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ジゼル:下村由理恵、篠原聖一、粕谷辰雄バレエ団公演   (2001.6.23)

篠原聖一はこの公演を最後にダンサーを引退と聞き、これは見逃せないと思っていたのですが、期待に違わぬ、素晴らしい舞台でした。(6月23日、柏谷バレエ団公演、メルパルクホール)
下村由理恵は、いつもながら上品で可憐。この世のものとも思えない美しさでした。 第1幕で下村由理恵の登場した時、純粋な少女の明るさ、美しさが、ステージいっぱいにひろがったように思います。 少女っぽさ、可愛らしさも技術のうちですね。決して高々と足を上げたり、派手な跳躍をするようなことは無く、全てのしぐさが優雅。美しくぴたりと決まり揺るがないポーズは、他の追従を許さない「静の美しさ」の魅力があります。 第2幕では、フワッとして精霊そのもの。「ことり」とも音をたてない超人的なテクニックで、透き通るような美しさと、はかなさが印象に残りました。 見せ場の難しいアラベスク・パンシェはグラつきもなくピタリと決まったし、また、後方に足を上げたアラベスクで、ゆっくりと回っていく場面では、軸足の下に回転台があるのかと思わせるほどなめらか。伸ばした手足が全くぶれないのも凄い、たゆまぬ精進の賜物だと思います。もう、うっとりでした。
下村由理恵の演技力には本当に驚かされるものがあります。ダンサーであると同時に女優ですね。スコティッシュバレエでの経験が生きているのでしょうか。狂乱の場では、鳥肌が立つ思いでした。 「ジゼルは女性の理想像。何度踊っても毎回違ったジゼルになってしまう」と彼女。それでいいのだと思います。「下村由理恵のジゼル」の毎回の新鮮さがここにあるのでしょう。
 
下村由理恵の舞台から私がいつも感じるのは観客への誠意です。必死に観客の期待を裏切るまいと頑張っている誠実さが、肌で伝わってくるのです。 ダンサーだって生身の人間。調子の波があるでしょう。とくにクラシック・バレエではそれに大きく左右されると思います。芸術家としてのレベルが高くなればなるほど、観客は完全を要求します。それだけ芸術とくにバレエではコンディションの維持が厳しく求められることでしょう。でも下村由理恵は絶対に観客の期待を裏切らない。 「ダンサーは商品。だから魅力的でなければならない。このために楽をしてはダメ」という下村由理恵の言葉、凄まじいばかりのプロ意識を感じます。 それには厳しい自己規制、不断の努力が必要でしょうし、彼女はそれを身をもって証明しているのだと思います。敬服しますね。
 
篠原聖一は、「ダンスールノーブル」という言葉がぴったりの人。数ある日本のバレエ団の中でも純クラシック路線の小林紀子バレエシアター創立に参加。夫人の下村由理恵さんの師として、また良き相手役として、日本のバレエ界を牽引してきました。 パドドゥのパートナーとして、女性の美しさを最大限に引き出そうとする、相手に対する気の配り方は、微笑ましいほど。アルブレヒトが十八番。まさに「王子らしい王子」。
世界広しと言えど、下村さんとのパドドゥほど息の合った調和の美を感じさせるものはありません。
  
ステージ最後のカーテンコール。この日ばかりは、主役はこの日限りでダンサー引退の篠原聖一。飛び交う花束。花に埋もれた篠原聖一を後ろで見つめる妻由理恵、涙ぐんでいるようでした。こみ上げてくるものがあったのでしょう。カーテンコールは何度も何度も続きました。  このお二人に心から「夢と感動をありがとう!!。篠原さんご苦労様」と言いたい。でもこのお二人の微笑ましいパドドゥをもう観ることができないと思うと、とても寂しい気がします。一緒に観ていた私の妻も「まだ踊れるのに・・・」と残念がっていました。
ともあれ、下村・篠原夫妻の至極の芸術を堪能し、とてもいい気分になった夜でした。

    2001年6月:粕谷辰雄バレエ団公演
    ジゼル:下村由理恵
    アルブレヒト:篠原聖一
  
この下村由理恵のジゼルについて、批評家・鈴木晶氏の興味深い評を見つけました。紹介します。  こちら 

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