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バレエ・HAHA : 渡邉順子 (2005.12.26)
「白鳥」から「母」へ、JUNさんの新たな挑戦
注)JUNさんの踊りの感想です。JUNさんのお許しを得て掲載させて頂きました。画像・文とも無断で複写複製を禁じます。
15年間「瀕死の白鳥」を踊り続けてきたJUNさんこと、渡邉順子さんが、新しい踊りに挑みました。振付も踊りもご自身の「HAHA」という作品です。
バックの音楽は、作詞:山本伸一/作曲:松原真美・松本真理子、演奏:レイモン・ルフェーウ゛ル・グランド・オーケストラ。
2005年7月2日、横浜・関内ホールでの「HAHA」初演の前日、JUNさんはご自身のHPに、「HAHAの曲をなんども聴いて、気持ちを入れる練習。『HAHAへ』の思いが表現できればいいな〜と思っています。」と書きました。彼女の意気込みを感じます。
そして、7月3日、本番。「多分、世界でこの『HAHA』を舞う日がいつか訪れる。」とJUNさん。自分でも納得いく出来だったようです。
そして、その4ヶ月後の11月12日、「よこすか芸術劇場で『HAHA』を踊ってきました。レイモン・ルフェーウ゛ル・グランド・オーケストラの奏でる『母』CDの曲が流れると一瞬にして劇場の空気が変わったことを感じとることができました。温かい空気が流れました・・。自分で言うのもなんですが、本当に素敵な舞いでした」。彼女の踊りは、観客の心をとらえたのです。
JUNさんはクラシックバレエのダンサーです。古典をやめてコンテンポラリーに走るダンサーが多い中、JUNさんは頑固なまでに、古典の様式にこだわっています。それにはワケがあります。誰にも負けない美しい「甲」を持っているという自信があるからです。クラシックバレエと言えばトゥシューズ。「彼女のためにトゥシューズ」があると思われるほど、トゥシューズを履き、つま先で立った彼女の足の美しさは比類がない。細いトゥシューズの先から「甲」が、緩やかなカーブを描き、まさに「黄金の輝き」。トゥシューズは彼女の「甲の美しさ」を引き立てます。
7月3日の「HAHA」の舞台、JUNさんはトゥシューズを履いて踊りました。振付も鋭く突き立ったま先から緩やかにカーブする「甲の美しさ」を最大限に強調したものでした。でも、細いトゥの先で、曲のほとんど全てにわたり全体重を支えた足は、途方もない負担を強いられことになり、以前から痛めていた右足に決定的なダメージを与えてしまったのです。この舞台の翌日、彼女は医師から、舞台に立つことはおろか、踊ることさえ禁止されてしまったのです。
それでもJUNさんは踊りをあきらめませんでした。彼女は4ヶ月後、不死鳥のように蘇ったのです。でもこのときはトゥシューズを履くことはできず、バレエシューズでの踊りでした。JUNさんの言葉は「7月3日の舞台以来、舞台で舞うこともなく、ただただ、整骨院に通いハリの治療に専念していました。でも、この「HAHA」、4ヶ月間の苦しみなどすっかり忘れ、右足にはサポーターをつけたままバレエシューズで舞いました。」でした。
数日後、JUNさんからこの舞台のDVDを頂きました。以前頂いた7月の舞台のDVDと比較してみると、11月に向けて彼女がどんなに練習を積んできたか、その努力の成果がわかります。技術的に安定しているだけでなく、表現力も素晴らしい。
それになんと言っても表情がいい。笑みを絶やさず、踊れるのが嬉しくてたまらないという表情なのです。「このDVDを観て、私は何かを感じとり涙が止まらなくなった。『やれば・・できるんじゃないのJUNちゃん!!!』そう自分に呼びかけた。」とコメントが添えられていました。
私は「やったね、JUNさん。足が痛いのに、アラベスク、よく頑張ったね。」と返事を書きました。このバレエで、JUNさんは大きな見せ場を作りました。右脚で立ち、左足を上げていく「アラベスクの極限への挑戦」です。わずかでもバランスが崩れると、前につんのめってしまう。このポーズ、「ジゼル第2幕」でも見られますが、ジゼルを踊るダンサーがが最も緊張するという至難なポーズです。
JUNさん、7月の時は、体の揺れを堪えるのが精一杯で、左足を思い通り上げられなかった。でも11月、バランスは完璧で支えの右足はビクともしません。左足を高々と120度近くもあげて長時間維持しました。しかも、これを二回繰り返したのです。
特に二回目は、ぐらつきかけ、もうこれ以上限界、前につんのめってしまうというところで、懸命に堪えて静止、ハッと息をもむバランスを披露しました。
しかも、こんなに頑張っても柔和な表情を崩さなかったのは流石です。
バレエは曲芸ではないのですから、シルヴィ・ギエムのように超絶技法を誇示するのは好ましいとは思いませんが、基本に正しいテクニックに裏付けられて品格に満ちたJUNさんバランスこそ、バレエの魅力であり、「瞬間の美」です。
ただ、私は、「トゥシューズだったら、なお素敵だっただろうに・・・」と思うのは贅沢でしょうか。もしJUNさんが11月の「HAHA」をトゥシューズで踊っていたら、彼女の「黄金の甲」は光り輝き、なお一層この踊りは魅力的なものになっていたことでしょう。
JUNさんは努力の人です。彼女はきっとトゥシューズを履いて、この「HAHA」を踊ってくれるに違いありません。この日が来ることを楽しみにしています。
JUNさんからのメッセージです。掲載させて頂きます。
「母」と言う曲に出会ったのは今年(2005年)の2月のことでした。
『母よあなたはなんと不思議な豊かな力をもっていのか、
もしもこの世にあなたがいなければ還るべき大地を失いかれらは永遠にさすらう』
この歌詞が私の身体にすっと入り込み。
メッセレル先生の追悼の思いで、この曲に振付をしました。
「母」の曲が出来上がったのは1971年、作詞をされた山本伸一先生のお母さんがなくなる一ヶ月前のことだったそうです。
作詞された山本先生に7月に踊った時の「HAHA]のDVDをお送りしたときは「ご活躍をお祈りいたします」、
11月にお送りした時は「ありがとう〜〜〜」と言うメッセセージを頂きました。
「ありがとう」と言う一言の中にはよく頑張ったと言う意味が隠されているような思いがしました。
この曲はすべてのものを暖かく包み込む太陽の光のように人に慈愛を注ぎこむ音楽だと思います。
だから・・この曲で世界に飛び立ちたい・・そんな思いが私の踊りの中に秘められています。
この曲とであった2005年は本当に飛躍した年となりました。
来年もこれ以上に活躍したいと思っています。
この「HAHA」の振付の中で山口さんが「アラベスクの極限への挑戦」と書かれていますが、
今回のアラベスクはいつまでも伸び続けているアラベスクでこれからの私のバレエ人生もいつまでも
限りなく伸び続けたいと言う願いが踊りの中に表現できたようにも思います。
これからも頑張りますので・・、これからも私の踊りを見続けてください。
JUNバレエスクール 渡邉順子
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