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イタリア縦断の旅 (2005.9.4)
私にとってプライベートでは昨年(2004年)夏の北フランス以来の3度目のヨーロッパ旅行です。他に、旅行ではありませんが、1996年にドイツのデュッセルドルフとイタリアのミラノへ行く機会がありましたので、正確には4回目です。
2000年の時は、モーツァルトゆかりの地訪問ということで、ザルツブルクやウィーンを、2004年は、フランスのお城巡りでした。今年は結婚30周年記念を兼ねてのイタリア縦断旅行です。前回は妻と娘の3人の旅でしたが、今回も娘を連れての3人の旅です。
時間の関係で、以前もツアーを利用しましたが、今回もツアーを利用しました。ツアーの名は「優雅なイタリア周遊8日間」。
娘はミラノにもう少し滞在してゆっくり買い物をしたかったようですが、ツアーですから仕方がありません。
もっとも、私にとっては、娘の買い物に余計な出費が少なくて好都合なのですが。
第1日 | 成田→チューリッヒ スイスインターナショナルエアラインズ | ローマ泊 |
第2日 | ローマ(一日滞在) サンピエトロ寺院→コロッセオ→トレビの泉 | ローマ泊 |
第3日 | ローマ→アッシジ→フレンツェ ヴァチカン博物館(システィーナ礼拝堂)→聖フランチェスコ教会 | フィレンツェ泊 |
第4日 | フィレンツェ→ピサ→フィレンツェ ウフィッツィ美術館→ドゥオモ→ピサ→ピサの斜塔→礼拝堂→ドゥオモ→フィレンツェ | フィレンツェ泊 |
第5日 | フィレンツェ→ベニス ドゥカーレ宮殿→サンマルコ寺院→ベネチアグラス工房→ゴンドラ遊覧 | ベニス泊 |
第6日 | ベニス→ミラノ スカラ座→→ドゥオ→モサンタマリア・デ・デッレ・グラフィエ教会 | ミラノ泊 |
第7〜8日 | ミラノ→チューリッヒ→成田 スイスインターナショナルエアラインズ | 機中泊 |
今回のイタリア縦断旅行の目玉は次の3つです。
まず、世界遺産を極力見てこようということ。ヴァチカン、アッシジの聖フランチェスコ教会、フィレンツェのドゥモ、ヴェニスそしてミラノのドゥモなどです。
次いで、名画も見て来たいというわけで、ミケランジェロの「最後の審判」、ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」そしてレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」など。
最後に、ビジネスクラスによる快適な飛行体験です。
第1日(8月27日(土))成田→チューリッヒ→ローマ
第1日目、成田空港で今回のツアー参加者と初顔合わせ。総勢12名。ツアーとしては小人数です。夫婦、女性の二人組、単身の女性・・・。
添乗員は御魚谷きよみさん。とても明るく感じよい素敵な女性です。
13時間近い長旅なので、ビジネスクラスにしました。と言っても、このツアーは、スイスインターナショナルエアラインズ(以降スイスエア)のビジネスクラス体験モニターとなっており、通常のビジネスクラスより、はるかに低価格なのです。
スイスエアは中立国スイスの航空会社、スイス航空が一度経営破たんし、スイスインターナショナルエアラインズとなり、最近(2005年3月)、ドイツ航空大手ルフトハンザに2007年までに買収されるということで、
経営面では順調でないようですが、安全性の高さと堅実なサービスが自慢の航空会社で、世界各国に乗り入れています。成田・チューリッヒ間もJALとの共同運行(コードシェア)便を加えて、毎日1便を飛ばしています。
スイスエアは、成田第2ターミナルから直接ではなく、バスに乗りついでの飛行機搭乗。
ヨーロッパの航空会社らしく飛行機はエアバスが主体で、今回もエアバスA340-300でした。
12時間を越える長時間運行なので、スイスエアの成田〜チューリッヒ便は、機長と副操縦士2名で運行。1名でも運行可能なA340には、乗務員3名は、やや過剰の気もしますが、安全重視の姿勢がうかがえます。ちなみにJALやANAのヨーロッパ線は機長と副操縦士の2名乗務です。
AM10:10、スイスエアのLX169便がウイングを離れ、ゆっくりと滑走路に向かいます。機内のモニターでは、緊急時対応の説明と挨拶があり、AM10:45離陸。
いよいよ、しばし日本を離れて、ヨーロッパへ向けて旅立ちです。
成田空港を飛び立ったスイスエアのエアバスは、1日前に関東地方を通過した台風11号から伸びている雨雲を突き抜けて急上昇。水平飛行に入ったのが、12:30頃。ロシアのハバロフスクまでまっすぐ北上し、ここからやや西に進路を変え、時速900km/h、高度10000mで、一路ヨーロッパを目指してユーラシア大陸10000キロを横断していきます。
ビジネスクラスの広さも幸いしてか、心地よい乗り心地です。
今回のスイスエアライン、客室乗務員の女性(おばちゃん)は日本人ではありませんが、礼儀正しくて、むしろ同乗している日本人スチュアーデスより優しく親しみやすかったし、機内サービスは行き届いており、機内食もとてもおいしい・・・・のです。
なんでも、機内食は四谷「ホテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフがプロデュースしたとのこと。地上1万メートルの機中でレストラン気分を味わいました。
特に、今回はビジネスクラスとあって、前回のエコノミークラスと快適さがまったく違います。ゆったりとした座席は、ボタンひとつでフラットなシートに変わります。
前日遅くまで仕事して帰宅、早朝出発の疲れもあったのですが、ゆっくりとくつろぐことができました。
そうこうしているうちに、シベリア上空を飛行し、18:00頃ウラル山脈を飛び越え、19:50頃ペテルブルグ上空をかすめて、ポーランド上空を通過したころ、
軽食のサービスが始まりました。21:40プラハ、22:00ニュルンベルグを通過し、22:30チューリッヒ・クローテン空港着。
成田空港・エアバスA340-300 チューリッヒ・クローテン空港・エアバスA321
現地時間は15:30。現在サマータイムですから日本より7時間遅いのです。腕時計を現地時間に替えました。
ローマ行きの便に乗り換えましたが、ここからは同じスイスエアのA321型機。ただしエコノミークラス。こんなに狭いのかと、改めてそれまで乗ってきたビジネスクラスの快適さを実感しました。
もっとも、昨年も、その前も、この狭いエコノミークラスでヨーロッパへ行ったのですが・・・・。
2時間弱でローマ・フィラチーノ空港に到着、ホテルへ向かいました。(ローマ泊)
第2日(8月28日(日))ローマ(一日滞在)
世界遺産のローマ歴史地区の観光です。まず、カトリックの総本山サンピエトロ寺院。
映画「ローマの休日」のタイトルでも使われたこの寺院は、先ごろローマ法王が選出されたとき煙を上げてそれを知らせました。
ミケランジェロとベルニーニが多く建築にかかわっているそうです。
人口1000人のバチカン市国の中にあり、サンピエトロ広場には国境を示す白い線が引かれていました。
サンピエトロ広場 サンピエトロ寺院
昼食は、ローマ風ピザを楽しみました。何でも「ピッツァ・カプリチョーザ=気まぐれピザ」というそうで、
超特大でしたが、おいしく全てたいらげました。
ピッツァ・カプリチョーザ=気まぐれピザ
コンスタンティヌスの凱旋門と古代格闘技場コロッセオ、映画「ローマの休日」でも使われたトレビの泉、スペイン広場を
巡りました。スペイン広場は近くにスペイン大使館があるのでこの名がついたそうですが、ここから伸びるコンドッティ通りには
有名ブランド店が並び、妻と娘は、PLADAの携帯ストラップを買いました。また、バスの車窓からは、「ローマの休日」のダンスパーティシーンで使われたデヴェレ川とサンタンジェロ城、サンタマリアクスメディン教会の「真実の口」、
ヴィットリオ・エマヌエル2世記念堂を見物しました。
コンスタンティヌスの凱旋門 コロッセオ
トレビの泉
スペイン広場 コンドッティ通り
スペイン広場頂上からのローマの眺め ビットリオ・エマヌエル2世記念堂
デウェル川 サンタンジェロ城 真実の口(サンタマリアクスメディン教会)
夕食は、ローマの路上のレストラン「カフェベネスト」で、イタリア料理のフルコースディナーを楽しみました。 (ローマ泊)
第3日(8月29日(月))ローマ→アッシジ→フィレンツェ
昨日は日曜日で休館だったヴァチカン博物館を見学。システィーナ礼拝堂にて、ミケランジェロが晩年5年かけて描きあげたという「最後の審判」の壁画や、
ダヴィデなどが描かれた壮大な天井画を見学しました。これらは、フレスコ画で、漆喰が乾く前に描くことにより長い年月変色しないそうです。
ヴァチカン美術館
ここからは、バスで移動。バスの運転手はマリオさん。とても気さくな男性です。
途中、昼食を挟んで、ローマから北東へ、バスで3時間ほど走ると、小高い山の中腹に、横に広がった白っぽい町が、見えてきました。
斜面にへばりつくように建てられた、石造りの家々。人口およそ2万人、アッシジの町です。
その町並みは、古代ローマ時代から、ほとんど変わっていないとのこと。
度重なる戦乱から身を守るため、道は迷路のように入り組んでいるそうです。
アッシジ
アッシジ
聖フランチェスカ聖堂は、フランチェスコ派の創始者、聖フランチェスコを祭っています。
町の西の斜面に立つこの寺院は上部がイタリア・ゴシック様式、下部がイタリア・ルネサンス様式の2層の建物からなっています。
下部の寺院のアーチ状の回廊が連なる様は、丘のふもとから見るととても印象的です。
内部では、聖フランチェスコの生涯を28の場面に分けて描いたジォットーのフレスコ画を見ることができました。
この教会は堀ちえみ主演のテレビドラマ「
スチュアーデス物語」の舞台になったところだそうです。ここも世界遺産です。
近くにサンタキアーラ教会があります。聖フランチェスコを慕って修道生活に入り、一生を神への祈りにささげた、
聖キアーラを祭って立てられたそうです。
聖フランチェスカ聖堂
サンタキアーラ教会
アッシジを後に、約3時間で、ルネッサンスの都フィレンツェへ。到着後夕食。(フィレンツェ泊)
第4日(8月30日(火))フィレンツェ→ピサ→フィレンツェ
フィレンツェは、トスカーナ平野の中央に位置し、かってエトルリア人が住んでいたという街です。ローマ人が「花の女神」を意味する
「フロレンティア」と名づけたのが始まりだそうです。午前中は徒歩でフィレンツェの市内の観光。
中世ルネッサンスの美術の宝庫として知られるウフィツフィ美術館で、代表作「春」「ヴィーナスの誕生」等の名画を鑑賞しました。
ウフィツフィとは、オフィスの意味でメディチ家のコジモ1世の宮殿が手狭になり、事務所として使われていたからだそうです。
その後、「花の聖母教会」と親しまれている、ドゥオモを見学。
昼食後、ミケランジェロ広場から、レンガ色のフィレンツェの町並みを一望し、ピサへ向かいました。
ドゥモ
ドゥモの天井 ヴェッキヨ橋
フィレンツェ
ピサは13世紀までベニスやジェノヴァと地中海の覇権を争っていました。
ピサの斜塔は地盤沈下のために、上端は4メールも傾いているとのこと。倒れないのが不思議なくらいです。
同じ場所にある、ドゥモや洗礼堂も、わずかに傾いているとのことです。
ピサからフィレンツェに戻り、添乗員さんの案内でタコの夕食を食べました。(フィレンツェ泊)
ピサの礼拝堂・ドゥモ・斜塔 ピサの斜塔
第5日(8月31日(水))フィレンツェ→ベニス
一路、アルペニン山脈を越えて水の都ベニスへというところだったのですが、ここで、アクシデントが起きました。
出発の8:00になってもバスが来ないのです。何でも、バスの運転手のマリオさんが、宿泊のホテルに帰っていないとのこと。
一同、一時はどうなることかと心配になりましたが、添乗員の御魚谷さんは冷静でした。会社に連絡して指示を受けるなど、
着実に対応してくださり、1時間後、無事バスが到着、出発となりました。御魚谷さん、流石です。
ベニスの船着場トロンケットでバスを降り、水上バスに乗り換えて、ベニスの本島へ向かいました。ちなみにベニスは英語、ヴェネチアがイタリア語だそうです。
昼食後、美しい大理石のサンマルコ寺院。かっての政治の中枢であり、ゴシック様式の傑作である、
ドゥカーレ宮殿を観光。その後、ベネチアグラス工房を見学しました。
夕方、6人ずつ2艘に分かれて、約40分のゴンドラ遊覧を楽しみました。カンツォーネがなかったのは残念でしたが・・・・。
水上バスに乗ってホテルへ。超近代的な美しいホテルでしたが、シャワーだけでバスタブがなかったのはチョット??。もっとも最近の若い人達は風呂につかることはないのかもしれませんが・・・・。(ベニス泊)
ベニス サンマルコ寺院・ドゥカーレ宮殿
ため息の橋 ゴンドラ遊覧
第6日(9月1日(木))ベニス→ミラノ
午前、高速道路を250km走り、ファッションの中心地ミラノへ。途中ヴェローナで休憩。
ヴェローナという町はシェークスピアの「ロメオとジュリエット」の舞台となったところ。ジュリエットの家や
野外オペラで知られるアレーナがあります。今回はギフトショップ立ち寄りだけだったのが残念でした。
途中右手にアルプスの山々が見えるはずでしたが、この日は曇っていて見えませんでした。ミラノへ到着し昼食。
午後、オペラの殿堂「スカラ座」の外部のみ見物。このスカラ座は9年前に来ました。この時は外壁が汚れて汚かったのですが、今回は修復して綺麗になっていました。
修復により左手後方に丸い建物(楽屋)が出来、これが景観を損ねたという意見もあるようですが、私はうまく調和していると思いました。前回は中に入り二階のマリアカラスの肖像画の前で写真を撮りました。今、スカラ座はシーズンオフですが、オペラやバレエが好きなので、
いつか本場の舞台を見に来たいものです。
続いて、ガラスと鉄の天井が美しいガレリア。高級ブランドショップやレストランが軒を連ねており、
娘は、目当てのPRADAでバッグを買いました。次いでイタリアン・ゴシックの最高傑作と言われるドゥオモを観光。天井へ向かって伸びる
135本の尖塔が見事ですが、正面は工事中で見えません。2年間以上続いているとのこと。9年前に来たときには、正面は全て見えましたし、尖塔のそびえる屋上にも上りました。
旅の「最後」にもなったのですが、サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会のダヴィンチの「最後の晩餐」を鑑賞。10年前に見たときに比べ、
絵が明るくなったような気がしたので、添乗員さんに聞いたところ、2年ほど前にそれまでの修復の垢を全て洗い落として、ダヴィンチが書いたままを
再現したとのことでした。
ミラノ・オペラ座(左後方に丸い建物) 9年前のミラノ・オペラ座(後方に建物はありません)
オペラ座前広場 ガレリア
ガレリアのマクドナルド ガレリアの天井とフレスコ画
ドゥモ(今回正面は見えませんでした) 9年前のドゥモ(正面が見えました)
ドゥモ ドゥモのステンドグラス
サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会(「最後の晩餐」はこの教会の食堂の壁画です)
外観だけですが、スフォルツェスコ城を見物。建築にはダ・ヴィンチも携わったとのことです。
バスの車窓からですが、チェントラーレと呼ばれているミラノ中央駅を見ました。名前とは違って意外と町の中央にないので、ここからホントの中心部のドゥオモ近辺まで歩くのは、ちょっと無理かもしれません。
ヨーロッパ最大級のこの駅は、ファシズム吹き荒れた頃、ムッソリーニ政策の一環として建てられたもので、威圧感がありますが、ファッションの町にあって合っているとはいえず、あまり好きにはなれませんでした。
(ミラノ泊)
スフォルツェスコ城
スフォルツェスコ城前広場 ミラノ中央駅
第7日(9月2日(金))ミラノ→チューリッヒ→成田
荷造り後チェックアウト。ミラノ・マルペンサ空港へ向かいました。ミラノからチューリッヒの飛行機は、100人乗りのAVro RJ100。
眼下には、雪の残ったアルプスの山々。よく晴れて見事な景色でした。
アルプス上空
チューリッヒで乗り継いで成田へ向かいました。チューリッヒからはビジネスクラス。ゆったりと座って、13:05離陸。
チューリッヒ、成田間は、12時間。モニターテレビによると、行きよりかなり北のコースを飛んでいます。
日本時間朝8:00頃、ハバロフスク上空を通過、最後の軽食が出ました。成田は2時間ほどです。
ふと隣の席を見ると添乗員の御魚谷さん、ぐっすり寝込んでいます。アクシデントもあったし、12人を引き連れての旅、
さぞ疲れたことでしょう。ご苦労様でした。
第8日(9月3日(土))成田着
日本時間8:00、成田に無事つきました。今回も、前々回のドイツ・オーストリア旅行、前回のフランス旅行とはまた違って、
のんびりして、いたって陽気なイタリア人に出会うことが出来ました。
太陽の光をいっぱい浴びて、歴史を大切にしているイタリア、おいしいイタリア料理店・・・。アッシジからフィレンツェに向かう高速道路などで、
道路標示版の電源に太陽光発電を使っているのが目を引きました。自然エネルギーの上手な使い方だと思います。日本も見習う必要が
ありそうです。
今回のツアーの皆さん、私と同年輩が大部分でとても良い方たちで、楽しく旅を続けることができました。
添乗員の御魚谷さん、本当によく勉強しておられて、とても適切な説明でしたし、アクシデントにも機敏に対応して下さいました。夕食も
ご一緒してくださり、本当に助かりました。イタリア語はおろか英語すらろくに話せない私でしたが、楽しく旅をすることができました。深く感謝しております。
ヨーロッパ旅行は今回で3度目ですが、一層好きになりました。次は、ショパンの国ポーランドなど東欧の国々、オードリー・ヘプバーンが晩年を過ごしたアルプスの少女ハイジの国スイス、
バレエの聖地サンクト・ペテルブルク、・・・、一つづつ夢をかなえていきたいと思います。
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