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白鳥の湖〜グランアダージョ:渡邊順子  (2003.10.6)

青白い明かりの舞台、一羽の白鳥が近づいてきます。静かに待ち受ける王子。JUNさんの「白鳥の湖」〜グラン・アダージョの始まりです。
私は、JUNさんの「白鳥の湖」を観るのは初めてです。JUNさん、やや緊張しておられたのでしょうか、その表情は、いつになく険しく感じました。でも、彼女を待ち受けていた王子の腕が力強く彼女を支えた瞬間、この不安は吹き飛びました。緊張がスーットと彼女の体から抜けていったように、彼女はにわかに穏やかな表情に変わったのです。やわらかく波打つ腕、細やかで正確なブーレ、王子に腰を支えられて、しなやかに舞い上がるジャンプ、彼女の踊りは美しかった。穏やかな表情に、ほのかな微笑みさえ浮かべて、JUNさんは、伸び伸びと素敵な踊りを見せました。「本当に体力がつき、舞台の上でも、呼吸が乱れる事もなく、落ち着いて。微笑みが出るほど、リラックスできました。」と、彼女。ご自分でも、満足されたようです。
 
それにしても、このアダージョ、二人の息がぴったりあった、なんとも、微笑ましい踊りでした。アダージョを踊り終わって、JUNさんは、「JUNさんにとって王子はすべての私のストレスを吸い取ってくれる存在ですね。」と言っておられたほど、リラックスして伸び伸びと踊っておられたのです。彼女の言葉や穏やかな笑顔には、優しく上手なサポートをしてくれた男性への感謝の気持ちが溢れていました。女性を思い通りに躍らせて、女性の美しさを引き出してくれる男性、これこそ、ダンスール・ノーブルとしての理想だと思います。今回のJUNさん、パートナーの男性を信頼しきって、最高の踊りが出来たのでしょう。
 
踊り終わってのレベランス、きっと、「うまくいったね!!」とパートナーから声をかけられたに違いありません。二人で顔を見合わせてにっこりと微笑んだ笑顔が美しかった。このような笑顔を見ると、バレエがますます好きになりますし、ダンサーから、夢と勇気を与えてもらった気持ちになるのです。
 
「久しぶりに舞台の上で微笑む事ができた。幸福は誰かが与えてくれるものではない。自分が強くなった分だけしか、幸福になれない。『優しい人」といっても、本当の優しさは強くなれば貫けない。私は本当の意味でやっと優しい人になれたと思うの。幸せになれたと思うの。私がこの頃、気付いた事は、技術や才能の問題と、人間への尊敬を混同してはいけないって言う事。バレエを教える技術・才能が劣っていても、人間として頑張っている私をみてほしい。」と、JUNさんは語っていました。

   振り付け:京谷幸雄、渡邊順子/京谷幸雄
   2003年8月30日 「バレエ&舞踊フェスティバル」  相模大野グリーンホール
  

この文章をWEBに掲載するにあたり、JUNさんに見ていただいたところ、以下のようなコメントを頂きました。紹介させて頂きます。
 
「白鳥の湖」の第2幕のグラン・アダージォを37歳で初めて踊りました。 バレリーナなら誰でもが一度は憧れる白鳥のオデット姫。 結婚してバレエを辞めた主婦のままだったら 踊る事のなかった「白鳥の湖」。

2001年2月にJUNバレエスクールを開設し、私の新しい人生が幕を開けました。 「瀕死の白鳥」・「白鳥の湖」オデット・・・これから色々な役を踊りたいです。 自分が舞台に立って踊る事によって、生徒にバレエを教える姿勢も変わってきました。 生徒たちから憧れを抱いてもらえるバレエ教師になりたいと思うようになりました。 そしていつか世界の大きな舞台で舞い踊る生徒たちの姿を私はみたいです。 バレエ教師になり早2年が過ぎました。 来年は今年よりももっと大きな花を咲かせたいと思います。 瀕死の白鳥・金平糖・オデット〜そして過去の私の踊りまで見てくださる山口さんのためにも もっともっと長く舞台の上で踊っていきたいと思います。

撮影者:テス舞台写真
山口HPには私の過去から現在までの踊りの感想が集まっています。 バレエを辞め主婦になった私がバレエ教師になり、舞台に舞い戻っていく物語がここには刻み込まれています。 もう一度舞台で踊りたいと言う気持ちがあれば、 そして舞台でもう一度私に踊ってほしいと願ってくださった山口さんの心がこのページを大きく発展させていったのだと思います。 これからもJUNバレエスクールの主宰者として、生徒にバレエを教え・踊っていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

JUN

JUNさんのサイトはこちらです
JUNさん、おめでとう!!!!。素敵な踊りをありがとう!!!。
この成功を踏み台にして、一層のご発展をお祈りいたします。

このページは、JUNさんの了承を得て掲載しています。無断で複写複製を禁じます。

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