今年の2月に目黒パーシモンホールで15回目の「瀕死の白鳥」を踊り終え、
ゆっくり家族で花見を楽しみました。
バレエは教えても自分はバレエの稽古から少し離れた生活をしていました。
「一日休むと自分に分かり、二日休むと周りに分かり、三日休むとお客様にも分かる」と言う
有名な言葉が身にしみて分かった思いもしました。
舞台の当日も朝から家族の朝食を作り、昼食も一緒に食べ、「出かけてくるわ〜〜〜」とお母さんモード。
楽屋で化粧して衣装に着替え、スクエアの鈴木さんに「瀕死の白鳥」の振り付けを変ったこと、
トゥシューズの紐つけに3時間という時間を費やしたこと、よこすか芸術劇場(2004年)に踊った時には
グリシコ・マヤで今回の舞台はグリシコ・ワガノワで踊る、トゥシューズについての違いなどを話していた。
袖幕で出番を待つ。
近頃、60歳ごろまで「瀕死の白鳥」を踊り続けたマイヤ・プリセツカヤの気持ちが少し分かってきた。
絶対に自己満足のために踊っているのではない。
舞台に立ち、ふと3階席を見上げたらそこには観客が座っていた。
(あとでそれが主人と娘だと分かったが)
その時の私は「3階席で見る人もいるのね〜〜」と踊っていても余裕があった。
16回目の「瀕死の白鳥」を踊り終え。
今年は8月に仙台で踊るぞ〜〜〜。
来年の2月はまた目黒で踊って、4月は神奈川県民ホールだな〜〜〜。
体中の力が抜けて、生きることも、踊ることも凄く楽になった。
41歳。渡邉順子。まだまだ踊ります。
ここまでたどり着くハードルは低いものではなかったと思う。
でもそのハードを超えた時、青い青い空が綺麗だと思えるものだと思う。
JUNバレエスクール 渡邉順子