491・写真関連情報

491レポート・パンフレット等

--------------------------------------------------------------------



川田喜久治写真集「ラスト・コスモロジー」



「川田喜久治」写真展「ラスト・コスモロジー」は、

’95年の横浜展、’96年九州の福岡市で開催されました。    

川田喜久冶氏は、この「ラスト・コスモロジー」の写真展と写真集で、
・1996年の日本写真協会の年度賞 
 ・第12回東川賞国内作家賞 
を授賞しております。 


「ラスト.コスモロジー」THE LAST COSMOLOGY

PLATE

 



     (パンフより紹介)

 川田喜久治氏は現代日本を代表する写真家の一人で、世界に誇り得る日本の数少ない写真家であることを

ご承知の方は多いとおもいます。

   氏の広汎な現実認識、鋭い洞察力、そして旺盛な表現活動は最初の写真集『地図』(’65年、刊行)に

みごと結実され、日本の現代写真に新たな切り口を開きました。

そしてその後の絶え間ない創作活動は、『聖なる世界』『ルードビッヒ‡U世の城』、

超大作『ロ ス・カプリチョス=気まぐれ』と、彼の特異なるアイロニーをもって現実と未来を鋭くとらえ、

この不可解な現実社会をより鮮烈に照らしだしてくれます。

これはさらに、『ラスト・コスモロジー』へ と連なり、千変万化する空、雲、天体の壮大な世界へと飛翔し、

光 と闇が交錯する強烈なリアリテイの巨大空間を創りだしています。



 本展は、’70年代末から撮り始められた作品のすべてから、今回の展示空間に向けて、

作者自身の手によって試みられた、一つの最終的な表現をなしています。

「空と夢」「最後の太陽」「コスモロジー」「ザ・ラスト・テン」「オーロラの夜」

・・・・・・そして白日の光を満喫した樹木たちが天地に向かって強靱な生命を増殖しつづける「南方アラベスク」?

この万物を包み込んだ宇宙空間には、未知なるものからの様々なメッセージが込められています。

多くの人びとに深い感銘を与えずにはおかないでしょう。 

                                                           



491の企画した主な写真展





1979  ビル・ブラント写真展「光の影」1930?1970
   熊本、広島、名古屋、仙台、函館、札幌





1981?83  いま!東松照明の世界・展
鹿児島、熊本(八代)、熊本、福岡、長崎、広島、福山、三次、呉、鳥取、大阪(2ヶ所)、
和歌山、名古屋、三重、(津)、長野、静岡(水窪)、新潟、横浜、いわき、仙台、
福島、盛岡、陸前高田、岩手(面岸)、山形(鶴岡)、札幌、小樽、北見、室蘭
作品点数554点という、この大展覧会は各地において様々のジャンルの人たちに呼びかけ、
実行委員会を形成しながら3年かけて約30ヶ所で展開



1984 「フランコ・フォンタナ」展
福岡(2ヶ所)、大分(日田)(由布院)、鹿児島、北九州、高松、広島、仙台(2ヶ所)、名古屋、大阪、北見、札幌



1985 「Nakaji Yasui」展
ラルテイ?グ、ウオ?カ?・エバンスと3巨匠展
イタリア”TORINO FOTOGURAFIA”



1986 「Nakaji Yasui」展
ヒュ?ストン ’FOTOFEST'





1986? エド・ヴァン・デル・エルスケン写真展
「サン・ジェルマン・デ・プレの恋」
東京、仙台、新潟、名古屋、福岡



1987 「イタリア11人の写真」展
鹿児島、北九州



1987 「Japanese Women Photographers From 50s to the 80s」展
ベスヘレム(ペンシルバニヤ)のLehigh University



1988? 写真展 森山大道「仲治への旅」
福岡、小樽、札幌、和歌山、柏崎



1990 Daido Moriyama「Jaurney to Nakaji」展
ヒュ?ストン ’FOTOFEST'



1989?90 フォスコ・マライ?ニ写真展「東洋への旅」
豊田、京都




1990? 写真展 ア?サ?・トレス「魔法の楽園」
福岡、大阪




1995? 川田喜久治写真展「ラスト・コスモロジー」
横浜、福岡




出版物


・歴史は何を教えるか

・写真集「ヒロシマ・広島・hiroshima」

・われわれの写真’77?’78

・「いま!東松照明の世界・展」カタログ

川田喜久治写真集「ラスト・コスモロジー」

その他

                                                           



われわれの写真 77?78

1977年から1979年

常に常に学生学生と向き合い指導をしてきた491

写真集「われわれの写真 ’77?78 Young Eyes No1」を

作るために、全国の高校、大学で写真をやっている仲間たちから

集められた3万枚に及ぶ写真群から特に展示のために

セレクトした2千枚の写真の展示会

(全国143サークル)






各地で、学生合同写真展は、その後も開催されていきます。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

  学生写真自主セミナー 1984年 「写真=未知への旅」学生写真自主セミナースライド (1984?1986)

      「写真=未知への旅」---学生写真自主セミナー---1984年



  1970年代後半に、「われわれの写真」で、60年代?70年代前半に及ぶ学生運動やそれに伴う


社会的な視点を抱えた写真活動から、70年代後半は、さらに自由に向かうように

新たな学生の写真活動に向けて、「われわれの写真」=「写真の海」へ、

学生写真に向けた活動は変容と進化と変転を遂げていった。



それは、時代の動きを反映した、今そのときの写真をどう持つか!

の真摯なあり方を探る道程であり、試みであり、企てであった。



そうして、70年代後半は、「われわれの写真 77?79」から、

東京合宿=写真例会=原宿 歩行者天国写真展示(1980年)へと向かった。



そうして、新しい時代、闘争の時代の後の時代の写真のありようの扉を探ってゆき、

作り上げる試みは続けられた。



われわれの写真 、 原宿の写真展示 ともに、その規模と広がりとかかわった人間、

学生は、北は北海道から、南は沖縄まで、広がり、全国的な広がりを持っていた。

この試みは、その後、写真展示としては、各地の実行委員会が組織され、かってない規模と広がりで

列島各地で開催される「いま 東松展」へと連なる伏流水のような下地となっていった。



こうした中で、学生写真は、1980年に入り、その後をどうするかの試みが始まり、

1984年に 学生自主セミナーが企画された。



これは、学生たちが企画して、合宿で、写真を撮り、現像し、プリントし、セレクトし、写真を批評しあい、

写真の展示までこぎつける試みである。

これを、指導し、導いたのが、福島先生と491であった。



この写真合宿では、写真を見るための勉強会も企画され、下記ようなの

非常に貴重な写真を考える座談会を行っている。



?福島先生のスライド会 「写真=未知への旅」   (福島辰夫写真評論集 に収録)


?細江英公「自作を語る」 スライドで自作の解説と座談会            
  (おとこと女 、薔薇刑、鎌鼬(かまいたち)、抱擁、ガウデイの宇宙)


?作家と語る 「森山大道・深瀬昌久氏への77の質問」  森山さんと深瀬さんを、
 合宿に呼んで、学生の写真を見てもらい、さらに、座談会を行った。
 (森山大道 「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」に再録:「森山大道・深瀬昌久氏への77の質問」)



この学生写真セミナーは、3回行われ、3回目は 「’86 学生合同写真展 報告書」の本に取りまとめられている。


3回目の合宿では、写真家の「エド・バン・デル・エルスケン」の写真を使って、

「エルスケン・スライド上映会」が開かれ、写真家のエルスケンを招き、学生とともに、

写真展会場で学生の写真を見て、その後 、別の教室で、スライド会を氏の解説で行った。

大盛況であった。

エルスケンは、取材旅行で来日しており、そうした貴重な日程を割いて、学生写真展とスライド会を

訪れたのは、エルスケン本人のかざらない柄と 人生観によるものがあるが、何より、

福島先生とエルスケンの信頼関係がなければ、こうした貴重な機会は実現しなかったであろう。



-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

  学生合同写真展 05,06?

 新世紀になり、私たちのまわりも世界も変わってゆきま
。 写真を見る場、持てる場が存在することは、この日本で、さらに難しくな
、 個人の情報やインターネットや通信の世界で、コミュニケーション
、 豊かになってゆくような幻想にとらわれていま

しかし、本当にそうでしょう
? 一時も他社と通信手段で切り離されてゆくことに、恐怖感さえ抱くよう
社会、 通信を通して幻想の他人と繋がることに依存してい

会 そうした時代において、写真をする場、見る場は、ますます、困難にな
、 希薄になり、存在しにくい、ありがたい=在り難い 空
になってゆくのが 今の日本の状況ではないでしょうか・・

そうした時代に、写真を見る場、写真をともに考える場、写真をともに感じ、前に進めてゆけ
場、 そうした貴重な場=空間=広場 として、若い写真家に呼びかけて、写真をもつこと
、 またも、0から種をまくように、土を耕すように、始めた試みが、学生合同写真展とし
、 形に表れま

そうした営みを、そうした闘いを、そうした活動を、続けてきたのが491であ
、 その精神的バックボーンであり続けた、福島先生さんです

     


-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------



TOP MENU