高梨 豊は、かって写真好きの人のアイドルの一人であった。(と、私は思っている。)
それは、いつ頃のことかと言うと、60〜70年代に写真の波をかぶった人たちである。
私が写真を始めた頃、カメラ雑誌で華々しく、森山大道や中平卓馬が活躍していた。その強烈な映像は、とてもかっこよかった。
東松照明の「太陽の鉛筆」を書店で見たのもそのころだった。海の透明なイメ−ジ、人々の間を吹き抜ける風に魅了された。
(三好某の楽園のような写真と違って精神の透明性を感じさせる映像、強靱でしなやかである。)
(楽園は感覚的には、嫌いでは無いが、ここまで、精神性を喪失し感覚器官の快楽性追求に徹した写真となると、
大変なプロ意識は関心するが、個人的には興味はない。)
私には、写真はモノクロで強烈に心情表現を行うものだと、イメ−ジ先行で感じていた。
そのころの写真スタイルに、感覚的に影響された私は、当面その影響から自由ではなかった。
そうした中で、なぜか、高梨 豊は、とても好きだった。
ニヒルで静かで知的であった。
その都市に対する視線が、自分の感覚に合っていた。
私は、高校時代から、故郷の親元を離れ一人暮らしが始まっていた。
故郷の本当に小さな自然にあふれた町(田舎、村)から離れ、都市部の中都市で暮らし始めた少年の抱いていた都市部への気持ちと
底流で相通じる心情が、高梨豊の写す街には流れていた。
時代の雰囲気、日本の急激な経済成長と都市化によって、私のように、田舎から町へと人は流出し、また町並みも急速に
都市化していった時代だった、都市部の人間は田舎人出身が多かった。
その心情、喪失感が、東京人には、静かに写されている気がする。
この「東京人」に先立ち、高梨豊には、有名な写真集「都市へ」があった。そこに、リ−フレットの形で写真帳「東京人」が入っていた。
これは1974年の出版であり、それこそが、写真集「東京人」のル−ツであり、伝説の本でした、私には。
その10年後の’83年の「東京人」は、その2なのだろうか。
初めて、買ってペ−ジをめくったとき、その厚紙の素っ気ない外観と、見開き3面の折り込みの凝った内部の作りと、
白に漂うような心情の写真に強い印象を抱いた。
たいへんストイックな精神性を感じた。
しかし、時代は、確実に、移り変わっており、74年版のリ−フレット「東京人」と比して、さめざめとしたものを感じる。
(それを、感じるのは、あるつてで「都市へ」を手に入れてからの事である。ずっと、後であるが・・・。)
いま、こうして、この文章を書くにあたり、「東京人」を、ひっぱりだして、しげしげと、眺めてみた。
正直、どこにあの強い印象を感じたか、と思っている。時代が変わり、私も変わったのだろう。
時代から無縁な写真なんて、ありえないのだろう・・・。
いま、784年版「東京人」を、見ても、その映像は、現在では、それほど、私に、驚きを与えない。
それは、かって高梨の生み出してきた映像が、時代とともに、こなれてゆき、いまでは、さほど新鮮みを持たなくなったためかもしれない。
それでも、あのときの高梨豊の映像は、私には、とても、かっこよかったのだ。
その他 高梨 豊の本