ダイアン・ア−バスの名を知ったのは、いつ頃のことだろうか?
どうして、知ったのだろうか?はっきりとは、憶えていない。
学生時代だったことは、確かだ。
そのころから、外国の作家も気になりはじめ、ダイアン・ア−バスやリチャ−ド・アベドンの名が気になっていた。
たぶん、人物写真を撮り始めて、ポ−トレ−トや人物に関しての写真家で、浮かび上がってきた名前だろうと思う。
福嶋辰夫さんの文章の中で、人物に関して、触れてあったように思う。

それまで、人物写真といえば、友達や家族や親しい人々を、撮っていたり、有名人や立派な人の写真や結婚式や記念行事に写した晴れがましい写真を思い浮かべる私にとり、この写真集に写っている人々は、異様に思えた。
奇妙な感じ、そこに写っているのは、楽しく親しく写っている人々でなく、ある人はこちらを、じっと見つめ、ある人は泣き、ある人は、彼方を夢見るように見つめ、そしてある人々は、笑っていた。ある人の視線は、私には、うつろに見えたけれど、心を推し量るすべを私は知らない。

肉体的に精神的に傷を負っている人、少数者、(奇形、フリ−クで呼ばれる人々)など、写っている。
今まで、表だって肖像写真として、出てこなかった人々の写真、人は日常で見かけていても、意識の中から押しだし、関わらずにいる人々。
それが、はっきりと、肖像写真として現れている。私は、静かだが、強い印象を持った。

いままで、目をつむっていたものを、はっきりと見せられた驚き、そしてア−バスの写真が、話題になっていったのも、そのころの人がア−バスの写真で写されている人の背後の時代状況に自分が無縁でないことが、静かだが、明らかに示されている事への強い印象があるからだと思う。
別の言葉では、多くの人が、ア−バスの写真に写された人々(楽しく朗らかに、単純に幸せそうには、見えない人々)と、無縁でなく、
自分の一部が、すでに、そういったものを含んでいる状況であることに気づいた、気づかされたから・・・。

ここで、福嶋辰夫氏の文章から、引用させていただく。

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写真のメカニズムの発展にともない、人物写真の手法や技法は、いよいよ複雑に展開されていく−と人はふつう、そう考え、そう説明するけれど、実はそれは片手落ちの説明でしかないのだ。現代という条件のなかで生きる、個々の人間存在そのものが、そうした手法や技法を必要とするような存在そのものに、すでになっているのだ。

                         福嶋辰夫  1961年「歴史はなにを教えるか 1; 3.人間透視術」より 抜粋
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わたしは、これらの写真をみて、強くアメリカを感じた。アメリカの精神世界が広がっているようで、寒気も感じた。
しかし、日本とて無関係でいられたわけでは、無いだろう。
ともかくも、様々な手法や技法を必要とするような存在に、すでに、なっていた人間存在。そうした現代は、さまざまに変容し、
今ではシンデイ・シャ−マンのような肖像写真やウィイットキンのような写真をも、生み出すにいたっている。

こうした時代、現代のなかで、人間回復の思いをこめて、撮られている写真もあり、橋口穣二が連作でとり続けている人物、父や17才の青年、老人などなどは、私たちの精神に人間回復、人間信頼の精神的治癒効果をもたらせてくれる。
また、アメリカでは、サリ−・マンの家族を撮った「IMMEDIATE FAMILY」が注目を浴びたのも、
そうした精神と無関係では、なかろうと、私は感じる。



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