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JUNさんの「瀕死の白鳥」  (2004.9,20)

注)JUNさんの踊りの感想です。JUNさんのお許しを得て掲載させて頂きました。

瀕死白鳥は、チェロの旋律が優美な、サンサーンスの動物の謝肉祭の中の一曲。ミハエル・フォーキンの振付。湖面で静かに死んでいく可憐な白鳥の姿に託して、命ある者、必ず死を迎えるという運命の悲劇を描いたものです。この作品以降、バレエは観客を楽しませるだけでなく、人に感動を与えるもの、人の心に深く深く入り込んでいく芸術だとまで言われるようになったということです。
 
2年ぶりにJUNさんの「瀕死の白鳥」を見ました。以前JUNさんはご自身のHPで「6月に転倒した時はもう舞台に立てないと思ったりましたが、舞台に立てることに感謝」と言っておられましたが、怪我を克服した感動のステージでした。
彼女は、「瀕死の白鳥」について以下のように語っております。
「瀕死の白鳥」と言う作品はあまりテクニックを必要にしません。ですから誰にでも簡単に踊れると言えば踊れる作品だと思います。簡単に踊れるものだからこそ、そこに難しさが隠れているのです。あっさり踊ってしまうと観客は感動することもなく「ただ白鳥が死んだ」感じるだけだと思うのです。目をつぶっても「瀕死の白鳥」の死と自分が今、生きている事とは関係のないこと思ってしまうでしょう。「瀕死の白鳥」と言うバレエ作品を見て、観客が「悔いのない人生を生きたい」と思えるような舞を踊りたい。そのためにはどうすればいいのか。日々・・・考え・悩みました。その思いを胸に秘め19日は「瀕死」を踊ります。
 
彼女が、「瀕死の白鳥」の振り付けを習ったのは19歳、初めて舞台で踊ったのが25歳の1991年とのこと。2度目に踊ったのが34歳の2000年。その後、2001年、2002年と彼女の「瀕死」を観ることが出来ました。そして今回です。
彼女、6月に怪我をして踊れなくなった時には、今回の出演も危ぶまれたのです。8月まで稽古ができなかったのは、相当辛かったことでしょう。「私もよく踊れたと思いました」と終了後彼女は言っていましたが、ステージでは、今までと同様に、いや、今までにもまして、死に直面した白鳥の姿を踊りきっていました。今回のJUNさん、出だしは、かなり緊張していたようで、表情が、こわばっていました。無理もありません。舞台の袖で待つ間に、練習不足の不安が増し、いざ出番の時には、緊張が極限に達していたに違いありません。そんなJUNさんに、私は「リラックス!!、頑張れ!!」と心の中で呟いていました。でも、プレッシャーに押しつぶされまいと、懸命に踊るJUNさんの姿は、感動的でした。しなやかに波打つ腕、丁寧で細やかなブーレ・・・。数ヶ月前に怪我をしたなんて、全く感じさせませんでした。踊るにつれ、徐々に緊張が解けてきたのでしょう、表情も穏やかになってきました。踊り終わったレベランス、さぞ、ほっとしたことでしょう。深々と頭を下げ感激一杯のJUNさんの表情には、「舞台に立てることに感謝」の気持ちが溢れていました。なんて美しい笑顔!!、「うまくいって良かったね」と、こちらも、嬉しくなりました。こんな笑顔を見ると、ますます、バレエが好きになります。怪我を見事に克服したJUNさんから、また一つ、生きる勇気を与えてもらったように思います。
彼女は、11月にも「瀕死の白鳥」を踊るとか、しかも今度は「よこすか芸術劇場」の広い舞台。優雅に舞うJUNさんの姿・・・、期待で胸が躍ります。孫・娘・JUNさん3代による「瀕死の白鳥」の舞台で共演するのがJUNさんの夢とか。怪我などのアクシデントに見舞われないで、いつまでも元気で、夢をかなえられるよう、祈っています。

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