2002 FIFA WORLD CUP
COREA JAPAN @ KOBE

2002 FIFA WORLD CUP COREA JAPAN @ KOBE
2002年梅雨・・・。梅雨らしくないさわやかな日々(と日本人には,思えた・・)
ワ−ルド・カップが,始まって,数週間。
昨年から,チケットをあの手この手で、Getしていた弟から、
数日後の、決勝リ−グ 神戸 「ブラジル-ベルギ−」の誘いがあった。
横浜のクロアチア−エクアドルは、遠くて、やめていた。
神戸なら、近い。
ロナウドが、リバウドが、ロナウジ−ニュが、ロベカルが、見れる。
決めた。
その日がきた。
午後から、神戸に向かった。
新神戸に降り立つと、そこは
・・・・・
ワ−ルド・カップの世界だった。

私の住んでいるところは、
開催が確実視されながら、
FIFAのプラッタ−会長が、あそこでは、必ず開催しろ!
と言われながら・・・、
2カ国開催の開催場所の足きりの敗者となった。
屋根を架けなかったのだ。
ある種の英断ではあったが、大きな未来を捨てた。
私もそのときは評価した。
しかし、今となっては、失ったものは未来への道ではなかったか・・・
ワ−ルド・カップを体験したことがない私は、その意味に気づいてなかった。
保守的なこの地では、大きな豊かな未来の夢(選択肢)を自ら捨てたと思う。
今になって気づいた。
お金で買えないものが、あったのに・・。
いや、あの時こそ、未来をお金で買えたのに・・。

ブラジルのキャンプも、決断力のなさで流れた・・・。
民間の盛り上げのなさで流れた・・・。
英断が無かったのは、私らの責任。
優勝したら、パレ−ド決行の約束があった、・・・らしい・・・。
(まさか、今回のブラジルが優勝するとは、誰も信じてなかったと思えるが)
アジア大会の会場で、地元のJリ−グ・チ−ムを持ち、国際平和都市で、
知名度は抜群、・・・・・・
でも、開催もキャンプも地元チ−ムの選手選出も、
・・・・・・
なかった・・・・。
そんな、町では、日本のワ−ルド・カップは、
テレビの向こうの世界で、
まったく、別世界だった。
でも、ロナウドがベッカムがロベカルが・・・・・・
今この時間、日本にいる。
世界中のスタ−が、日本にいる。
しかも、本気で試合をしている。
ら・・・し・・・・い・・・。
テレビでも新聞でも、そんなことを、大きく言っている。

宅急便で届いたチケットと着替えとカメラとFOMAを持って、
レイルスタ−に、
乗った。

神戸に降り立つと、そこは、テレビで見た、新聞で読んだ、
ワ−ルド・カップを開催している、
日本があった。

会場には、すずやかな涼風が吹き込み、風にのり、
公式ソングのアンセムが流れてきた。
夢の中のように、わくわくする時間だった。
テレビで断片的的に見せられるサッカ−と違って、
スタジアム全体が、ブラジルがベルギ−のチ−ムが
ロナウドやリバウドやロベカルや、
そして、観客が、
一体となり、夢のような、時間を作っていた。
サッカ−の全体が、そこにはあった。
人は生きていく中で美しい時に遭遇する。
まさに、そうだった。
美しい時間の中で              
           
     美しい人間が躍動していた。





美しい時間の中で                  
     
      美しい人間が躍動していた。





ゲ−ムが終わり、余韻に浸る人がいた。
翌日、朝一の新幹線で帰郷。
出勤のために、駅に帰り着いた私は、
そこに、ブラジルのユニホ−ムとGパンの若者が階段を
歩いているのを発見した。
世界と異質の凛々しく心温まる若者がいた。
そこは出勤する人々で埋まり、
サッカ−と名前のついた、地上の麗しい夢が、同じ時に同じ世界で華開いていることなど
想起させるだに困難な世界が広がっている。
そこに、
昨夜の夢が、現実の地上の夢である証かのように
階段を毅然と歩いている若者がいた。
私は、とても、心ひそかに、うれしく思った。



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