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XYZさんの「眠りの森の美女」 (2004.2.7)
かなり前に観たものですが、私の忘れられないステージを紹介します。ひょっとすると最も心に残ったものとも言えるかもしれません。
ただし、あらかじめ申し上げておきますが、出演者の名前は伏せさせて頂きます。
文中では、ヒロインはXYZさんということにしておきます。
XYZさんは、当時の若きホープ。彼女は「眠りの森の美女」の主役を踊るという幸運を得ました。
XYZさんは、「眠り・・・」の経験はありましたが、パドドゥだけで、オーロラ姫を全幕通して踊るのは初めてでした。
オーロラ姫はバレリーナにとって憧れであると同時に、クラシックバレエで最も難しい役といわれています。
第一幕オーロラの出。観客がヒロインの登場を今か今かと待ち受けてます。
軽やかな足音が響き、観客の熱い視線をいっせいに浴びてオーロラ姫が登場しました。
いつものXYZさんは笑顔がとても美しいのですが、この時はオーロラ初体験、彼女はとても緊張していたようで、顔の表情はこわばっていました。
そして最大の見せ場、「ローズ・アダージョ」のバランス。キャリアを積んだバレリーナですら一瞬も気を抜けないという難しい場面です。まして初めてのXYZさん、緊張を越えて恐怖だったに違いありません。
ゆっくりとした音楽に合わせて、右足のポアントで立ち、一人目の王子に右手を支えられて、アチチュードのポーズをとります。
そして独り立ちの為に王子から右手を離し、手を上に挙げかけました。この時おそらく緊張の為か十分にバランスを確保出来ていなかったのでしょう。アンオー近くまで手を挙げたとたん大きくバランスが崩れ、後方に挙げた左足が床に着きそうなほど、後ろへ倒れかけてしまったのです。
とっさに二人目の王子の手に掴まったのですが、腕には相当の体重がのしかかっていたのでしょう、
今度は、支えの王子の腕がガクッと下がりました。支えを失ったXYZさん、たまらず、左足を床まで下ろしてしまったのです。
王子のサポートミスとはいえ、XYZさん、かなり動揺してしまったようで、彼女は、二人目から三人目もかなりぐらついて十分にバランスをとることができず、不本意な結果になってしまい、今にも泣き出しそうな表情でした。
ところが、三人目のバランスが終わった直後、ここは普段は拍手をしないところなのですが、観客席から一人の拍手が響いたのです。きっと、その方は、歯を食いしばって頑張る若いバレリーナの姿に感激し、やむにやまれず励ましたくなったのだと思います。すると、そのあと次々と拍手の輪が広がっていきました。当然私も拍手に加わりました。
この拍手が舞台上の彼女にも届いたのでしょう。にわかに彼女の表情が明るくなっていきました。
そしてローズアダージョのフィニッシュ、前半にも増して難しいアチチュード・アン・プロムナードからのバランスの場面。彼女は、すっかり落ち着いて、3回とも十分長くバランスをとって終わることができたのです。ハラハラして見ていた私も力が抜けたようでした。 再び大きな拍手が起きたのは言うまでもありません。
ローズアダージョを踊り終えて、観客にこたえる彼女は、心底、ほっとした様子。胸には滝のような汗が光っていたものの、穏やかな美しい笑顔になっていました。
この後は、彼女は自分のペースを取り戻したようで、二幕、三幕とも美しく踊り抜きました。カーテンコールに応える彼女の目に浮かんでいた涙を今でもはっきり覚えています。
私は、この時、観客の暖かい拍手が、舞台上のバレリーナにとって、どんなに励みになる事かを知りました。舞台の上で全力を尽くして懸命に踊るバレリーナ、それを暖かく見守り一緒になって応援する観客、両者が協力し合ってこそ、最高の舞台になるのだと知りました。
そして、バレエだけが持つ「一瞬の美」を、あらためて認識しました。器具を一切使わず、肉体しか表現する手段を持たないダンサー。肉体の静と動によって究極の美しさを表現できるバレリーナこそ真の芸術家だと思います。まさにバレエは、「一瞬の芸術」なのです。
この一瞬の輝きを求めて、バレリーナは日々厳しいレッスンを繰り返しているのだと思うと、一層バレエが好きになりました。
パリ・オペラ座のスター、エリザベット・プラテルでさえ「オーロラの登場前の旋律は、若いダンサーにとって恐怖です。はじめて踊ったときは足がすくんであやうく登場できなくなるところでした。最後には疲れ果てて気絶しそうでした(ダンスマガジン)」と語っているほど、オーロラの出〜ローズ・アダージョはバレリーナが気を抜けないところなのです。
この「眠り・・・」を見てから、私のバレエへの見方が変わってきました。
バレリーナだって生身の人間。不調な時もあるでしょう。
バレリーナの調子が、今一と感じられる時こそ、「頑張って!!」と祈りを込めて、より多くの拍手をしようと心がけるようになりました。
バレリーナは、その日限りの一瞬の輝きの為に、全勢力を投入して精一杯踊ってくれているのです。
全てを踊り終えてのカーテンコール。笑顔を見せているバレリーナでも、相当の体力と精神力を消耗しているに違い有りません。夢を与えてくれた天使に、思う存分拍手を送り、苦労をねぎらってあげたいと思います。
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