど嬉しかったのでしょう、目が潤んでいました。

謙虚に努力を惜しまず、舞台に専念していたプラテルですが、「ベッシー時代はリファール世代のダンサー、これからはヌレエフ世代のダンサーが教えを伝えていきます。」というプラテルの思い。プラテルという最高の指導者を得て、パリオペラ座バレエ学校は、一層素敵なエトワールを排出する、魅力的なバレエ学校になることでしょう。

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