【トップページへ戻る】

くるみ割り人形:斉藤弘子、牧阿佐美バレエ  (2004.04.01)

日本の少女達の「お稽古ごと」の人気は、バレエがピアノを抜き、トップになったそうです。また、大人になってバレエを始める女性達が増えているとのことです。西洋で生まれたバレエが、今や日本にも根付いてきたということでしょう。また、ローザンヌ・・・での、日本人の若手ダンサーの活躍も、目を見張るものがあります。
でも、つい半世紀前まで、バレエは、日本では、一部の上流階級の人たちだけが楽しむ贅沢品でした。そんな中、マーゴ・フォンティーン主演ポールツィンナー制作の映画「ロイヤルバレエ」が公開され、また、ロイヤルバレエの日本公演も行われ、徐々に、バレエは、一般に知られるようになりました。 そんな中、東京オリンピックの頃から、牧阿佐美バレエ団は、大手町サンケイホールで、隔月ベースで定期公演を行うようになりました。これには、日本にバレエをもっともっと広めたいという、亡き橘秋子の思いがあったのだと思います。 でも、お客を集めるのはとても大変で、バレリーナ達も切符を割り当てられ、自ら売りさばきに走り回ったそうです。牧バレエ団の鑑賞の会員になると安く観られるということで、私も学生会員になって、毎回500円で見に行きました。当時でも数千円が相場でしたので、これはバレエ団としても、かなりの出血サービスだったに違いありません。でも、こうまでしても定期公演を絶やすまいという橘秋子の努力が実って、バレエ愛好家が増加し、今日のバレエブームが到来したのだと思います。
 
牧阿佐美バレエ団は、当時、ティーンエイジャーバレエ団の愛称で親しまれていました。プリマバレリーナの牧阿佐美を筆頭に、大原永子、斉藤弘子、そして、当時まだ10代の森下洋子、靫啓子、川口ゆり子、武者小路由紀子といった若きホープが続いていました。
 
毎年12月には、牧阿佐美バレエ団は必ず「くるみ割り人形」を上演しました。 今でこそ「くるみ割り人形」は12月には、多くのバレエ団が競って上演していますが、当時は、全幕通して上演したのは、牧阿佐美バレエ団くらいだったのです。
確か、1966年の12月だったと思いますが、斉藤弘子が金平糖の精を踊りました。この後も幾度か牧阿佐美バレエ団の「くるみ割り人形」を観ましたが、何故かこの公演での斉藤弘子の「金平糖の踊り」が強く印象に残っています。
相手の王子は、西優一と記憶しています。当時牧阿佐美バレエ団のダンサーは、大原永子、森下洋子など、小柄な人が多かったのですが、比較的背が高く、ふっくらした斉藤弘子の金平糖の踊りは、ステージに、とても映えていたように思います。 逆に、背のあまり高くない西優一が、サポートに苦労していたように感じました。 金平糖の精のグラン・パ・ド・ドゥのアダージョでは、女性が高々とリフトされる見せ場がありますが、 この場面で、勢いよくジャンプした斉藤弘子を、西優一がリフトした時、西優一の足元がわずかにふらついたようでした。 でも、西優一は、しっかりと斉藤弘子をリフトし、斉藤弘子は、倒立に近い美しい姿でピタリと静止し、観客を沸かせました。 踊り終えて、西優一は汗びっしょり。大きく息を弾ませて「やれやれ!」という感じでした。 斉藤弘子は、その後もしばらく、定期公演に出ていましたが、いつの間にか団員の名から消えてしまいました。

最近も、牧阿佐美バレエ団からは、上野水香、佐々木想美など、数名のダンサーが辞めたそうで、団員の名が牧阿佐美バレエ団のホームページから消えています。 私は、このバレエ団が好きで、今も良く見に行きますが、主役級がこれだけ抜けると心配です。バレエ団に何かあったのでしょうか?

【トップページへ戻る】