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心に残るオーロラ姫               (2006.5.14)

「眠りの森の美女」の「オーロラ姫」は古典バレエの中で最も体力的にも精神的にも過酷なものでしょう。踊るシーンが多いのです。ローズ・アダージョに始まり、幻想の場、第3幕パ・ド・ドゥと休む暇もないほど。他のバレエの倍以上あるのではないでしょうか。
ですから、オーロラ姫を踊るダンサーは、最初から最後まで踊り通すことが大切。あまり最初の方で頑張りすぎてしまうと最後は疲れてしまいます。
しかも、普通は最後のグラン・パ・ド・ドゥが見せ場となるのですが、「眠り・・」は、冒頭から見せ場がります。古典バレエで最も至難な踊りと言われるローズ・アダージョです。バランスの部分はキャリアを積んだバレリーナでさえ緊張します。出だしで緊張し、最後まで気の抜けない、これほど大変な役も他にないでしょう。 それだけにオーロラ姫はバレリーナにとっては、最もやりがいのある役に違いありません。

 
約40年前から舞台や映像でたくさんの「オーロラ姫」を観てきました。 特に心に残っている「オーロラ姫」を紹介します。
心に残っているというと格好いいのですが、本当は、ひいきのバレリーナの踊るオーロラ姫のご紹介ということでしょうか。
 
初回は、私がもっとも好きなバレリーナ、吉岡美佳さんのオーロラ姫です。

二人目は、20世紀最大の舞姫、マーゴ・フォンティーンのオーロラ姫です。

三人目は、牧阿佐美さんのオーロラ姫です。
 

吉岡美佳さんのオーロラ姫
   
たたずまから清楚な輝きが香り立つ、しなやかな肢体をいかした透明感あふれる演技。 吉岡美佳さんはチャイコフスキー記念東京バレエ団のプリマ・バレリーナです。 可憐で知的な優しさ、溢れる気品、清楚な輝き・・・、古典のバレエダンサーの資質を全て備えた魅惑の舞姫です。吉岡さんの体は、とても細いのですが、踊りにはギスギスした硬さはなく、しっとりしなやかです。
同バレエ団では、先頃、若い上野水香さんが入団しました。 スーッと伸びた長い脚、アニメのヒロインを思わせる大きな目に小さな顔。 これが21世紀、いや未来に向けての体なのかなと思いました。 でも、多分に好みもありますが、とても背が高く、技巧的な踊りは、 ベジャールのような作品には合っていても、オーロラ姫のような古典バレエのプリンセスのイメージではないのです。古典バレエのプリンセスと言えば、同バレエ団では斎藤友佳里さんと吉岡美佳さんでしょう。
吉岡さんは、弱々そうで、踊りは上品すぎるとの評もあるようですが、これが彼女の持ち味でオーロラ姫にはとてもよく似合います。、 吉岡さんと幾度もパートナーを組み、自ら吉岡さんを「互いを舞台で高めあうことのできる理想的なパートナー」 と言っているマラーホフは、「高貴で美しいラインをもった人。彼女の動きを僕自身勝手に『美しい陶磁器のような』と と表現しています。この動きこそがオーロラ姫にはうってつけなのです。」と言っています。 これに対して吉岡さんは、「一番に言えることは、気持ちが伝わること。彼は私の気持ちを分かるし、 私も彼の気持ちが分かる・・・・だから、舞台上でもきちんとやりとりができるんです。」と言っています。 吉岡美佳・マラーホフ、「眠りの森の美女」のオーロラ姫と王子の最良のパートナーと言えるのではないでしょうか。
  
私は、吉岡さんのオーロラ姫を三度見ました。一回目は1998年、二回目は2000年、三回目は2006年です。
一回目から三回めまでには、8年も経っているのですが、彼女の魅力である繊細清楚な透明感は少しも薄れず、 むしろ研ぎ澄まされてきたように感じます。マラーホフが「美しい陶磁器のような」と言うのも納得です。 第1幕の可憐な16歳の少女、第2幕の気品あふれるオーロラの幻影、そして第3幕の妻となる喜びを体いっぱいに表現した優雅な花嫁と、 彼女は、それぞれの幕の見せ場を、正確にかつ丁寧に、かつ細い体にむち打って、全力を振り絞って踊ってくれます。
1回目の時は、オーロラ初挑戦ということで、相当緊張していたようで、ぎこちなさも感じられました。 そんな彼女にマラーホフは「美佳、そんなに緊張しないでいいよ。何が起っても僕が君を助けてあげるから・・・」と、 リラックスさせたとのこと。この時のローズアダージョのすばらしさは、話題になりました。 4人の求婚の王子の手を静かに離して頭上にあげ、しっかりとバランスをとります。やわらかな表情に気品があふれ、 上げた腕はまろやかな円を描き、バランスの長さはありあまるほどで、時間が止まったかのようでした。
2回目は緊張感も薄れ、華やかで可憐なオーロラ姫でした。 マラーホフにウェストを支えられたアラベスクでは、頑張って180度近くも足を上げた華麗なポーズを決めて拍手を浴びました。 シルビー・ギエムや上野水香さんは、いともたやすく180度を越えるまで あげるのですが、「凄いでしょ!!」と言わんばかりで、過度の開脚は下品にすら感じられ、私は好きにはなれません。吉岡さんのように節度をもった奥ゆかしさが欲しいところです。
そして、2006年の今回、両足にテーピングをしていて、決して絶好調ではなさそうでしたが、それでも決して 崩れない素晴らしい舞台でした。今回の「眠りの美女」はマラーホフ演出の新版。「眠り」は1日だけでも相当な重労働。3日間の全ての舞台を 吉岡さん一人で演じるのは体力的にリスクが大きい、ダブルキャストにしたら、という意見もあったようですが、マラーホフは譲らなかったとか。 マラーホフは、「互いを舞台で高めあうことのできる理想的なパートナー」である吉岡さんに、絶大な信頼をおいていて、今回の「眠り」新版のオーロラ姫には吉岡さん以外には考えられなかったのでしょう。 吉岡さんも、マラーホフの期待に応えようと懸命に努力しているのがが伺えました。 マラーホフは「美しい陶磁器のような」吉岡さんを、細心の注意を払って丁寧にサポートし、一方、吉岡さんは、比較的小柄で華奢なマラーホフに負担をかけまいと、 フィッシュ・ダイブを、やんわりと飛び込むなど、二人がいたわり合っている気持ちがひしひしと感じられました。 二人の息のあった舞台に、客席からは大きな拍手とブラボーの嵐でした。カーテンコールは何度も何度も繰り返されました。 ダンサーとして、このうえない喜びを感じた一時、吉岡美佳さんは涙ぐんでいました。踊りと同様、心も繊細で清らかな吉岡さん、ますます彼女が好きになりました。

吉岡さんは、オーロラ姫を踊る理想的なダンサーですが、彼女に、もう少し強靱な体力があれば、なお一層輝くだろうにと思うことがあります。 彼女は、回転する力が強くないのです。4人の王子やマラーホフにウェストを支えられてピルエットをするとき、途中でとまりかけ、4人の王子やマラーホフが彼女を懸命に回しているのが見られました。 吉岡さんのように優雅で気品のあるバレリーナ、故マーゴ・フォンティーンも、自ら「ピルエットは苦手」と言っていましたが、マーゴ以上に繊細で細い体型の吉岡さんですから、高速な回転は体力的にかなりきついのでしょう。
吉岡さんの東京バレエ団入団は1989年。キャリア20年弱のベテランです。でも、そんな感じはしない。可憐な初々しさに溢れています。「若さの芸術」と言われるバレエ。吉岡さんは、強い体力が必要な、高速回転のような激しいパを含むバレエ作品を踊り抜くことには、辛さを感じてくる頃かもしれません。 従って、32回転のグラン・フェッテが含まれている「ドンキホーテ」や、「白鳥の湖」などを踊りきるのは、そろそろ大変になってくる時期かもしれません。 でも、彼女には、溢れるばかりの気品と、清楚な輝きに裏付けられた、ポーズの美しさがあります。ローズ・アダージョでの長〜いアチチュードのようなバランスの美しさには定評があり、トゥで立った時の、のびやかなつま先の美しさには、ほれぼれしてしまいます。 マーゴ・フォンティーンが50代中頃までも踊っていたように、吉岡さんも、ラ・シルフィード、ジゼルの妖精や、「眠り」のオーロラ姫のような、古典バレエのヒロインとして、これからも、繊細で美しい踊りを見せてくれると信じています。 マラーホフは、「美佳とは何回も一緒に踊っているけど、本当に素晴らしい成長を遂げているダンサーだと思う」 と言っていましたが、私も彼女を慕うファンの一人として、彼女の一層の成長を見守っていきたいと思います。

以前、「吉岡さんのキレイの元」という記事の中で次のように言っていました。 「舞台に立つということは、外面はもちろん内面もさらけ出すこと。内面が充実していないと、 観客に感動を与えられる美しい演技はできません」。その為に彼女は、美術館を巡ったり、自然に触れ合ったりと、 常に自分の内面の充実を心がけているとのことです。 「美しい陶磁器のような」美しさは、この内面の充実から生まれるのでしょう。
さらに「舞台上は華やかで美しい世界に見えるバレエも、裏では怪我も多くレッスンも過酷です。 ただ、その辛さがあるからこそ、表面だけではなく、奥深い美しさが演じられると思うんです」と吉岡さん。 この為に彼女は苦手なパートでも、自分で納得いくまで繰り返し繰り返し練習し、自信を持って踊るようにしていることです。 過度の緊張を強いられるローズアダージョのバランスを柔和な笑顔で踊りきったのも、この自信によるものなのでしょう。 このストイックな精神こそが、吉岡さんの奥ゆかしい美しさを際立てているのではないでしょうか。

私は、現役のバレリーナでは、誰よりも吉岡さんが好きです。吉岡美佳さんが、怪我などのアクシデントに見舞われることなく、いつまでも元気で、「美しい陶磁器」のような、繊細な気品溢れる古典バレエのプリンセスとして、ステージに花を添え続けて下さることを願ってやみません。
マーゴ・フォンティーンのオーロラ姫

佐々木涼子さんという舞踊評論家が居ます。私は佐々木さんと同世代だということもあってか、彼女のバレエの見方に共感するところがあり、「バレエの宇宙」など、いくつかの著書や、雑誌や新聞の批評を楽しませてもらっています。彼女は、東京大学卒、東京女子大学教授という輝かしい経歴の持ち主ですが、私が一つだけ自慢できることがあります。それは、マーゴ・フォンティーンのオーロラ姫を生で見ることができたことです。佐々木さんは雑誌「ダンスマガジン」の中で、「マーゴ・フォンティーンのオーロラは、残念ながらビデオでしか見たことがない」(ダンスマガジン)と語っていましたが、私は生で見たのです。それは1973年にマーゴが東京バレエ団に客演した時の舞台です。今では伝説になった世紀の舞姫、マーゴ・フォンティーン。彼女が最も得意としたオーロラ姫のステージを生で見ることが出来た私は、バレエファンとして最高に幸せ者だと思います。
 
私は当時27歳、社会人になって数年のころです。マーゴがオーロラ姫を踊ると知って、半年前のチケット発売日に、奮発してS席のチケットを買い、この日がくるのを今か今かと待っていました。このステージは、バレエの魅力にとらわれてから現在に至る40年間で、最も忘れられないもののひとつです。それはマーゴが東京バレエ団の「眠りの森の美女」に客演した舞台でしたが、期待に違わず素晴らしい舞台でした。
 
第一幕、フォンティーンが小走りに階段を下りてきたところから、舞台に釘付けになってしまいました。。フォンティーンのオーロラは、初々しくて、可愛らしくて、この時、既に50歳を越えているなんて、とても信じられませんでした。
「ローズ・アダージョ」が始まった途端、ドキドキし、アチチュードのバランスでは時間が止まったようで、美しさに息をのみました。私は、体が硬直したようになって見入ってしまい、「ローズ・・・」が終わった時、グッタリとして力が抜けた感じでした。それほどフォンティーンの「ローズ・・・」は魅力的だったのです。
森下洋子さんの師である松山樹子さんはマーゴ・フォンティーンのバランスに刺激されて、徹底的にローズア・ダージョを研究したそうです。松山樹子さんは、「フォンティーンは、それほど高く足を上げているわけでもないのに、美の極致を見せてくれました。ところが私たち日本人がこのポーズをとると、自分の短い足をカバーしたいが為に、必要以上に高く足を上げようとしがちです。そのため、バランスをとるのが非常に難しくなってしまいます。フォンティーンの踊りを見てからは、私は『踊り方を考えなければならない』と真剣に思い悩みました。日本人に合ったポーズについてそれこそ夜も眠らずに考えました。チョットした腕の使いよう、手指ののばし方、首のかしげ方などによって、実際より何センチか長く見えるよう工夫もしました。少しでも完璧に、という思いで一生懸命でした。」(松山樹子「バレエの魅力(講談社)」。松山さんのローズ・アダージョをテレビで見たことがありますが、 脚をあまり高く上げていないものの、気品が感じられるように上半身をまっすぐに伸ばし、アチチュードしたまま、時間がとまったかのよなバランスに、フォンティーンに影響を受けた彼女の努力を伺えました。
 
舞台は進んで第三幕、オーロラ姫と王子の「グラン・パドドゥ」。デジレ王子役の永田幹文さんは、緊張して青ざめているようにすら見えました。若い永田幹文さんにしてみれば、マーゴという世界のプリマと踊れるというだけでコチコチになってしまったのも無理もないと思います。でもマーゴは、そんな永田さんを優しくリードして、二人でとても息のあった美しいパドドゥを見せてくれました。
 
マーゴの踊りには、決してテクニックを駆使するような派手なところはありません。むしろ地味なくらいです。 しかし、とても丁寧で、とても品があって、やはり誰も真似の出来るものではないと思いました。 マーゴ亡き今では、彼女の踊りは映像でしか見ることは出来ません。いくつかの映像はビデオやDVDになっていますが、まだ英国などには、彼女の舞台の映像が残っていると聞きました。是非これらの映像が紹介されるのを望んでいます。

牧阿佐美さんのオーロラ姫
 
私が見た最初の「眠りの森の美女」全幕がこれです。 1966年ですから、東京オリンピックから間もない頃です。牧阿佐美バレエ団は、当時、多くのフレッシュなプリマ達を擁していて、ティーエイジャー・バレエ団と呼ばれて愛されていました。大手町サンケイホールで隔月ペースで定期公演を行っていましたが、当時、定期公演を続けるということは、経済的にもとても大変だったようで、橘秋子さんの執念の賜物だと思います。 学生会員には500円と安価な提供で、私はほぼ毎回見に行きました。 当時バレエ団には、牧阿佐美さんを筆頭に、大原永子、斉藤弘子、森下洋子、靱啓子、武者小路由紀子、川口ゆり子達がおり、 牧さん、大原さん、斉藤さん以外は、まだ10代という若さでした。
当時、豪華な「眠りの森の美女」全幕を上演するのは大変なことで、 第三幕を「オーロラの結婚」として上演したり、バレエコンサートの中で、 「第三幕のパドドゥ」や「ローズアダージョ」だけを取り上げたりするのが普通でした。 私もそれまで「グラン・パ・ド・ドゥ」や「ローズ・アダージョ」を単体で観たことはあったのですが、全幕を見たのはこれが初めてでした。 この「眠りの森の美女」全幕の感動は大きく、これ以後「眠り・・・」が病みつきになったのです。 この公演では、 牧阿佐美、大原永子、森下洋子、武者小路有紀子の4人が交替で主役のオーロラ姫を踊りましたが、 私は迷わず、牧阿佐美さん出演の日を選びました。 牧阿佐美さんは、1962年、「飛鳥物語」の本番を数日後にひかえリハーサル中にアキレス腱を切るという大けがをし、主役を大原永子さらわれました。 屈辱から立ち直り、この前年の「白鳥の湖」で見事に復帰しました。そんな彼女のオーロラ姫に期待が大きかったのです。 この公演でも見事に大役を果たし、その後もしばらく同団のプリマバレリーナとして踊っていましたが、お母さんの橘秋子さんが亡くなられてからは、後進の指導に専念し、 今では、新国立劇場バレエ団の芸術監督を務めています。
 
「眠り・・・」はいわばオーロラ姫の成長記録です。 「オーロラの出」→「ローズアダージョ」→「幻想の場」→「結婚式」と物語が進んでいくにつれ、 オーロラ姫は成長していきます。 オーロラを踊るバレリーナは、物語が進むにつれ次第に感情が高まっていき、最後の「結婚式」で感情はピークに達すると言われます。 だからこそ「眠りは・・・」全幕通して観てこそ面白いのです。 オーロラ姫は、とても体力的にもキツイのですが、牧阿佐美さんは、ローズアダージョでの16歳の初々しい少女、第三幕パドドゥでの妻となる成長した女性を見事に踊りわけていました。 ローズアダージョでは、最初バランスに手間取ってハラハラしたり、もう少し長く頑張って欲しかったという感じはしたものの、尻上がりに良くなって美しく決まっていたし、幻想の場や、第三幕のパドドゥもとても丁寧でうっとりでした。
第一幕のカラボスの毒牙に倒れる所は迫力満点で興奮したのを覚えています。 ローズアダージョでは、緊張のせいか、笑顔が全く消えたこわばった表情で必死にバランスを とっている様子でしたが、プロムナードの最後、3人目の王子の手を離して、手をアンオーまで挙げ、一瞬グッと堪えてから、ゆっくり4人目のサポートの手に捉まった時、牧さん、王子の目を見つめながら、大きく頷いたのを覚えています。王子から「うまくいって良かったね!!」と声をかけられたのかもしれません。牧さん、ローズアダージョが終わったとたんホッとした笑顔になり、滝のような汗が胸を伝わっていました。精一杯踊った牧阿佐美さんの表情はとても爽やかで、こういうシーンがあるからバレエは素晴らしいと感じました。
 
私は、この牧阿佐美さんの「眠りの森の美女」で感動したのがきっかけで、その後、多数の「眠り・・・」を観るようになったのです。この公演は1966年ですから40年も昔です。この後、20種類余りの「眠り・・・」を見てきましたが、どれもが、新鮮な感動を覚えます。それほど、「眠り・・・」は奥が深いのです。バレリーナの個性や技量が、これほど顕著に現れる作品は他になく、いつまでも「眠り・・・」を見続けたいと思っています。

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