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海賊〜パ・ド・ドゥ:ザハロワ、ゼレンスキー    (2004.04.11)

スヴェトラーナ・ザハロワとイーゴリ・ゼレンスキーが踊った、「海賊のパ・ド・ドゥ」があります。2002年の「サンクトペテルブルク300年記念ガラコンサート」での映像です。
ザハロワは美しい。彼女がステージに現れた途端、舞台がパッと華やかな雰囲気になりました。まず、ザハロワの長い手足と体のしなやかさには、絶句!。上げた脚は、無理なく180度まで達しますし、美しく繊細なポーズもピタッと決まりますv。まさに踊る為に生まれてきたという体型であり技術という感じです。
ヴァリアシオンの中の見せ場のひとつであるイタリアン・フェッテでは、最初チョッと厳しい表情を見せたものの、その踊りは、正確で、寸分の乱れもなく・・・、ゆったりと、しかもダイナミックです。難しい踊りを終わって、ホッとしたのか、ニッコリ。この笑顔が、本当に美しかった。また、コーダでのグランフェッテでは、スピードがあって、軸足がまったく乱れない完璧な回転を披露。笑顔さえ見せて・・・、余裕でした。
 
ザハロワは踊りがとても上手な人だと思います。でもこの人の踊りには、今ひとつ魅力が感じられません。見終わって良かったと、心から良かったと打たれるという感じにはなれないのです。踊りも容姿も抜群なのに、この人の踊りからは、なぜかクラシックバレエならではの「一瞬の輝き」が感じられないのです。技術的に抜きんでているが機械的・・・・とでも言うのでしょうか。ザハロワは、「バレエを踊ることは非常に大変な仕事です。私たちは、観客にその大変さを絶対に見せてはいけないのです。全然大変じゃないんだということを観客に見せなければなりません。そういった、舞台上のエネルギーの積み重なりといったものは、自然とお客さんを大きな感動に導いていくはずです。」(MOSTLY CLASIIC)と語っていました。「観客にその大変さを絶対に見せてはいけない」という気持ち、それも、その通りだと納得できる面もあります。彼女の技術は完璧で、難しい技にもほとんど厳しい表情を見せず、笑顔で踊り切るのはその証でしょう。でも、それが、往々にして、機械的に踊る人形と言った無機質ささえ感じてしまうことにもなります。非の打ち所がないとも思えるザハロワの踊りは、何か、もの足りなさを覚えるのです。シルビー・ギエムもそうでしたが、私は、難しい技を、何でもないように踊るダンサーにはあまり魅力を感じません。バレエは曲芸ではなく芸術です。ザハロワが「観客にその大変さを絶対に見せてはいけない」と、テクニックをあたりまえのように見せるのは、芸術ではなくアクロバットのような感じがします。「不安定の安定」、つまり、デンと立っているのではなく、倒れそうでいて倒れない彫刻のような繊細なアラベスク・・・、というように、「不安」の中の「一瞬の輝き」というところに、芸術としてのクラシック・バレエの魅力があるのだと思います。
そんなわけで、むしろ、「全然大変じゃない」ではなく、「大変ですが、必死に頑張っています」と、懸命に「一瞬の輝き」を追求するダンサーの姿に、そっと支えてあげたいというような、初々しい魅力を感じるのですが・・・・。

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