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瀕死の白鳥:草刈民代、クラシックはいかが        (2007.6.17改)

草刈民代が踊った「瀕死の白鳥」の映像があります。2002年2月17日のオーチャードホールでの「クラシックはいかが」の舞台をNHKが収録し放送したものです。 恐らく、草刈民代はこの時初めて「瀕死の白鳥」を踊ったのでしょう。彼女の緊張の様子が画面を通じて伝わってきて、思わず「頑張って!!」と応援したくなる大好きな映像です。 「瀕死の白鳥」は、チェロの旋律が優美なサンサーンスの動物の謝肉祭の中の一曲で、ミハエル・フォーキンの振付です。 湖面で静かに死んでいく可憐な白鳥の姿に託して、命ある者、必ず死を迎えるという運命の悲劇を描いたものです。 この作品以降、バレエは観客を楽しませるだけでなく、人に感動を与えるもの、人の心に深く深く入り込んでいく芸術だとまで言われるようになったと言われています。

初めてこの映像を見たとき「本当に草刈民代が瀕死の白鳥を踊るの?」とチョツと意外に思ったのを覚えています。 草刈民代は出てくるだけで、舞台がパッと明るくなるような光を放つバレリーナ。 プリマになる為に生まれてきたというような「華」のある人です。 この「華」が輝く「眠りの森の美女」のオーロラ姫や「くるみ割り人形」の金平糖の精のような役が民代さんに相応しいと思っていました。 そんな先入観があったからかもしれませんが、5年後の今回、再びこの映像を見直しても、彼女の踊りは、私の抱く死に至る白鳥のイメージとは違っていました。 この踊りは柔らかな腕の動きと静かなトゥのブーレがポイントです。全編を貫く、滑らかに波打つ腕、音もなく刻むブーレ。 これがわずか3分間あまりの中に、ギュッと凝縮されています。短いだけに失敗したら後がない。この為ダンサーは極度の緊張を強いられます。 草刈民代は贅肉が全くないスリムな体型でスタイル抜群。もう少し肉が付いても良いくらい。でも、ギスギスした感じではなく、体の線はとても綺麗でした。 ただ、表情は固かったし、動きもなんとなくぎこちないところがありました。かなり緊張が感じられました。 肘から指先の動きはとても美しく、指先まで神経が行き届いています。でも、肩から二の腕の動きはぎこちなく、硬さが感じられたのです。 とても丁寧に踊ってはいるのですが、情感というか、ポエジーというか・・・が感じられませんでした。 踊り進むにつれ、緊張は徐々に和らいできたようでしたが、 最後まで腕の動きの固さは取れませんでした。 もっとも、「落ち着くんだ、落ち着くんだ!!」と自分に言い聞かせて踊っているように、懸命にプレッシャーと戦っている民代さんの姿には、ジーンとくるものがありました。 駆け寄って、励ましてあげたいと思うくらいでした。

実はこのステージの1ヶ月ほど前、草刈民代は、レニングラード国立バレエへの客演をキャンセルしています。 数日前のリハーサルで怪我をしてしまったのです。私をはじめ彼女の華やかなステージを期待していたファンは、とてもがっかりしたのですが、一番辛かったのは民代さんでしょう。右足趾伸筋腱炎ということですからトゥで立ったとき、何かの拍子に指先を痛めたのでしょう。そんなわけで、このステージは、彼女にとって再起の為の重要なものだったのです。「失敗はゆるされない」という思いが、この緊張につながったのかもしれません。無理からぬことです。 無事踊り終わってのレヴェランス。過度の緊張の中、最後まで固さは残ったものの立派に踊り抜いた草刈民代に、観客から惜しみない拍手が贈られました。ホッとした表情で深々と頭を下げる草刈さん。一度舞台裏に引っ込んでも観客の拍手は鳴りやまず、再びステージに引き出された彼女、思わずこみ上げてくるものがあったのでしょう、幾度も幾度もまぶたをしばつかせていました。ダンサーとして、このうえない喜びを感じた一時でしょう。こういうシーンを見ると、つくづく「バレエっていいなあ〜」と思います。

この「瀕死の白鳥」は、踊る人を選ぶと言われます。誰でも踊れるものではないということです。技術的に優れているだけではダメなのです。180度開脚などの超絶技術を誇るシルビーギエムや上野水香には似合わないような気がします。 また、「瀕死の白鳥」は、年齢を重ねて踊り込むほど味が出てくると言われます。「若さの芸術」と言われるクラシックバレエの中でも異色の作品です。 歳をとって肉体が衰えてくるのはしかたがないこと。クラシックバレエは40才を越えると体力的に辛くなってきます。 パリオペラ座は43歳をダンサーの定年と決めているほどです。 でも、実力のあるダンサーは、逆に歳をとるほど精神的、内面的な充実は増すと言われています。 「デュークエリントン・バレエ」などの最近の草刈民代さんには、表面的な華やかさよりも、内面の充実感を感じます。 この「瀕死の白鳥」今、彼女が踊ったら、5年前とは違って、もっともっと素敵な白鳥になることでしょう。 「一回一回の舞台は挑戦の場でもある。もっともっと踊りを通じて自分を知り、 演じているときに解放された瞬間が経験出来ることを願い、意志を持ってそれに挑戦してゆきたい。 」と言っていた草刈民代(草刈民代のすべて(新書館))。 是非もう一度「瀕死の白鳥」を踊って欲しい。そしていつまでも「瀕死の白鳥」を踊り続けて欲しい・・・と願っています。

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