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Nゲージ:車両紹介(40):国鉄155系・修学旅行専用電車「ひので」   (2014.10.28)

Nゲージレイアウトを走らせている列車の紹介です。今回は、修学旅行専用電車「ひので」です。 小学校、中学校、高等学校の学校行事の一環として、修学旅行は現在も行なわれていますが、50年ほど前までは、旧形客車をかき集めて団体列車としたり、定期列車へ増結したりして、 修学旅行列車が仕立てられていました。しかし客車のデッキのドアの開閉が手動式だったため、生徒がデッキから転落する事故が起き、自動ドア方式の列車による運転が望まれました。 折りしも東海道本線が全線電化され、修学旅行専用電車の誕生に至りました。 昭和34年、品川・京都間に関東地区からの「ひので」、神戸・大阪・京都?品川間に関西地区からの「きぼう」の運転が155系電車によって開始されました。 いずれも往路は昼行、復路は夜行の運転で、例えば関東地区の場合は夕方まで京都に滞在し翌朝の品川到着後に解散となり、 学校側は現地での滞在時間を最大限に確保でき、国鉄側は各1編成しかない車両の効率的な運用という、双方の要求が満たされて好評でした。

その後、中京地区の修学旅行専用車両として159系「こまどり」が加わりました。 この車両は「ひので」「きぼう」の1列5名(2+3)から、一般の車両と同じ1列4名にしたため、修学旅行以外にも東京・大垣間の臨時準急「ながら」としても使用されました。 昭和40年には、167系電車で品川・京都間の「わかくさ」、明石・品川・東京間の「わかば」の運転を開始し、 昭和41年には小学生対象に下関・広島間の「なかよし」、中学生を対象に下関・京都間の「友情」、高校生を対象に下関・品川間の「わこうど」と続きました。 167系電車は修学旅行以外にも、東京・下関間の夜行臨時急行「長州」としても運転されました。

しかし昭和45年に東海道新幹線に修学旅行専用列車が設定されて、修学旅行は新幹線利用に順次移行されるていき、 昭和50年に山陽新幹線が博多まで延長すると、最後まで残っていた167系の「なかよし」「友情」「わこうど」が廃止され、 在来線の「修学旅行列車」は消滅しました。

私の中学の時の京都への修学旅行は「ひので」でした。修学旅行色と呼ばれるた朱色と黄色のツートンカラーの電車の、 3人掛けの6人ボックス席と、通路を挟んだ2人掛けの4人ボックス席の10人で、トランプを楽しんだのを覚えています。

こんなわけで、かねてから「ひので」の模型が欲しかったのですが、たまたまネットで8両編成の中古品が販売されていたので、迷わず購入しました。 この模型は、以前に買った京急1000形と同じ、(株)マイクロエースの製品です。 先頭車2両と中間車6両の8両編成で、動力は中間車の1両に付いています。 最近のNゲージの動力車は、スムーズな走行をするようモーター軸に直結してフライホイールを装備しているものが多くなってきましたが、 この動力車にもフライホイールが付いています。動力車は重量があるしっかりとした作りで、4軸のうち2軸に滑り止めのトラクションタイヤが付いていて、 牽引力が強く、8両連結でも田園ループのレイアウトの勾配を上れます。 ただ20m級車両の模型なので、半径243mmや280mmのカーブが多い山岳路線のループでは、トンネルの壁面に接触するなど、走行は辛いところがあります。



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