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モーツァルトのオペラの魅力

モーツァルトにとってオペラとは何だったのでしょうか。
18世紀のオーストリアで一流の音楽家として認められるためには 宮廷の権威を高めるためのオペラを作れることが必要だったようです。
イタリア音楽全盛の当時、モーツァルトがオペラに執念を燃やした背景 には、こんな現実もあったのでしょう。
それにつけても、私をモーツァルトのオペラさえあれば、他の オペラは捨てても良いと思うほどにさせてしまう、モーツァルトの オペラの魅力は何処にあるのでしょう。

モーツァルトオペラに共通する点として、登場人物達の人間性と彼らの豊かな 感情の起伏があげられます。
モーツァルトの音楽による天才的な性格描写によって、 彼らは、18世紀にもかかわらず、私達の20世紀にも生々しく生きている のです。血も肉もある人間が、作品の中心を占めているからこそ共感をよぶ のでしょう。

特にモーツァルトのオペラでは、個性的な脇役を積極的に起用し 彼らの劇的なかつ音楽的な重要性を強調しているところでしょう。
こうした脇役達の受け持つアリアや、彼らの参加するアンサンブルの美しさは 他の作曲家のオペラには見られないものだと思います。

たとえば「フィガロの結婚」。
女さえ見ればそわそわ色気づく美少年ケルビーノは 「自分がなんであるか、わからない。女をみれば頬染まり、 愛ということばを聞くだけでも心乱れる。」と歌います。
他に、利己主義的なアルマヴィーヴァ伯爵、つねにあざむかれる伯爵夫人などの 人間臭さたっぷりな脇役達。彼らに囲まれているからこそ、主役のフィガロとスザンアが 引き立つのです。
「コシファントゥッテ」であれば、皮肉屋のドン・アルフォンゾや女中のデスピーナというところでしょう。
「魔笛」であれば、夜の女王とザラストロ。
また、結婚して幸福の絶頂の頃の作品の、「後宮よりの逃走」では、ブロンデとオスミン。

私のこのような脇役偏重のような見方は、一般的には素直ではないのかもしれません。
しかしながら、少なくとも、私には、こうした脇役達や、 彼らの歌うアンサンブルやアリアの方が、プリマ・ドンナのアリアよりも、印象的に思えるのです。