注)渡邊順子さんの踊りの感想です。渡邊順子さんのお許しを得て掲載させて頂きました。無断で複写複製を禁じます。
とても興味深い映像を見ました。JUNさんこと渡邊順子が、バレエ界の大御所、谷桃子から「瀕死の白鳥」のレッスンを受けている映像です。
渡邊順子は、1991年12月に、故S.メッセレル女史振付の「瀕死の白鳥」を踊りましたが、この時指導を受けたのが谷桃子だったのです。渡邊順子はこのレッスンを録画したビデオを大切に保存していました。先日、このビデオを見せて頂きました。
私がまだ幼い時、日本のプリマバレリーナといえば、谷桃子と貝谷八重子で、叙情的で優しい感じの谷桃子の踊りと活動的なキャラクターの貝谷八重子の踊りがファンを二分していました。
私は、小学生の時、「白鳥の湖」で主役のオデットとオディールを踊った谷桃子の美しさに目を奪われた記憶があります。
この二人が日本のバレエ界をリードし、このあと松山樹子や牧阿佐美といったダンサーが続きました。
谷桃子はステージで見る限り、やさしく美しいプリンセスなのですが、このビデオでは、それこそ鬼のような教師に変貌し、生徒の渡邊順子に、アンオーなど基本中の基本動作から徹底的に叩き込んでいます。
二十代半ばの渡邊順子は、もぎたての果実のように初々しく可憐ですが、その彼女が谷桃子の怒号を伴う「しごき」のような稽古を受け、死に物狂いで戦う姿には、見ているほうも怖くなってしまうほど。
「違う。もっとキープして」、「だめ!、腕を、もっと波打たせて!」・・・・容赦なく、叱咤の声が飛びます。順子さんの表情は真剣そのもの。谷さんは、指の使い方を入念に入念に教え込みます。2時間にもなろうとするハードなレッスン、渡邊順子は顔も背中も汗びっしょりです。
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終盤、稽古前に比べたら、はるかに素晴らしくなったと思える渡邊順子の踊りなのですが、
谷桃子は、アチチュードのバランスが気に入らない。何度も何度も繰り返させます。
酷使してきた渡邊順子のポアントの軸足は、もう限界、疲れ果ててグラグラです。
でも歯を食いしばって、繰り返して練習しますが、どうしてもうまくいかない。決めの堪えがきかないのです。
「だめです。決まりません」と首をうなだれて、今にも泣き出しそうな渡邊順子。それでも、谷桃子は容赦しません。
「何やってるの!!。鏡をよく見て、しっかり立ちなさい!!」の声。我に返って、健気にも再び難しい技に挑戦する渡邊順子。
彼女の必死な気持ちが画面を通じて、ひしひしと伝わってきます。まさに真剣勝負のような迫力で、思わず画面に向かって身を乗り出してしまいました。
でも、さすがは、渡邊順子。どんなに叱られても、再び立ち向かう気丈さ。
谷桃子に教えてもらえるチャンスを無駄にしまいという貪欲なまでの執念。感動しました。
そして、なにより、打てば響くように、踊りに反映することができる渡邊順子は、やはりバレエの基本を身につけ、プロを目指すために肉体的にも精神面も鍛えあげられたバレリーナだけのことはあると思った次第です。
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レッスンが終わって、「今日の注意を良く守って、しっかり練習しなさい。」と谷桃子の言葉に、大きくうなずく渡邊順子。
晴れ晴れとして感謝に満ちた表情でした。きっと、「やれる!!」という確信を得たことでしょう。
渡邊順子は、この時を振り返って、「『お前は生徒じゃない。プロとして生きていくんでしょ』と怒鳴りつけられ、もう、無我夢中でした」と語っていましたが、本当にどんなに苦しかったことでしょう。
谷桃子が帰ったあと、誰もいない稽古場で、一人、繰り返し繰り返し、懸命に「瀕死の白鳥」のレッスンに励む渡邊順子の姿がありました。
本番の舞台。渡邊順子は、はじめ緊張で顔がこわばっていたものの、
谷桃子に教えられた、しなやかに波打つ腕、指先の動き、神経の行き届いた正確なブーレを忠実に、
最後まで叱られ、もがき苦しんだすえに体得したアチチュードのポーズもグッと堪えて「 ナイス・バランス!!」・・・、完璧に踊りました。
踊り終わって観客の暖かい拍手。プロへの夢に胸を膨らませた、1羽の若い白鳥の羽ばたきでした。
私は、このビデオを見て、一層、渡邊順子のファンになりました。この「瀕死の白鳥」の初舞台以来、渡邊順子の成長は、ゆっくりと、しかし確実な歩みで進んでいます。彼女の踊りを見ていると、クラシック・バレエがトゥを使った曲芸的な踊りではなく、真の芸術だと感じます。これまでの「瀕死の白鳥」の舞台で、幾度もこれが彼女のピークだ、これが最盛期だと思わせたことがありました。
でも渡邊順子は、なお大きく、新しい技と芸術を目指して、今も成長を続けているのです。
私は、2000年に渡邊順子さんの「瀕死の白鳥」を見てその美しさに魅了された以来、毎回「瀕死の白鳥」の感想を書かせて頂いていますが、
最近、彼女から「山口さんの舞台感想を読むと今年も踊ったと実感できるようになりました。私が踊り続ける限り舞台感想を書き綴ってくださいね。」と有り難い言葉を頂き、幾らかでも彼女の励みになるのであればと嬉しく思った次第です。
次回の「瀕死の白鳥」の舞台が楽しみです。
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この感想をHPに載せるにあたり、渡邊順子さんから以下のメッセージを頂きました。
掲載させて頂きます。
私の若き日の人生を振り返ってみても1991年という年は本当に素晴らしい年でした。
仙台の橘バレエ学校の発表会で小さい頃から憧れていた「コッペリア」の祈りのソロが踊れ、
イタリアのミラノ・スカラ座バレエ団に行き故メッセレル先生のレッスンと息子さんミーシャさんのレッスンを受け、
谷先生から3回ほど「瀕死の白鳥」の個人レッスンを見ていただきました。
谷バレエ団のプリマ・バレリーナ(根本美香さん・尾本安代さん・大塚礼子さん)が見学される中での谷先生のご指導は本当に
私のもって生まれた舞台度胸の良さ(才能)があったからこそ出来たことだと思ってます。
92年・93年と谷バレエ団の生徒ではありましたがバレエ団の公演にも出演させていただきました。
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94年に結婚。
主婦になり平凡な生活を夢見ていたのですが2000年に再び「瀕死の白鳥」を踊れるチャンスに恵まれ、私の人生は大きく変りました。
2001年にJUNバレエスクールを開設。
骨髄バンク推進運動「命のつどい」のチャリティコンサートに2002年から毎年、出演するようになり。
毎年のように「瀕死の白鳥」を1年に2回ぐらいの割合で踊れるチャンスが続いています。
山口HPの山口さんと2000年にネットで出会い。
毎回「瀕死の白鳥」の感想をアップしていただいているため、山口さんの舞台感想を読むと今年も踊ったと実感できるようになりました。
谷先生のお名前と写真に出会ったのは8歳の時。
仙台で私が初めてバレエを習ったバレエ研究所の発表会のプログラムの祝辞に谷桃子先生の写真と文章があり、
高校1年生の時に谷バレエ団のお稽古場で谷先生が高等科の生徒さんにバレエを教えている姿を拝見しました。
18歳の時に故メッセレル先生と出会い。19歳の時に再び再会し谷バレエ団の「バヤデルカ」の振り付けについてメッセレル先生がお話なさった事がきっかけで
私は谷バレエ団に興味を抱いたのです。
谷バレエ団にはメッセレル先生振り付けの「リゼット」「シンデレラ」「ドン・キホーテ」「バヤデルカ」と言った作品があります。
今年(2006年)やっと谷バレエ団の「バヤデール」(バヤデルカ)を拝見できました。
結婚し谷バレエ団の新春公演を観ることからも遠ざかっていましたが、久しぶりに谷バレエ団の舞台を観にいき、
若き日の自分を少し思い出せたようにも思います。
1991年のビデオも久しぶりにゆっくりとした気持ちで見ることもできました。
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15年前の私にはたぶん、理解できなかったことがたくさんあったと思うんです。
谷先生には本当の意味での基本を学んだように思います。
その基本に自分自身の色を染めていくには時間がかかりました。
そしてこれから先もまだまだ色を塗り、色を落とし自分らしい色を作り出さなければなりません。
今年、谷先生から頂いたお手紙の中にも「続けてもの事をやって行くのは大切です」と書かれていました。
1991年に「瀕死の白鳥」を踊り今もまだ踊り続けているから、今の自分があるしこれからの自分があるのだと思います。
谷先生に学んだ「瀕死の白鳥」のレッスンは永遠に続くお稽古なんです。
終わることはありません。
芸術の深さを知るには簡単な気持ちで踊ることはできません。
常に常に「感謝」の気持ちを忘れず、踊り続けなければならないと思うのです。
こんなビデオを持っているだけでも私は恵まれていると思います。
JUNバレエ塾 渡邉順子
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注)渡邊順子さんの踊りの感想です。渡邊順子さんのお許しを得て掲載させて頂きました。画像・文とも無断で複写複製を禁じます。
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