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ABT初の日本人ダンサー、加治屋百合子さん   (2007.3.11)
  「今があって10年後がある」、キュートな中に、凛とした強さ

TBS「情熱大陸」でバレエダンサー・加治屋百合子さんが紹介されました。加治屋さん、とてもキュートな中に、凛とした強さを感じました。
加治屋さんはアメリカン・バレエシアター(ABT)で初めての日本人ダンサーです。団員は67名、そのうち主役を与えられるプリンシパルが17名、一人で踊ることができるソリストが8名、残りが群舞のコールドバレエです。彼女はまだコールドバレエの一員。でも「コールドに居るから低い地位にいるとは考えていない。舞台をこなした数が少ないだけ」と言ってプリンシパルを目指す彼女は、毎日10時間のレッスンをこなす以外に、週一回の休日も、他のプロの指導を受けにレッスン場に通っています。人より努力を続けていないと、今の立場を失ってしまう。立ち止まったらすぐ追い越されるトップダンサーの世界。「今があって10年後がある」という彼女、6年ニューヨークに居て、恋愛はおろか、まだ自由の女神もみたことがない、まさにバレエ漬けの毎日なのです。
体が硬くバレエ向きでないと失格の烙印をおされた体のハンディを努力で克服してきた彼女。こんな彼女を、彼女の師である、もとロシア、キーロフ劇場のプリマ、イリーナ・コルパコアも、最も期待しているほどなのです。
 
父親の勤務の関係で中国の上海にいた加治屋さんは、上海のバレエ学校に学び、家族が日本に戻っても一人上海に残ってバレエを続けました。その時の日記は、何と、中国語、英語、日本語と3カ国語で書かれていました。自分の選んだ道を生きていくために語学の習得に必死だったのです。「上海に行った以上は帰らない」と彼女。加治屋さんが在学中に受けた新人バレリーナの登竜門「ローザンヌ・バレエコンクール」。「コンクールに出た以上、賞を取らないと意味がない」と、負けず嫌いの性格が、本番で実力を発揮。見事スカラーシップ賞を獲得したのです。これが加治屋さんのバレエダンサーとしての人生を決定づけたのです。そんな彼女も、やはり女の子なんですね。いつでも、耳にはピアスが光っていました。さりげないおしゃれが、とても爽やかに感じました。また、一人っ子の加治屋さん、「私の一番のファンは母親で、一番の応援者」と母親を慕う娘心を覗かせました。
 
加治屋さんにチャンスが巡ってきました。ABTのパリ公演の3人のソリストの一人に抜擢されたのです。チャンスは努力した者にだけ与えられる神様のご褒美。でも与えられたチャンスを生かせるか否かは自分次第。「頂いたチャンスをどう受け止めるかが大切。その時のレベルに達しているか、準備をしていなければならない。しかもそれがいつ起こるかわらない」と彼女。50人以上のコールドバレエの中から異例の抜擢を受けた加治屋さん、リハーサルでは、彼女に注がれるたくさんの嫉妬の眼がありました。
そして、本番の日。パリ・シャトレ座。観客は2000人。出し物は「ラ・バヤデール」。加治屋さんは、第二幕3人の妖精の一人として登場しました。「パリだから特別ということはないです。どの公演もベストをつくさないといけない」と言っていた彼女ですが、気持ちが高ぶらなかったわけはないでしょう。加治屋さんは観客から「良かった。雰囲気が幻想的でかわいらしかった。注目すべきダンサーだ・・・」と称賛されましたが、彼女自身は「あまり良い出来ではなかった」と反省しきり。自分に満足しない、この気持ちを持ち続ける限り、彼女はどこまでも成長し続けることでしょう。
カーテンコールで、プリンシパルのレベランス(お辞儀)を後ろから見ていた加治屋さん、何時かは自分も・・・と、思ったに違いありません。
 
「誰のようになりたい」と聞かれると、「誰かのようにはなりたくない。自分自身の踊りを生かして、加治屋百合子の踊りが好きだから見に来たいというダンサーになりたい」と答えていた加治屋さん。
番組の最後、「24時間365日バレエに生きている。それでも満足できないでいる。けれどもそんな自分が嫌いじゃない!!」とナレーションの窪田等さんの声が、快く響きました。

頑張れ、加治屋百合子さん!!!。

 
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